本屋さんと私

『がじゅまるファミリー 7』ももココロ(琉球新報社)

 今回の「本屋さんと私」は沖縄スペシャル! 沖縄ではおなじみ、新聞4コマ漫画「がじゅまるファミリー」作者のももココロさんを突撃インタビューしました。
 ユーモアたっぷりに私たちを笑わせてくれる4コマ漫画は、カタ~イ新聞紙面上のオアシス。新聞には欠かせない存在です。しかも毎日毎日、世の中のできごとを映し出しているんですから、すごいですよね。

 そんな数ある新聞4コマの中でも、一味も二味も違った「沖縄のにおい」を感じさせてくれるのが「がじゅまるファミリー」です。沖縄を知る上で欠かせない漫画と言っても過言ではありません!

 沖縄初となる「沖縄の作家による、沖縄の新聞4コマ漫画」を琉球新報紙上で実現し、それから現在にいたるまでなんと11年以上も連載をつづけてこられた漫画家ももココロさんに、お話をうかがいました。

第139回 沖縄初の新聞4コマ漫画家、誕生秘話(ウチナー漫画家・ももココロさん 沖縄特別編)

2015.03.23更新

沖縄の新聞4コマは、すべて県外の人が描いていた


―― 「がじゅまるファミリー」をはじめられたきっかけは? 

ももココロあるきっかけがあって「漫画家になろう」と決意したものの、その時点ではまだなにを描くのか、方向性は決まっていなかったんです。それで情報収集がてら、図書館に行って新聞を読んだりして......。ちょうどそのときは1月で、新聞の4コマ漫画では、雪が降って子どもが雪合戦をしたり、かまくらをつくったりする様子が描かれていたんです。でも、沖縄で1月といえば、もう桜の季節。なんだか違和感があったんです。

―― 桜が咲きはじめたという記事の横で、4コマ漫画では雪が降っている......

ももココロ「なんでだろう」って妻に話したら、「県外の人が描いてるんじゃない?」って言われて、気になってすぐに近くの図書館まで行って調べたんです。沖縄には「沖縄タイムス」と「琉球新報」っていう2つの大きい新聞があって、その過去20年分の新聞を見せてくださいって言って、全部調べて見たら、作者名に沖縄らしい名前がなかったんですよ。

―― 沖縄特有の苗字ってありますよね。

ももココロええ、これは沖縄の名前だっていうのが作者名になかったので、「僕が生きる道はそこかもしれない」と、直感的にピーンときたんですよね。
 沖縄で生まれ育った僕だったら、新聞4コマで、沖縄の季節感に合っているものとか、風習とか言葉とか、いろいろなものを描けるんじゃないかと思って。それを目指してひとつずつ4コマを描きためていったという感じですね。


原稿「持ち込み」第1号

ももココロそこから1年間という期限を決めて、漫画家になる修業をしようと思って描きはじめたんですよ。

―― それがもう、10年以上前のことなんですね。

ももココロそうですね、2003年です。

―― そして連載のスタートが2004年の1月1日......ピーンと来てから連載スタートまで、わずか1年足らずです。

ももココロちょうど新年から描きはじめて、コツコツ描きためていきました。そうして秋ぐらいに、それまで描いた漫画を数えてみたら、ぴったり100作品あったんです。

―― !!

ももココロぴったりなんです、ほんとに。99でもなくて101でもなくて、もうぴったり100だったので、ちょっとテンションが上がって。「行動しよう!」と思って、新聞社に電話をかけました。そうしたら新聞社の方が「送ってください。まずは見てから」とのことで......。後で聞いたら、そういうことをやった人はいなかったそうです。

―― 原稿の持ち込みをする人がいなかった?

ももココロはい、4コマは全国配信の共同通信から来ていたので、地元の人がこういうふうに送ってくることはなかったらしくて。それで僕は朝一番に郵便局に行って速達で出したら、次の日のお昼に電話がかかってきて、「作品を全部見せてもらいました。もし良かったら、1月1日から連載しませんか」と。それが2003年の11月28日のことでしたね。

―― 即決......!

