本屋さんと私

『みんな彗星を見ていた』星野博美著(文藝春秋)

 毎年末にミシマ社メンバーにより開催される「今年の一冊」。昨年末に行われた座談会にて、ホシノが選んだ一冊が星野博美さんの『みんな彗星を見ていた』でした。本書の魅力を語るあまりの熱弁に、メンバーの投票で決めた「座談会大賞」にも選出されたのでした。

 『コンニャク屋漂流記』では「星野」の先祖のルーツ探しをされ、同じ苗字をもつ者として、以前からいつか一度お目にかかってみたいと思っていた、星野博美さん。その機会は今なのでは! ということで、思い切って、インタビューのお願いをさせていただきました。

 2001年に『転がる香港に苔は生えない』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞されて以来、数多の名作を生み出されてきた星野さんに、『みんな彗星を見ていた』のこと、書くこと、読むこと、たくさんのお話をうかがってきました。全3回でお届けします。

(構成:星野友里 構成補助・写真:寺町六花)

第169回 今を知るために歴史を知りたい(星野博美さん編)

2016.03.07更新

もし自分が今、そこにいたら

―― 私(ホシノ)は学生の頃から歴史が苦手でした。それはたとえば『みんな彗星を見ていた』に登場する、400年も前の外国の人で、しかもキリスト教のために殉死するという人物に、共感するといったことが難しいからでした。それが、星野さんの本書での登場人物の描き方は、同時期に取材をされていた『島へ免許を取りに行く』に登場する教習所のおじちゃんたちの描き方と同じで、まったく壁を感じずに共感して読めました。


星野まず、この本で気をつけたのは、色がついて語られがちな宣教師たちのことをどうやって書くかということでした。実は彼らは日本を植民地にする気だったと主張する人は今でもたくさんいます。でもそうした色だとか歴史上の人物であるということは取り払って、もし自分が今、そこにいたらどう考えるのかな、宣教師たちが今の時代に生きていたらどう思うのかなということを想像しました。等身大性というか、あくまでも同じ地平線で彼らを見てみたいなということにすごく気をつけましたね。

―― 意識的にそうされていたのですね。

星野私は歴史が好きで、大学でも歴史を専攻していました。今を知るには過去にヒントが隠されているという信条みたいなものがあります。たとえば韓国のサッカーチームが日本に負けたくないのはなぜか、またなぜ中国の人たちは〆切に追いたてられるようにお金を増やそうとするのか、なぜ日本人は中国人が日本に来て爆買いするのを見るとイラッとくるのか、というのも過去に芽があるわけですよね。私が歴史を専攻したのは、今を知るために歴史を知りたいという思いがあったからでした。


キリシタン時代という大きな山

星野だけどこれを書き始めたときは、歴史に挑もうという気持ちは全然なくて、驚くほど見切り発車で始まりました。連載だったので、毎月、「来月はどうしよう、困った困った」と言いながら書いてたんですけど、本にまとめるときには意外と順番の並べ替えをしなかったんです。

―― 本を読んだ印象では難産という感じは全然しませんでした。

星野この本については、連載をしましょうとなってから実際に始まるまでに1年くらいあったんです。最初は中浦ジュリアンや隠れキリシタンについて書こうと調査や取材も進めていたんですが、進めていくうちに無理があると思ってしまいました。五島について書こうかと思った時期もあったんですが、キリシタン弾圧の話一辺倒になってしまうし、みんなが顔を知っている小さな島なので、実名でインタビューに応じづらいという事情がありました。一つの場所や一人の人間を切り取るだけでは、この時代の全体像が見えてこない。どうすればいいのか。そんなわけで、キリシタン時代という大きな山の裾野であっちに行ったりこっちに行ったりしながら、どこの道から登ろうかと考えている時間が1年間くらいあったんです。

―― そうだったのですね。

星野「これはもう無理かもな」と思ってけっこうへたれてしまいましたね。キリシタン時代については本もすでにたくさん出ているし、それを読んで楽しんでいればいいんじゃないかみたいに思って、そびえ立つ山の大きさを前にしてちょっとあきらめかけていたんですよ、本当に。

 2013年の新年号から始まる予定で、11月しめきりの連載だったのですが、8月あたりの時点で編集者にも「もう無理だから、私やめる」って伝えました。そしたら編集者に「星野さん、今やりたいことありますか」って聞かれたんです。「大学行って勉強して、リュート弾きたい」って答えたら、「明日から全部やったほうがいい」と言われて、それでリュートを始めたんです。

―― おお、そこでリュートにつながるのですね!


