本屋さんと私

 ミシマ社では、メンバーがそれぞれに同時多発的に同じ本を買って読んでいる、ということが時々起こるのですが、今回ご登場くださる松家仁之さんが書かれた『火山のふもとで』や『沈むフランシス』もそんな本たちでした。

 第3回目の今日は、小さいころに読んでいたあの本や思い出の本屋さんについて、お話いただきました。お楽しみください。

(聞き手・構成:星野友里、写真:高橋賢治郎、構成補助:松重鮎子)

第129回 いつもあそこにあるあの本

2014.10.24更新

高円寺の本屋、大正堂書店

―― 子どもの頃に行っていらした本屋さんで記憶に残っているところはありますか?

『高円寺純情商店街』ねじめ正一(新潮文庫)

松家僕は中野区野方で生まれ育ったんです。中野駅と高円寺駅の中間くらいの所なのですが、どちらかというと本は高円寺へ買いに行っていました。ねじめ正一さんが、昔、高円寺を舞台にした『高円寺純情商店街』という小説を書かれていて、そのなかに登場する本屋さんが、僕の子どもの頃から通っていた本屋さんなんです。小説の中でどんな名前だったかは忘れてしまいましたけど、「あ、これは大正堂書店だ」ってすぐにわかりました。いわゆる町の本屋さんですね。今はもうありません。そこにいつも自転車に乗って買いにいっていました。

―― どれくらいの時期ですか?

松家小学校の頃から、高校くらいまでかな。僕は58年生まれなので、70年代以降ですね。大学生になると、大学の周辺の本屋に行くようになって、大正堂書店には足が向かなくなってしまった。それで、気がついたらなくなっていたんです。

―― けっこう長いこと通っていらした、原点のような本屋さんですね。

松家そうですね。高円寺には古本屋さんもいっぱいあって、高校生くらいからは古本もずいぶん買っていましたけれど、新刊といえば大正堂書店でした。


いつもあそこにあるあの本

松家1970年代というのは、新潮文庫でいうと「今月の新刊」というちらしが2カ月に1回しか出ていないんですよ。しかも、冊数はせいぜい12冊くらいで、そのうちの11冊くらいは文芸書なんです。今見ればある程度名前のわかる人たちの小説や短編集がほとんど。そういう時代だったんですね。単行本も、今は毎月20〜30冊出ているのですが、その頃は月に10冊とか20冊とか、その程度なんです。

―― そんなに少なかったんですね。

松家大正堂書店の棚の様子を思い出してみても、今みたいな実用書や自己啓発本はほとんどなくて、7〜8割は小説といった印象でした。岩波新書や中公新書はあったけど。だから、本の多様性のようなものはあまりなかった。大正堂書店に行くと、いつもあそこにあるあの本を買いたいけど、お金がなくてまだ買えないな、でもあの本は永遠にそこにある、という感じ。そういう時代でした。レコード屋も中学時代からしょっちゅう行っていましたけど、いつも同じところを見て、まだ買えないからいったんもどしておこう、というような。

―― それはいいですね、今はすぐに棚が変わってしまいます。

松家今みたいに、毎月ものすごい種類の本が世の中に出て行って、あっという間に返品されてしまって、という光景は、70年代にはまだなかったんですね。とっくに定年退職したような新潮の先輩に聞くと、70年代は暇だったと言うんです。出す本出す本増刷ばかりだから。つぎつぎ本を出さなくても、一冊出せば5刷、6刷と増刷になるわけです。だから夕方5時くらいになるとみんな麻雀屋へ行ってたらしい。それもひどいよねえ(笑)。

―― いい時代ですね(笑)

松家僕がいた2000年前後は、新潮社は毎月三十何点も単行本が出て、そのうち増刷できるのはどれくらいだったかというと、3割程度だったと思います。売り上げも部数も1960年代の十倍くらいあって、編集者はむやみに忙しくなったのに、本が売れるという実感が減っていった。しかも売り上げのピークは95年くらい。それ以降は本の点数ばかり増えていって、一冊あたりの売り上げは落ちる、という自転車操業状態になってしまった。町の中小書店はつぎつぎに閉店するし、かといって大書店チェーンも、ネット書店の拡大という事態に直面せざるをえない。大変な時代になったと思います。


ありえないくらい素晴らしい棚

―― 大正堂書店のほかに印象に残っている本屋さんはありますか??