ももココロ「え、えぇ~!」って、ほんとびっくりしました。僕はまず見てもらって、こういうふうに直したほうがいいよ、とかいろいろアドバイスが欲しくて送ったんですけど、「すぐに連載を......」とのことで、数日後には担当者の方と実際に会って話をすることになりました。


34歳、漫画家を志す

―― 漫画の原稿を送るのは、それが人生初だったんですよね?

ももココロはい、漫画家を目指すまでは普通のサラリーマンだったので。

―― え、そうだったんですか?

ももココロそうですね。社会人になってからは、旅行会社とか、専門学校の職員とか、他の仕事をしていて。
 30歳を過ぎて、仕事のなかった時期に、いろいろな会社を受けたんですけど、どこも落ちてしまって。「もうすぐ35歳なのに、どうする」っていうときに、当時住んでいたアパートのおばあちゃんに「今日も試験に落ちた」とか愚痴っていたら、おばあちゃんが「あんた35歳になるって、いつも年齢のことをぐちぐち言っているけど、わたしは85歳だよ。あんた私の歳まで50年もあるのになに言ってるの。好きなことやったらいいさ~」って言われて。それでハッとなって。もうなんでもいいや~ってヤケになっていたんですよ。もう受けても受けても落ちるので。

 「自分の好きなこと......」と考えていたときに、家を掃除していたら古い段ボール箱が出てきて、開けたら中学時代に描いていた落書きノートがいっぱい出てきたんです。漫画が好きで描いていたんですよね。それで「あっ」と思って。どうせ普通に会社受けても通らないんだったら、あのとき一番好きだったことにもう一度挑戦してみよう、と思ったんです。


100本のアイディア、半年で0に......

―― 突然の連載開始、大変じゃありませんでしたか?

ももココロそうですね、最初は心配だったわけですよ。連載はうれしいことなんですけど、もともと原稿を新聞社に送ったのもアドバイスをもらいたいと思ってのことだったので。最初に新聞社の方と会ってお話をしたとき、僕は「あともう1年修行をして、またそのときにタイミングがあえば......」と提案したんです。そうしたら「君は誰にも頼まれないのに100本描いたじゃないか。3カ月分あるでしょ。失敗してもいいから、挑戦してごらん」と言われて。

―― 懐の深い方ですね。

ももココロあとで大手全国紙の記者さんともお話したんですけど、「まったくの経験もない無名の人に場所を提供するなんて、うちではありえない」と言われました。「やっぱりネームバリューが重要だから、まったく無名の人にチャンスをあげるっていうのは考えられない」って。
 それで、ぼくもその言葉に乗せられて。まぁ、100本あるということはつまり、100のアイディアの貯金があるわけです。まさか半年後に、その貯金が0になるとは思ってなくて......

―― 連載半年後に貯金が尽きてしまったんですか?

ももココロはい。もうそこからは大変でした。日々、情報収集をしたり、図書館へ行っていままで読まなかったような本も読んで、おもしろいネタを探しつづけましたね。どういうふうにしたら、漫画がおもしろくなるかなって。

<明日に続きます>

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

ウチナー漫画家 ももココロ

1968年 沖縄県読谷村楚辺生まれ
1990年 KBC国際電子ビジネス専門学校卒業
     旅行会社、専門学校などに勤務
2003年 漫画家を目指し1年間の漫画家修行
2004年 琉球新報でウチナー4コマ漫画「がじゅまるファミリー」の連載がスタートし、漫画家デビュー
2014年 「がじゅまるファミリー」の新聞連載が10週年を迎える
主な作品(4コマ漫画)に、「がじゅまるファミリー」(1~7巻)「ハイタイ! チョンダラ子やいびーん」「チビネコじゅうじろう」「健康スイッチ♪」「いとしの琉球カウボーイ」がある。

バックナンバー