本屋さんと私

  

 幻想と現実の入り混じった世界や社会問題を鋭い筆致で描きつづけている作家、星野智幸さん。大江健三郎賞を受賞した『俺俺』が2013年に映画化されたことも記憶に新しいですが、小説の世界だけではなく、時事短評やエッセイなどでも幅広く活躍されています。

 そんな星野さんの初エッセイ集『未来の記憶は蘭のなかで作られる』が、2014年末に刊行されました。1997年にデビューをされてからの17年間に書かれた、身辺雑記、社会時評的な思索、旅の記憶、文学についてからサッカーのことまで。過去にさかのぼるように並べられたエッセイたちは、ときに胸をえぐり、揺さぶり、輝かせ、彩りを与えてくれます。

 そしてとにかく美しい文章と丁寧な言葉たちは、素晴らしいのひと言に尽きます。ふだん生きているなかで、気づかなかったこと、見ないふりをしていたこと、思い至らなかったたくさんのこと。そんな端々に思いを巡らせる、一人ひとりにとって、大切な一冊になること間違いありません。
 珠玉の言葉たちを紡ぎ出す星野さんに、エッセイ集のお話から、文学について、メキシコについて、自分を生きるということについて、たくさん伺いました。

(構成・写真:新居未希、構成補助:中谷利明)

第147回 男であること、女であること

2015.05.20更新



男であることに責任を感じる、ということ

―― エッセイ集のなかに、「日本国籍を持っていることと男であるということに、罪悪感と責任を感じる」という一文があったことがすごく印象に残っていて。昨今、女性がこれからどう働いていくかなど、女性の生き方が話題にのぼるようになりました。個人的にも気になる問いだからこそなのですが、「責任を感じる」という、そんな真っ直ぐな言葉を読んだのは初めてでした。そういう考えに至った経緯など、教えていただけますか?

星野僕が新聞社を辞めた1990年ごろは、ちょうどバブル期でした。バブル期だから、辞めてもいくらでも仕事はある。やりたいことのために、なにがなんでも今の職に我慢してしがみつく必要はない時代でした。企業を辞めてベンチャー事業を始めることもブームになっていましたし、いろんなことを始める人が多かった。
 それで「僕も辞めて文学に行こう」と思い周りの人に相談したら、男はみんな「文学なんかで食っていけるのか」「アテもないのにやるのは危険なんじゃないか」と言う。一方で会社の愚痴ばっかり言っているんですね。そしていざ具体的に「僕は辞めるよ、お前も辞める?」と言うと、独身の24、5歳の男が「いや、生活があるし......」と言うわけです。

―― おお、なんだかすごく、目に浮かぶようです......。

星野ところが女の人たちはどんどんどんどん辞めちゃって、本当に自分のやりたいことへ向かって職を変えたりしていくんですよ。それでそういう人たちに転職の話をすると、「いいんじゃない?」と言うんですね。そのときに、男ってよくわからないものに囚われてるなあと感じました。
 それに比べて女の人は圧倒的に自由でね、バブル期にあった日本の経済が作り上げた自由をちゃんと使ってる、と思ったんです。それで、僕もそういう恵まれた環境におかれているんだから、その自由をちゃんと使おう、と思って仕事を辞めました。

―― はい。

星野そうしてフリーの立場になってから、男が囚われているものについて考えていると、今度は女の人から糾弾されるんですよ。「名もない駆け出しなのに仕事がもらえるのは、お前が男だからだ」「自分は女だからなんらかの実績やつながりがないと、その仕事はもらえない」と。
 でもこちらにはその自覚がないんですよね。だから「そんな、恵まれてるとかの話じゃないよ」と言ってしまって、またボコボコに言い返される。トラウマになるくらい何度もその経験を繰り返していくと、ようやく言われていたことが本当に見えるようになってきた。「ああ、やっぱりあのとき自分が仕事をもらえたのは、自分が男だったせいだ」というのが、経験を積み重ねたら見えてきてね。

―― うーん、なるほど......。

星野本当にそこには落差があったんだということがわかるようになったんですが、それでも攻撃されているときは不当な気分しかないですよね。「自分はがんばっているだけなのに、なんでそんなに言われなきゃならないんだ」と思うんだけど、そのときにわかったのは「下駄を履かせてもらってる側には下駄は見えないんだ」ということなんです。それは性差だけでなくて、例えば外国籍の在日の人と日本国籍を持っている日本の人との差でも、下駄を履かせてもらっている側にはわからないものなんですね。

―― でもなぜ下駄を履かせてもらっている側は、そのことがわからないのでしょう。自戒を込めて、疑問に思います。

星野自分がスタートした標準をゼロと考えているので、それよりマイナスの側にいる人たちに対して想像力が至らないんだと思います。人間は自分を基準に考えて、標準の感覚を持ってしまうんだということを、僕は思い知らされました。
 それで、マイナス地点からスタートした人から批判されると、自分の基準を壊される気がして、過剰な防御反応を起こして、攻撃し返すわけですよね。攻撃をし返すことがいかに理不尽かということにも、気づいていないわけなんです。