松家ひとつは、もうなくなってしまいましたけれど、渋谷の東急本店に向かう通りの右側に、大きなブックファーストがあったんですよ。僕は「新潮クレスト・ブックス」という翻訳書の編集をしていたので、いろいろな書店を見てあるいたのですけど、あの渋谷のブックファーストの海外文学の売場はありえないくらい素晴らしい品揃えだったんです。書棚って、書店員さんがどういう意図で並べているか、見るとわかるじゃないですか。自分の関心の持っている棚だったらよけいに。これはただ者じゃないなと思って、営業の人に紹介してもらって会いに行ったんですよ。林さんという女性で、僕が会ったときまだ20代半ばくらいで、この道何十年という人ではまったくなかった。だけど、今思い出しても素晴らしい棚でした。

―― 松家さんがそこまでおっしゃるとはすごいですね。

松家あのブックファーストがなくなったと聞いたときは、衝撃でしたね。あとは、さっき申し上げた池袋のジュンク堂の雑誌売場。1階の奥です。目配りが本当にすごくて、ごく一部で話題になったようなマイナーな冊子も、あの売場に行けばもうあるんですよ。あれはやっぱりすごいと思いますね。本や雑誌というものが本当に好きで愛情があってやっていると、棚が生き生きとする。書店員さん次第なんだなあと思いますね。

―― 本当にそう思います。

松家それは要するに、今のところネット書店ではできないじゃないですか。「あなたへのおすすめはこれです」というのはあるけど、あれは単にコンピューターでプログラムをもとに浮かび上がってくるのであって、そこにAmazonの「編集」はないじゃないですか。あれはあれで優れた機能だと思いますけど、やはり、リアル書店は人によるんだなあと思いますね。


一番影響を受けた人

『深夜特急』沢木耕太郎(新潮文庫)

―― 最後に...。以前ミシマ社で、全国の書店員の方々にオススメの本を紹介していただく『THE BOOKS』という本を出して、今、その第二弾を企画しています。今回は中高生に読んでほしい本ということで選書いただいているのですが、松家さんが中高生に読んでほしいと思う本がありましたら、挙げていただけますか?

松家今ぱっと思い浮かぶものでは、沢木耕太郎さんの『深夜特急』は若い人に読んでほしいですね。あと、僕は中学時代、伊丹十三という人に一番影響を受けたんです。伊丹さんの『女たちよ!』と『再び女たちよ!』は、中高生くらいに読んでほしいですね。

―― 一番影響を受けられたのは、伊丹さんなのですね。

『女たちよ!』伊丹十三(新潮文庫)

松家そうですね。ただ、エッセーというのは、その時代が如実に反映されるじゃないですか。だから、いまの大学生に読んでもらったりすると、時代の違いに違和感を感じる学生もいたのですけれど、面白がる学生もいっぱいいて。伝わる部分と伝わらない部分があるんだなと思います。

―― 今読んでも文章の色気を感じます。そんなに変わらないのじゃないかと。

松家今は、書き言葉に話し言葉が混じるような書き方は珍しくも何ともないけれど、あの書き方を一番最初に上手にやった開拓者が伊丹さんです。伊丹さんに影響を受けたエッセイストがたくさんいるんですよ。いつ読んでもすごいなと思いますね。

――今日はたくさんのお話、本当にありがとうございました。


   

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松家仁之(まついえ・まさし)

1958年生まれ。大学卒業後、新潮社に勤務し、海外文学シリーズの新潮クレスト・ブックス、季刊誌「考える人」を創刊。2012年、長編『火山のふもとで』で小説家としてデビュー、同作で読売文学賞受賞。第2作は北海道を舞台にした『沈むフランシス』、第3作は『優雅なのかどうか、わからない』。2014年10月、編集制作として携わる雑誌『つるとはな』を創刊。

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