本屋さんと私

『空が分裂する』最果タヒ(新潮文庫nex)

 若者中心に人気の現代詩人家、最果タヒさん。最近では小説にも活躍のフィールドを広げられています。最果さんといえば、詩をつけまつげにするなど、その大胆な詩の表現方法が話題となっていますが、私(デッチ・佐久間)は、作品の中の言葉一つ一つの美しさにとても心惹かれています。
 2015年の8月に出版された『空が分裂する』は、そんな詩の言葉の美しさがイラストとともに表現されている一冊。今回は、その詩に魅了されたデッチの「ぜひお話を伺いたい」というインタビューのお願いを、最果さんが快く受けてくださったことで実現しました。
 美しい言葉と大胆な表現で詩を生み出す最果タヒさんに、詩の創作や本のこと、本屋さんについて、たくさんのお話をうかがいました。お話をうかがっていると、言葉に対する思いや、詩という表現方法への強い思いが、その言葉を通して伝わってきました。全3回のインタビュー、ぜひお楽しみください。

(聞き手、構成:佐久間楓、星野友里)

第163回 読む人の存在を意識して書くというのは大事なんです(最果タヒさん編)

2016.01.04更新

言葉を書くということ自体がおもしろい

ーー 大学在学中に中原中也賞を受賞されましたが、詩を書き始めたきっかけは...?

最果詩だと思って書き始めてはいないのですが、中学生からずっとブログを書いていて。具体的な日常の話をするというよりは、自分の考えをボワーッと書くという感じでした。

 当時はツイッターもなく、HTMLを手打ちしてサイトをつくり、そこで変な人が変なことを書くという時代でした。だから、日常をただ書いてもいい空気ではなくて、私は当時中高生でしたし、人が読んでおもしろいような変な経験もなかったので、仕方がないからぐるぐる考えていることをそのまま書いてみようかな、って思ったんです。そしたら大人の人たちから、「君の書いているの詩っぽいね」と言われるようになって。詩の投稿サイトを探して、なんとなくそこから詩の投稿を始めました。

ーー 早い時期から書かれていたのですね。

最果文章を書くということ自体が楽しかったんですよ。小さいときから空っぽな子どもだったというか、たぶん、まわりの子よりも世の中に疑問を持っていなかった。趣味もあまりなくて、でも言葉を書くということ自体がおもしろかったんです。他の人が料理を楽しいと感じたりするのとたぶん同じ感覚で、趣味として書くことが楽しいと思っていました。

 それも、自分の気持ちを言葉で表現しているというよりは、何も考えずに言葉を書いて、その書いた言葉に誘導されて、次の言葉が私の思いもよらない形で飛び出してくる、というところがおもしろくて。だから、あんまり悩んで書いていないので、悩むことへの憧れは若干持っています。


なんか渋谷に行くと書けますね

ーー どんなときに詩のフレーズが思いつきますか?

最果よくあるのは水を触っているときですかね。あとはテレビのバラエティ番組を見ているときですね。すごくいろんな人がしゃべっているのを見ていると、情報量が多いのでポンポンポンッて頭が刺激されて、一行目が出てきます。無音よりはうるさい環境の方が、その情報量に抗おうと言葉が出てくるので楽です。水も、外からの刺激のひとつです。

 自分一人で世界ができているわけではないし、私は世界の中に言葉を書いていこうとしているので、無音で自分の中に潜るより、ガヤガヤした中で世界を意識して書いた方が書きやすいんです。だから、なんか渋谷に行くと書けますね。

ーー 渋谷で詩が生まれるんですね(笑)

最果読む人の存在を意識しながら書くというのは大事なんです。たぶん、渋谷にいる人たちは、私の本の読者層やTwitterで「いいね」を押してくれている人たちに近いんだと思います。世の中のトピックを参照して書くというよりは、読んでいる人たちの存在を忘れないよう、肌のすぐ隣に世界があるんだということを感じながら書く。街中で不特定多数の人に向けて語りかけていくのと似ているかもしれないですね。

 昔からブログも、見る人がいる前提で書いていたので、読む人がいる前提でないと書けないんだろうなと思います。かといって、完全にターゲットを絞って書くというわけではなくて、どこまでも広がっていくこと、それでも届いていくことを期待して書いています。

ーー なるほど。

最果読者の存在はとてもありがたくて、でも、今読んでくれている人たちにターゲットを絞ったり、読者像を固めたりはしていません。詩は、「なんかわからないけど良いと思った」とか、「全部はわかりきれないけど良いと思った」と思ってくれる距離感が私としてはベストで、そのためには具体性が私の中にはないほうがいい、と考えています。


見えてるけど、声はかけないという距離感

最果物語の場合は、ストーリーを伝えるための言葉で、ニュースとかは情報を伝えるための言葉です。でも、詩は言葉しかない。その言葉をどう読むかは読む人の勝手で、その人が読みたいものを読み取ればよいのだと思います。

 あまり読む人ありきで書くと、自分が想定した人にしか届かなくなっちゃうんです。たとえば、20代の彼氏に振られたばかりの女性にあてて書いたら、その人にしか届かない言葉ができあがる。だから、具体的な読者像を持つことはせずに、それでいて、読者という存在がいるんだ、ということだけは忘れないようにする。読んでもらえなくていいやと思うと、誰にも作品が届かないということが起こりえます。

ーー どちらにも寄りすぎないようにするのですね。

 自分はどういうタイプの書き手なのか、なんのために書いているのかわからないという時もありましたが、単純に読まれたいから書くのだ、というふうに思ってからは楽になりました。でも、どういう世代のどういう人に読まれたいとか、そういうことまで考えるようになると、言葉が具体的になりすぎて、詩じゃなくなるんです。たぶん、エッセイになりますし、それは違うなと思います。いろんな人が見えてるけど、どういう人たちなのかははっきりさせない、という距離感が、一番いい気がします。

 自分の世界に入って自分の世界の作品を作って、それが外部に評価されるアーティストタイプの人もいますけど、私はそうではなくて。昔はそういうタイプになりたくて頑張っていたんですけど、どうやら違うらしいと気がついたんです。

 アーティストタイプって「読者にわかんなくてもいいよ」と開きなおらないといけなくて。でも私はそうじゃないんですよ。「作品読みました」と言われるのも、「本を買いました」と言われるのもうれしいんです。読まれたときが一番うれしい。そしてそのためには読者の存在を忘れてはいけないですし、近づきすぎてもいけません。そこが微妙な距離感ですね。だから、たとえば渋谷に行くと詩が書けるのですが、でも渋谷のどんな人たちを具体的にイメージしているのか、そこはあまり考えないようにしています。

(つづきます)

   

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最果タヒ(さいはて・たひ)

1986年生まれ。現代詩手帖賞、中原中也賞、現代詩花椿賞受賞。詩集に『グッドモーニング』『空が分裂する』『死んでしまう系のぼくらに』。小説に『星か獣になる季節』『かわいいだけじゃない私たちの、かわいいだけの平凡。』などがある。

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