本屋さんと私

『京都ごはん日記』いしいしんじ(河出書房新社)

 作家のいしいしんじさんが、ミシマ社京都オフィスのご近所さんらしい――
 そんな噂を耳にしたのと、『京都ごはん日記』(いしいしんじ著、河出書房新社)を手にしたのは、ほぼ同じタイミングでした。

 2014年6月末に築年数不明の一軒家に引っ越したばかりの京都オフィス一同は、周りのお店にも疎く、ご近所づきあいもまだまだこれから。そんなときに読んだ『京都ごはん日記』には、見覚えのあるお店や、ずっと気になっていた焼き鳥屋さん、おうどんやさんなどが多数登場。とっても参考にさせていただいています。

 そして京都オフィスのトリイ・アライ共々、昔からいしいさんの本を読んできたこともあり興奮がおさえられず、ぜひお話をうかがいたい......! と依頼書を直接ポストイン。ご近所のよしみでお引き受けくださったいしいさんに、深遠なる小説の世界、そして京都のお話をうかがいました。
 2日目の今日は、京都についてのおはなしです。

(構成・写真:新居未希)

第134回 京都が引っ張り込んでくれた

2014.12.27更新

すべてがこの家を目指して、一点に集まっていた

―― いしいさんは、東京、三崎、松本、京都と住むところを移られていますよね。いつもどういうふうに場所を決められるんでしょうか?

いしいぜんぶ、自分で決めている訳ではないんです。松本に行ったのは、嫁さんが松本で職人さんに弟子入りしていたからだし、三崎は京浜急行の終点やから、そこに住むようになったっていうだけなんやね。住むのはべつに、日本中どこでもよかった。
 松本の家が5年間で契約が切れたので、どうしようかなっていうときに、嫁さんがいろいろ日本中の家の情報をネットで見てくれて。けど、実際に行ってみないとわからないじゃないですか。どんなかっこいい家でも、隣が深さ5メートルぐらいの窪地かもしれない。水がジャアジャア流れてたりするかもしれない。猫のたまり場になってたりするかもしれない。でもわざわざ行くっていうのは、なかなか難しい。かといって、大阪とか東京とかっていうのはしんどい、と。じゃあ、京都はどう? と嫁さんが言うたので、学生時代に住んでいたから土地勘もあるし、いいんちゃう、となりました。

―― なるほど。

いしい鉄割アルバトロスケットっていう、戌井昭人くんたちがやっているパフォーマンス集団があるんやけど、松本で家を探しているときに彼らが鴨川で公演をするというので、とりあえず宿を取って京都に観に行ったら、もう公演が終わってたんです。戌井くんも既にべろべろで「こんなしょうもない芝居は観なくてよかったですよ~」とか言うてる状態で、「でもこのあと第二部がクラブメトロであるんで、よかったら~」って言うんです。そういえばあの辺りに見に行く家あったんちゃうか、多分この辺りやったと思って、うろ覚えの道を進んで行ったら、コロコロってピンク色のボールが転がってきた。それを子どもにはいって渡したら、そのとき目の前にあったんが今の家なんです。
 そうやって今の家を見つけたのが2009年の10月13日。そしてその一年後の2010年10月13日に僕は、足立病院で子どもを抱いてました。だから家に会うた日と子どもと会うた日とが、同じ10月13日。

―― へえええ、すごい! しかも、いしいさんのお知り合いのお友だちがそこに住まれていたとか...。

いしいそうなんですよ。だから、全部なりゆきなんですけど、すべてがこの家を目指して一点に集まっていたという感じですよね。

―― お生まれは大阪ですよね。でも、大阪はやっぱりしんどい、というかんじだったのですか?

いしい大阪は大都会やからね。なにか用事を持って住んだり、機能として都市を使うっていうには、すごくよくできてると思っています。けど、用がなんもない人はわざわざそんなところに住む必要はないと思うんですよ。大都市は、会社員とか大都市を使う人、大都市の人たちを相手にする人にはとてもいい道具やけど、道具の上には住めへんからね。


内と外の中間が、京都には充満してる

―― 『京都ごはん日記』の中で、「学生時代は京都の京都らしいものがあまり好きではなかった」と書いてらっしゃいましたよね。

いしい嫌いというか、わからないんですね。学生時代は、自分が京都大学に通っているからたまたま京都にいるだけで、今ほど巷にも京都に関する情報が溢れてなかったですし。僕が知ってる京都っていうのは、大学の中と古本屋と、おじさんたちに連れて行ってもらう居酒屋とかだったので、京都を俯瞰して見てなかった。
 まあ、みんな広告屋に騙されてるんですけどね。一度「最近、京都流行ってますね」って言われたことがあって、街が流行ってるってどういうことなんだろうかと思ったんですけど(笑)、あ、広告屋だなと気づきましたね。そういう広告の風が京都中を吹きまいているというのは実際にあって、それで僕たちは嫌な思いをすることもあるし、いい思いをすることもある。まあ、そういうもんだと思っておくほうがいいですよね、きっとね。

―― 京都のいろんなところでいしいさんのお話を耳にするんですが、ひとつひとつのお店と濃い繋がりを持ってらっしゃるなあと感じます。

いしいそれは、京都の街の特性やと思います。お店にいっぺん入ると、そこはもう、ちょっと自分の居場所になる。東京は家を出た瞬間に、きっぱりと外なんですね。内と外で分かれている。けれどその中間みたいなものは、京都には充満してますよね。道端でおばちゃんが、しょっちゅう自転車止めて立ち話してるじゃないですか。前なんて、京都駅行って帰ってきたら、まだ立ち話してたなんてことありましたよ。
 僕はネットワークを確かに持ってはいるんですけど、それはたぶんに息子と一緒にいるからですね。この子がいろんなものを見たがるし、見たがって普通お母さんとかお父さんが「入っていったらアカンよ」っていうところでも、僕は入っていくタチなので、広がるんですね。息子にとってみれば、家は家としてあって、ほかに市役所前の広場なり、点在する自分の居場所というか部屋があって、点と点をつないだら自分の形の京都になる。そういうイメージだと思うんですよね。

―― 息子さんが生まれる前と後では、いしいさんの京都の形は違いますか?

いしい住み始めた頃とかは、京都の人たちのほうがひっぱりこんでくれたところがありますね。自分はなんでこんなところにおるんかな、っていうのが、すごいいっぱいありました。それと息子が生まれたことは、無関係ではない気がしています。京都が引っ張りこんでくれて、その引っ張りこんでくれた内奥で、息子が感知して出てきた。そういう感じがあるんですよね。


    

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