本屋さんと私

  

 幻想と現実の入り混じった世界や社会問題を鋭い筆致で描きつづけている作家、星野智幸さん。大江健三郎賞を受賞した『俺俺』が2013年に映画化されたことも記憶に新しいですが、小説の世界だけではなく、時事短評やエッセイなどでも幅広く活躍されています。

 そんな星野さんの初エッセイ集『未来の記憶は蘭のなかで作られる』が、2014年末に刊行されました。1997年にデビューをされてからの17年間に書かれた、身辺雑記、社会時評的な思索、旅の記憶、文学についてからサッカーのことまで。過去にさかのぼるように並べられたエッセイたちは、ときに胸をえぐり、揺さぶり、輝かせ、彩りを与えてくれます。

 そしてとにかく美しい文章と丁寧な言葉たちは、素晴らしいのひと言に尽きます。ふだん生きているなかで、気づかなかったこと、見ないふりをしていたこと、思い至らなかったたくさんのこと。そんな端々に思いを巡らせる、一人ひとりにとって、大切な一冊になること間違いありません。
 珠玉の言葉たちを紡ぎ出す星野さんに、エッセイ集のお話から、文学について、メキシコについて、自分を生きるということについて、たくさん伺いました。

(構成・写真:新居未希、構成補助:中谷利明)

第145回 他人に迷惑かけていい(星野智幸さん編)

2015.05.18更新



「形式的なもの」の外へ

―― 星野さんの作品を、いち読者として拝読してきたなかですごく感じるのが、文章というか、言葉に対する信頼や愛情をすごくお持ちだ、ということです。それが読者側にも伝わってきて、読んでいる私も言葉を信頼していくというような幸せな循環があるなぁと思いました。言葉に対してそのような気持ちを抱かれる、何かきっかけのようなものはあるでしょうか?

星野やはり自分の読書体験というか、小説を読んできた経験だと思います。小さい頃はただ夢中になって読むだけだったんですが、10代半ばすぎくらいから、友だちにせよ周りの大人にせよ、周囲の人の話す言葉がすごく形式的で、受け売りみたいに聞こえる場合があるなあと感じるようになって。人間関係がうまくいっているときは問題ないんですが、うまくいっていないとき、たとえば友だち同士の会話がたまたま聞こえて「あれ? あいつ、こないだと言ってること違うじゃん」と思うことがあったときなんかに、他人の言葉を間に受けていいのか、という懐疑を抱いたりしていたんですね。

―― うんうん。

星野そういうときに好きな小説を読むと、懐疑を抱いてよいのだ、と肯定されるんです。なぜなら、小説とは、ありとあらゆる言葉を疑ったうえで、それでも意味のある言葉で書かれているから。自分が懐疑しているときに使っているのと同じ種類の言葉なんです。だから、小説の言葉は信頼してよいのだと感じました。小説の言葉には、自分の気持ちを預けることができた。何かあると小説を読んで自分を立て直すという習慣が、どんどん自分の中で確立されていったんですよ。
 小説というのは、形式化して空虚になった言葉をもう一度信頼できるものに更新していく、そういう浄化機能のあるメディアだと思います。

―― なるほど。

星野なので自分が言葉を発するときも、形式的なものにはならないように努めています。「形式的なもの」に乗っかれば、みんなに受け入れられやすくなるんでしょうが、それは実際には空虚な言葉を繰り返しているだけなんですよね。
 「形式的なもの」を避ければわかりにくいとされるときもあるし、一般に思っていることとの受け止められ方にズレが生じることもありますが、むしろそのズレがあることが重要なのかなと思っています。


『百年の孤独』で広がった世界

―― 星野さんは、メキシコに留学されていたり、海外文学、とくにラテンアメリカ文学にお詳しいと伺いました。これは率直な疑問なのですが、どうしてラテンアメリカだったのでしょうか?

『長くつ下のピッピ』『名探偵カッレくん』アストリッド・リンドグレーン(岩波少年文庫)

星野僕は昔から、日本文学より海外文学のほうが好きな子どもでした。小学生の頃、親から児童文学を差し出されていたんですが、自分がのめりこんだのは、日本の児童文学ではなくて外国のものだったんですよ。
 とくにリンドグレーンという、スウェーデンの作家が大好きでしたね。『長くつ下のピッピ』や『名探偵カッレ君』、あの辺りにものすごくのめりこんじゃって。

―― おお、リンドグレーン! 「エーミル」のシリーズなんかも、大好きでした。

星野いいですよね! それでリンドグレーンをきっかけに、「ドリトル先生」シリーズや岩波少年文庫の他の本もどんどん読んでいきました。なのでそこで海外文学のベースができて、そのままその方向に進んだんですね。それと父親が海外志向のすごく強い人間で、職業柄しょっちゅう海外に出張していることにも影響されていたと思います。

―― おお〜、なるほど。

『百年の孤独』ガブリエル ガルシア=マルケス(新潮社)

星野そうしてずっと海外文学をベースに読み続けていたので、ちゃんと日本の文学を読み始めたのは高校生くらいになってからでした。高校から大学にかけて文学史を紐解きながらいろいろと国内外の近現代小説を読んでいくと、どうやら小説というものが行きづまって終わりを迎えていることに直面する。とくにフランスのヌーヴォー・ロマンを読むと、「それ以上のことはできないし、何をやっても既に誰かがやってるよ」と言われている気がして、僕も影響を受けつつ、行きづまり感を覚えてしまったんですね。
 そんなとき、安部公房のエッセイを読んでいたら「ガルシア=マルケスの『百年の孤独』という、すごい本があって驚いた」ということが書かれていて、早速読んでみました。するとまったく袋小路どころじゃなくて、むしろ「小説が終わりだなんて、何言ってるの?」となるくらいにすごい世界が広がってたわけなんですよね。


