本屋さんと私


 現代社会は、ファストフードやコンビニ食、イタリアンに中華料理、言い出したらきりがないくらいたくさんの食べ物に溢れていて、なにかを食べたいと思えばすぐに手に入れることができます。
 食べることがすき。料理をすることがすき。そんな人は、きっとたくさんいるだろうなあ。

『ナチスのキッチン』藤原辰史(水声社)

 けれどたとえば、今日食べたサラダのなかに入っていたトマトは、たくさんの農薬がふりかけられてできています。そしてその農薬は、近代化されたハイテクな機械でまかれていて、そしてその農薬を使うことによって、農家のおじさんが......。そんなふうに、毎日わたしたちが必ず手にしている「食べ物」のすがたの後ろ側を、想像したり、考えたことはあるでしょうか?
 すべての食べ物には、歴史があります。そしてそれをめぐる政治があり、思想がある。
 そんな当たり前のようでそうではない、普段はまったく考えも及ばないことに気がつけたことは、とても衝撃的でした。

 そんな驚きをたくさん与えてくれたのが、『ナチスのキッチン』や『食べること考えること』の著者であり、京都大学人文科学研究所の准教授である、藤原辰史さんです。ずっと聞きたかったあんな話やこんな話、そして本屋さんの話を、たくさん伺ってきました。

(構成:太田明日香・新居未希、写真:新居未希)

第130回 何よりも嫌なのは、自分の言葉がコントロールされること(藤原辰史さん編)

2014.11.10更新


清潔な国ってつまらない

『食べること考えること』藤原辰史(共和国)

―― 『食べること考えること』を読んで、文章が印象的でした。大学時代の下宿やおじいさんとの思い出の情景が生き生き描かれていて、懐かしさや、食べ物の匂い、ごみごみした感じが沸き上がってくる、独特の表現だと思いました。

藤原僕は、不潔だと思われている世界を、できるだけ美しく書きたいと思っているんです。だからすこしねじれた文章表現になっているんじゃないかな。実際、ご飯のまえに読みたくないと言われたこともあります(笑)。
 台所やトイレって、においを伴いますよね。でも、今の言語システムは、そのことをできるだけ言わせないようにしていると思うんです。現代社会で、僕たちは、あまりにも強く「健康でありなさい」「清潔でありなさい」と言われ続けている。僕はそれを「清潔帝国」と呼んでいます。でも、清潔な国ってつまらなくないですか? 酵母とかスパイスとか、いろんなにおいがするほうが、僕は楽しい。「清潔帝国」にレジスタンスをしたいという気持ちがあるんですね。

―― 言語システムって、どういうことを言うのでしょうか?

藤原一言で言うと、そこに菌がいるよと口に出すことを禁じるシステムのことだと思うんですよ。
 たとえば、僕たちはパンが腐らないように、冷蔵庫に入れたり防腐剤を入れたりして工夫をするけど、パンって菌の働きによってできてますよね。漬け物や納豆やチーズもそうだし、お酒もそう。そもそも人間の肌にだって常在菌がいる。消毒剤とかででせっせと除菌しているけど、不潔と名指され、除菌の対象になるものこそが、僕たちを支えていると思うんですよね。


「健康」「清潔」がもつ2つの意味

―― 先生が研究されているナチス・ドイツは、健康や清潔を国家として押し進めていたんですよね。

藤原そう、「健康」や「清潔」は、ナチスのキーワードなんですね。これまでにも、『ナチ・ドイツ 清潔な帝国』とか『健康帝国ナチス』といった本が出ていますよ。後者は、原著者の概念ではなくて、訳者の言葉なのだけど、「健康帝国」という言葉はナチスをあらわす言葉としてぴったりだと思います。
 ナチスは、ホロコースト以前には、売春宿や犯罪をなくそうとしていました。「社会や国家にとって悪影響を与える邪魔者を消す」という考えが行き着く先には、ユダヤ人を「寄生虫」と呼び、強制収容所に送り込む大量虐殺につながっていくわけです。
 ナチスにとって、清潔と健康という言葉が最も典型的に現れた事例は2つあります。まず強制収容所における「清潔」。これは、囚人に向けられました。強制収容所はそもそも、ユダヤ人を殺すためではなく、労働力の確保のために作られていたんですね。だから、そう簡単に死なれては困る。

―― なるほど。

藤原囚人たちは家畜運搬用の列車で収容所に連れて行かれ、着いてすぐに働ける者と働けない者に選別されて、働けない者は浴室でシャワーを浴びると言われて、ガス室に送られて毒ガスで殺されていきました。一方で労働のために残された囚人たちは、最低限のギリギリの栄養で生かされました。しらみがわかないように頭を丸坊主にされて、病気がはやって死なないように、徹底的に清潔が押し進められていく。収容所の柱に、「清潔は健康のもと」という文言が書かれていたくらいなんですよ。