男を解放しなければ、自由にはなれない

星野もうひとつは、自由なのにその自由を行使できずに縛られてしまっている男の人たち。本当に与えられた自由を使い尽くす、その価値を自分で消化できるようになるためには、縛られてる状態を解かないと自由にはなれないと思ったんです。それで、男を解放すると書いて「男解の世代」というのも一時期考えて、デビューから10年ぐらいはそんなテーマをはっきり打ち出した小説を書いたりもしました。
 だから女の人たちが、下駄を履かせてもらっている男たちと同じスタートラインに立つには、女の人たちの機会を平等にしていくだけではなくて、男を解放しないと成り立たない。でないとずっと攻撃し返し続けてしまいますから。

―― そうですね......攻撃からは何も生まれないです。

星野縛られていることを自覚して、そこから解放される。それは男の側から見たら、自分がいま持っていると思い込んでいる利権を手放すことであり、男というステージから降りるということを意味するわけです。実際には空虚でなんの利権でもないものを利権だと思い込んで握っているだけなんですが、やっぱり心の奥底に組み込まれているものなので、それを手放したり降りるということにはものすごい恐怖がある。だから、なかなかできないんですね。しかしそれを自覚してゆっくりおろすことは、女の人がすることではなくて男がやることだと思っていて。それで、「男を縛っているものは男が解く」ことに、男である自分は責任があると思ったんです。

―― なるほど。

星野日本国籍を持っている、という責任もそういうことですよね。でも結局その責任を負いきれないまま、今のような下り坂の局面に入ってしまっているので、男の人たちの反動と攻撃性は異常な状態になっています。こうなるとそれを解くのも至難の技だとも思う。でもやるべきことはそういうことだと思っていますね。そのほうが男も楽になると思うんですよね。

―― 本当にそうですね。

星野個人参加のフットサルなんかに行っても、初対面の男同士って、なかなか挨拶できないんですよ。気さくにする人もいますが、圧倒的に少数派です。そこには変なプライドと不安があって、自分から先に挨拶して反応が薄かったら恥だと感じてしまうものだから、待ちの姿勢になるんです。ところが女同士はもう少し積極的にざっくばらんに挨拶して会話している。そういう光景はよくあって、老人ホームとか高齢者の集まりでも男の人はなかなか打ち解けられないで、孤独化しているケースは多いそうですよね。

―― たしかに、よく耳にします。会社を定年退職して以降、家族以外の人とほぼ会話を交わさない男性も多いとか......。

星野マンションでも挨拶をするのは女性同士で、男性は挨拶しないんですよね。挨拶すれば楽になるのに、と思うんですけど、なかなかしない。そういうことが男の縛りとしてあると思います。もちろん僕の中にもそういう縛りはたくさんあって、この社会の男文化の中で生きていれば、気づかないうちに刷り込まれていくんですよね。


本という、ウキウキした魅惑的な異界

―― 最後にすこし、本屋さんのお話も伺わせてください。

星野昔は書店にも足繁く通っていたんですが、最近は残念ながらあまり行けていないんです。
 子どもの頃は、田園都市線の江田という、開発の進んでいない新興住宅街に住んでいたので、本屋さんがあまりなかったんですね。でも隣にあざみ野という駅ができたとき、駅前に図書館が開館したんですよ。それで、できたての図書館が居場所になった。秘密基地であり、隠れ家であり、遊び場でもありましたね。

―― 想像するだけで楽しそうです。

星野本屋さんに一番よく行っていたのは、ラテンアメリカ文学を勉強していた頃です。あの頃のリブロ池袋本店の、海外文学の品揃えは本当に素晴らしかったなあ。どこに行っても置いていないラテンアメリカの資料がズラーッと並んでいて、背表紙を見ているだけで、読んでもいないのに恍惚としてくるんですよ(笑)。

―― すごくわかります(笑)。見ているだけで、しあわせな気分になりますね。

星野あとは、もうなくなってしまいましたが、ブックファースト渋谷店にもよく行きました。あそこは本当に好きで、いるだけで落ち着きましたね。
 あのブックファーストがなくなったあとは、あまり本屋さんに行かなくなってしまいました。自分が忙しくなって、本を買っても読みきれないからのべつ幕なしには買わない、という変な縛りをかけたのもあって......。マイナーな本が置いてないと、なんとなくへこむし。
 でも最近は、いい古本屋さんがいくつかできていますね。行くと、子ども時代のウキウキした魅惑的な異界が再現されていて、目眩を覚えるような。谷根千にある「古書ほうろう」や、学芸大学駅の近くの「流浪堂」など、強烈な佇まいを持っていますね。あとは学芸大学駅近くの「SUNNY BOY BOOKS」もそう。

―― 新しく古本屋を始められる方も、近頃は多いですよね。関西のほうも、古本屋さんにすごく勢いがあるんです。

星野センスとコンセプトというのがはっきりしていて、面白いです。昔の発掘する感覚とはまた違うと思うんですが、その空間自体に魅力がありますよね。

―― 今日は素敵なお話、本当にありがとうございました!


   

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星野智幸(ほしの・ともゆき)

1965年アメリカ・ロサンゼルス市生まれ。早稲田大学卒業。新聞社に勤務した後、91年から95年のあいだに二度にわたってメキシコへ留学。97年、『最後の吐息』で第34回文藝賞を受賞しデビュー。2000年、『目覚めよと人魚は歌う』で第13回三島由紀夫賞、03年『ファンタジスタ』で第25回野間文芸新人賞、11年『俺俺』で第5回大江健三郎賞、15年『夜は終わらない』で第66回読売文学賞を受賞。14年11月、初のエッセイ集となる『未来の記憶は蘭のなかで作られる』を刊行した。

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