本屋さんと私

『ノルゲ Norge』佐伯一麦(講談社)

 

 読み終わって何年も経っているのに、その小説の世界の風景が心の中に鮮明に残り続けている作品というのがあります。佐伯一麦さんの小説は私にとってそういう存在で、なかでも『ノルゲ Norge』(2007年、講談社)は、まるで自分がその景色を見てきたかのように、作中の光景が今でも目の前に思い浮かびます。

 1984年に作家デビューされて以来、30年以上にわたり「私小説」と呼ばれる長編小説を中心にご執筆を続けてこられた佐伯一麦さん。20年ほど前から郷里の仙台市に住まわれ、東日本大震災も体験されました。

 今回は緑に囲まれた素敵なご自宅で、私小説とは、文学とは、書きつづけることについて、本屋さんについて、たくさんうかがいました。作品から感じる印象と同じく、言葉が温かく深く響いてくるようなお話、どうぞお楽しみください。

(構成:星野友里 構成補助・写真:八巻祐子 )

第153回 私小説のいろいろな可能性をやってきた

2015.08.12更新

小説とは、イメージで語られることに、どれだけ抵抗できるかということ

―― さきほど、最初の頃は自分の内面を書いていたのが、途中から外に目を向けるようになった、というお話もありましたが、それ以外にも30年書き続けられてきて、変わってきたこと、逆に変わらないことなどはありますか?

佐伯そうだね。本当に長いようでもあり、短くもありという感じなんだけども。一昨年かな、「新潮」という雑誌で島田雅彦と対談したんです。彼が僕より一年早くデビューしたので、文学渡世三十年みたいなテーマでね(笑)。島田君に「君はブレずにやって来たね」と言われたんだけど、島田は本当にブレまくり。それは、いい意味で。ちゃんと時代に反応してブレるのが島田だなと思うというような話していて。そういう意味では、島田も変わらないと言えば変わらないかもしれないけれども。

 でもまあ、一つやろうと思っていたのは「私小説というものはこういうものだ」というある一つの固定観念なり先入観というのが世の中にずいぶんあってね。書き手の「私」というものを反時代的に打ち出したり「こんなに変わっているんだぜ」みたいな。ようはそうじゃなくて、私というものを通した他人を描けるんだ、ということを書きたいと思ってきたから。我ながら私小説のいろんな可能性は、やってきたつもりではあるんですよ。

『光の闇』佐伯一麦(扶桑社)

 震災をはさんで出したけれども、『光の闇』という小説だと、自分の見知っている人の中からいろんな欠損を抱えている人たちについて、私小説の方法で自分とのかかわりの中で書いたりとか。それこそ『ノルゲ』では、私小説がノルウェーを舞台にしているとか。三十年それなりに、いろんなものを書いてきたなという思いはあるんだけどね。

 小説というと、あるイメージで語られがちなんだけれども、結局、小説というか文学というのは、単なるイメージで語られないようにするというか、イメージで語られることに、どれだけ抵抗できるかっていうことなのかな。文学はイメージにならないものを打ち出していくというかね。それは、これからもやっていきたいと思ってますけどね。


結局はコミュニケーションを求めている

―― ある一つの確信に向かっているというよりは、一つ一つ、目の前にあることをやっているというイメージでしょうか。

佐伯そうですね。それは、なんていうのか、とりあえず書き手の人格が崩壊しなければ、なんか色々やってきたことが、さっきの島田のブレまくりの話にも通じますが、それは、その人の表現として結局はやっぱりなにか大きい一つのものになっているんだと思うんですよね。一生かかって大著をコツコツとまとめるんだっていう感じではないんですね。

 人間はやっぱり変わるものなんですよ。人間の変わらなさ、執念というものも、ないではないんだけれども、しかしやっぱりそれは、頑なさと紙一重な時もあって、こういう芸術的な表現の場合は、それはどうなのかなっていう気もするんですよ。単なる頑なさだけで、苦節何年みたいなものではないんじゃないかなという。文学なり芸術というのは、最初の出発点は自分がこういうのをつくりたいとか、そういうものかもしれないけれど、結局はそれが人にどういうふうに見てもらえるかとか、伝わるかというようなものだから。結局は辛うじてでもコミュニケーションを求めている作業なんだよね。どうしたってね。

 そうなってくると、「いや、俺はもうこれでいいんだ」と周りの声に耳を塞ぐというのは、それでいいのかなっていうところはあって。そういうふうに背中を向けられると何も言えなくなってしまう。僕はやっぱりそこは「なるほどな」と思って変えていったり、そういうほうが性に合うというか。


自然とは和解したけれど、人間とは和解できていない

―― 作品の中で、故郷としての仙台に対する愛憎は何度も書かれていますが、そういう思いをいったん置いておいた時に、仙台についてどういう所だと思いますか。

佐伯まあ自然がまだこの辺なんか残っているしね。自然は気に入って住んでいるところはありますけれどもね。海も近いし、山も近くて。まあ・・・人間はどうかなってのは(笑)。まあね、仙台が嫌で18歳の時、東京へ飛び出していったわけだから。何となく、自然とは和解したけれど、人間とは和解できていないっていうか。死ぬ前までには、なんとかできるのかなって思うけれど。

 でもあとはどうなのかな。変わってきたところも、いい意味であってね。東北各地から人が集まるようになってきたんで、前よりは少し開かれた感じはあるんじゃないかな、とは思いますけれどね。坂口安吾が仙台に来て、仙台の人はちょっと慇懃無礼というか、「何々でござりすてござりす」とか、敬語が二重になっちゃうような、そういうようなことはあるので、それを安吾はからかっていたりもしますね。刑務所が立派だって安吾は言っていて、その界隈は新聞配達をした場所だったこともあって、同感しましたけれど。

 仙台って、魯迅や島崎藤村、岩野泡鳴といった文学者たちが大成する前の、一つの通過点になる場所だったんですね。それがここ最近は、仙台で小説を書いている人がずいぶん増えてはきたんで、少しずつは変わってきたかなとは思うんですけれどもね。ただ少なくとも、なんていうのかな・・・。ふるさとっていうのは、遠きにありて思うもの、と室生犀星が詠ったり、ふるさとは語ることなし、と安吾が語ったりというように、文学者にとってはアンビバレンツなもので、作家がふるさと自慢をしたらちょっと違うんじゃないかな、という気もするので(笑)。

――今日はたくさんのお話、本当にありがとうございました。



   

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佐伯一麦(さえき・かずみ)

1959年、宮城県生まれ。
宮城県立仙台第一高等学校卒業。
週刊誌記者、電気工等の職業につく傍ら、創作を志す。1984年「木を接ぐ」で海燕新人賞を、1990年『ショート・サーキット』で野間文芸新人賞、1991年『ア・ルース・ボーイ』で三島由紀夫賞、1997年『遠き山に日は落ちて』で木山捷平文学賞、2004年『鉄塔家族』で大仏次郎賞、2007年『ノルゲ Norge』で野間文芸賞を受賞。他に『石の肺――僕のアスベスト履歴書』『とりどりの円を描く』『麦主義者の小説論』『還れぬ家』『渡良瀬』など多数の著書がある。

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