―― うんうん。

藤原一方で、「健康」については、兵士とその兵士を生む母を確保するために強制されていく。健康というのはみんなが願っていることで、大事なことだし、僕も健康でありたいと思ってるんですが、ナチスの場合はちょっと意味合いが違っていました。女性には、お母さんになり、「生む機械」として健康になってくれ。生ませるお父さん、あるいはその息子は強靭な肉体をもって、立派に戦争に行ってくれということになって、最終的には健康の意味合いがその2つに絞られてしまうんです。

―― うわあ、そうだんったんですね。

藤原そういったところから、僕は清潔や健康といった考え方に対して、うさんくささを感じるようになりました。
 たとえば、小泉政権時代に健康増進法(2002年)が定められて、食育や禁煙が推奨されるようになりましたよね。それを政府がすすめることがいいことに見えるんだけど、そこで定義されている健康の概念が狭すぎるんですよ。僕は歴史を見て、健康が何を意味するのか、何のために用いられるのか、つまり、兵士になるためなのか、国家の医療費の補助を削減するためなのか、あるいは、充実した文化的生活を送るためなのか、ということを、ちゃんと見定めないといけないなと思っています。
 さらに今の時代は、健康であるためにはお金が必要なんです。

―― たしかに...。健康になるためにサプリを買ったり、フィットネスに通ったりしますよね。

藤原そうでしょう。健康産業にお金を落とすための仕組みを、言語システムが作り上げていると思うんですよ。それは清潔についても同様なんです。


本を書いているときがいちばん自由だ

―― 『食べること考えること』の中でも、ご実家の台所のハエ取り紙やごはんにたかるハエの細かい描写があって、すごく不思議だったんです。そういった意識から書かれた文章だったんですね。

藤原そうですね。もちろん僕も毎日お風呂に入るし、せっけんやシャンプーも使うし、歯を磨きます。でも、それは清潔言語システムや健康言語システムがもつ、除菌グッズを買ってきてせっせと除菌しているような「ひたすら感」が漂うものとは違います。僕はその「ひたすら感」に抵抗があるんですよ。

―― 「ひたすら感」......。それは、どうしてなのでしょうか?

藤原うーん、なんとなく、毒ガスを連想させるからでしょうね。毒ガスは、第一次世界大戦で最初に使われ、戦後、1925年にジュネーブ条約で禁止されました。毒ガスを作っていたケミカル産業は、戦後、虫を殺す殺虫剤や農薬を作るようになります。ドイツで穀物倉庫の害虫駆除のために作られたツィクロンBという毒ガスがあるのですが、それはやがてナチス時代にアウシュヴィッツでユダヤ人を殺すために使われました。第一次大戦で生まれた毒ガス技術をもとに殺虫剤や農薬が開発され、それがまた人を殺すために使われていったんです。
 毒ガスというのは、空間に毒を漂わせて殺すという手段です。つまり、一対一の関係で殺すんじゃなくて、うわーって空間に何かを広げて、その中で死んでいただく、という発想だと思うんです。そういう、いっぺんに雰囲気が誰かに決められて関係性が変わるのが、自分で物事を判断して生きていない感じがして、すごく嫌なんですよね。

―― 自分の人生が、国家や誰かに決められているのが嫌だ、と。

藤原そうですね。そして何よりも嫌なのは、自分の言葉がコントロールされることです。僕は、本を書いているときがいちばん自由だと思っているんですが、言葉さえも微妙にコントロールされて、書いちゃいけないことは書いちゃいけないってどこかで思っているんですよね。それがいちばん怖い。
 しかもあまり考えていないと、マスコミが出す情報を鵜呑みにしてしまうわけですよね。すると、みんなが同じ方向に向いてしまいます。誰かが韓国や中国がキライだって言って、みんなその方向にすーっと向いちゃうのは、毒ガス的な感じがします。何年か前に「空気読めない」という言葉がはやりましたが、何かをきっかけに、わって空間ごと雰囲気が変わっちゃうような、空気でみんなをコントロールしようとしたり、されることが、僕は嫌なんでしょうね。


   

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藤原辰史(ふじはら・たつし)

1976年北海道生まれ、島根県育ち。京都大学人文科学研究所准教授。専攻は農業思想史、農業技術史。著書に『稲の大東亜共栄圏』(吉川弘文館)、『カブラの冬』(人文書院)、『ナチスのキッチン』(水声社)、『食べること考えること』(共和国)などがある。

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