ぶっ飛んだ国々、ラテンアメリカ

星野『百年の孤独』を読むか読まないか、くらいのときにメキシコW杯(1986年)があったのですが、TVを見ていると試合後の街の様子がニュースで流れていて......そこでは、尋常じゃないことが起こってました(笑)。みんな歓喜の表情で恍惚としながらも、血を流したりしていたり。割れたガラス瓶を振り回したりしているんですけど、ケンカをしているというよりかは、お祭り騒ぎになってるんですよ。それで「今日の死者は一人しかいませんでした」とか言っている(笑)。まったく未知の世界に触れて、もうただただ飲み込まれましたね。

―― それはすごい世界ですね!(笑)

星野その後にラテンアメリカの小説を読むと、その世界がそのままというか、言語までぶっ飛んでいるわけですよ。「こういうふうに小説は書かなければいけない」ということを逸脱するような言葉や形式で書かれていて、「何でもあり」というふうに見えたんですね。
 それで、ずっとラテンアメリカのことが気になっていたんですが、大学を出た後は、サラリーマン生活というものをしてみたいな、と思いまして就職をしました。そうして新聞社に入って3年くらい勤めたら、やっぱり文学のほうに戻りたいという気持ちがハッキリしてきた。「やらなかったら一生後悔するな」と思ったので、仕事を辞めて、まずは10代の頃から考えていた「日本以外の土地で生活してみる」というのを実践してみようと思ったんです。

―― 星野さんは、お生まれはアメリカですよね。アメリカに住もうとは思われなかったのでしょうか?

星野そうですね、最初は漠然とアメリカがいいだろうと思っていたんですが、やっぱり日本の常識が通用しないようなところがいいなと思いまして......するとパッとメキシコのあの光景が浮かびました。「あそこに行くしかない」と思い込んで、メキシコに行くことにしました。そのときは下手したら帰ってこなくてもいいかな、くらいの気分でいたんですが、帰ってきちゃいましたね(笑)。


他人には、いくらでも迷惑をかけていい

―― メキシコに行かれて、印象に残っていることはありますか?

星野そうですね、僕は実際にそこまでのことはできなかったんですけど、「他人にはいくらでも迷惑かけていいんだ」ということを学んだことでしょうか(笑)。

―― あはは!(笑) すごくいいお話ですね。

星野本当に迷惑かけられるんですよ。迷惑というより、めちゃくちゃですからね。約束は守らないし、騒がしいし、調子いいし、しかもイノセントな感じで謝られます。本当に頭にくれば、ちゃんと怒ればいいんですけどね。
 ラテンの人たちはよく陽気だと言われますし、実際に陽気ではあるんです。けれど日本人の抱いているイメージと違うなと思ったのは、陽気というより感情の起伏がすべて激しいということなんですね。

―― へえ〜〜。

星野あらゆる感情を制限せずに大きく表すので、ネガティブなときはすごいネガティブだし、暴力的になるとどこまでも残酷になる。そういう感情の振れ幅が大きいんです。だから日本人と同じ接し方をすると、激しく振り回される。
 最初のうちは、「やっぱ向いてないのかな......」「なんでこんな目にばっかり会うんだ」と思うこともありました。けれど徐々に慣れていくと、自分も同じようにやればいいんだ、ということに気がついた。ようするに、適当になるんですね。そうすると釣り合いがとれてくるというか。そうすることで全然問題は......なくなりはしないんですけど(笑)、でもなんというか、ちゃんと世の中が回ることは回ります。何よりも生き方が楽になります、すごくね。

―― 大事なことですね。

星野そしてメキシコ人はお互いに感情をぶつけ合うので、あれでいて他人が傷ついていることにとても敏感なんですね。基本的には、全然他人のことなんて考えずに自己主張しているんですが、ここぞというときはこっちが何も言わなくても急に「辛いんだろ」と声をかけてくれる。その感じがすごくありがたいんですよね。
 だから信頼関係ができると、振り回しあうんだけど、孤独になったり空虚になったり、なんか生きてる感じがしないということはなくなります。それが一番メキシコで学んだことですね。

―― 素晴らしいです!

星野だから日本に帰ってきたとき、僕は相当周りから浮いてましたね! テンションがメキシコにいたときのままなので、電車に乗っても隣の人にすぐ話しかけてしまったり。しかも目を凝視して話すので、友人からも「目つきが変......」と言われました。今は完全に日本のテンションになっていますから、おとなしいですけど、あの当時は過剰でしたよ。

―― 今のお姿からは、想像がつきません!(笑)


<つづきます>

   

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星野智幸(ほしの・ともゆき)

1965年アメリカ・ロサンゼルス市生まれ。早稲田大学卒業。新聞社に勤務した後、91年から95年のあいだに二度にわたってメキシコへ留学。97年、『最後の吐息』で第34回文藝賞を受賞しデビュー。2000年、『目覚めよと人魚は歌う』で第13回三島由紀夫賞、03年『ファンタジスタ』で第25回野間文芸新人賞、11年『俺俺』で第5回大江健三郎賞、15年『夜は終わらない』で第66回読売文学賞を受賞。14年11月、初のエッセイ集となる『未来の記憶は蘭のなかで作られる』を刊行した。

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