楽器を好きになると世界が違って見えてくる

星野それまでネットとかで調べつつも、「別にリュートやってもしょうがないし」って思って引きのばしていたんですよ。半ばやぶれかぶれモードでリュートを始めました。
 それが始めてみたら、楽しかったんです。それに加えて、リュートはスペインのレコンキスタなどの歴史が関わってくる楽器なんだということも知って、「そういうふうに歴史に入っていくことはできるかもな」と思ったんです。

―― 本書を読んで、楽器の構造の微妙な差異にも、さまざまな世界の歴史が関係していることにとても驚きました。

星野そうですね。たとえば、この本の表紙の「婦女弾琴図」で女性が弾いているのは、ビウエラです。ビウエラの形の比率は十字架に基づいていて、キリスト教・スペインを象徴する楽器なんですね。一方で、丸い形のリュートはアラブの伝統を色濃く受け継いだ楽器なんです。私はそれまで音楽はぜんぜん知らなかったんですけど、楽器を好きになると世界が違って見えてくる気がします。

―― 亡くなられた叔父様がマンドリンがお好きだったことを思い出されたり、ご自身のマイ・リュートに使われた木が、偶然星野さんがお好きな木だったりと、楽器を通じたつながりが、歴史という縦の糸だけではなく横にも広がっていきますね。

星野本当に、楽器でいろんな縁が引き寄せられて、本としても車輪が動き出して、不思議だなと思います。リュートとの出会いは本当に大きかったです。


先祖の生き方が細胞の中に生きている

―― 星野さんのこれまでの作品を通じて、ご自身の祖先や血のつながりに対する興味が強いのかなという印象があります。そうしたつながりは星野さんの中で、理屈ではなく身体的にリアリティがあるというイメージなのでしょうか。

星野血というよりも、文化なんですよね。うちの家は大家族だったんです。私は近くの区立小学校に通っていたんですが、まわりにそんなに大人数の家はなかったので、「うちの家は何か空気が違うんじゃないかな」というのは感じていました。なんだかうちだけ外国人みたいな、漠然とした感覚があったんです。

 だんだん年を重ねていくうちに、どう考えてもこれは、漁師文化が一番の原因なんじゃないかと思うようになりました。それが『コンニャク屋漂流記』を書く動機になっています。あの本を通して一つ思ったのは、血というより、先祖の生き方が知らず知らずのうちに細胞の核の中に住んでいると言ったらいいのかな...。

 自分は400年前の先祖と話したことはないけれど、その先祖の生き方をその子どもが学び、そのまた子どもも学ぶわけですよね。家によっては、「お上を信じて生きていけ」と伝えてきた家もあれば、「お上なんて信じるな、いざという時は絶対逃げろ」と言い続けてきた家もある。うちの場合は、「信じるな、逃げろ」のほうの家です。もちろんその途中で全然違う生き方が出てくるにせよ、代々続いてきた生きる知恵について知ることが、ルーツ探しのいちばんのおもしろさだと私は思っています。

―― なるほど、すごくよくわかる感じがします。

星野でも、先祖が誰だったかを突き止めるのは途中で諦めてしまって、最後には「もう誰でもいいや」と思いました(笑)。弱小漁師の先祖の詳細がわかるわけがない。『コンニャク屋漂流記』のすごいところは、ルーツ探しと言いながら、先祖が誰だったのかはよくわからなかったのに平気な顔をしているということです(笑)。

―― はい(笑)。

星野でもね、先祖が誰だったのかわからなくてよかったとも思うんですよ。はっきり「これだ」というものが発見されたらつまらないかなって。曖昧なくらいのほうが想像する楽しみが残されるので、ちょうどいいかなと思います。

(つづきます)

   

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

ミシマ社編集チーム

バックナンバー