本屋さんと私

『みんな彗星を見ていた』星野博美著(文藝春秋)

 毎年末にミシマ社メンバーにより開催される「今年の一冊」。昨年末に行われた座談会にて、ホシノが選んだ一冊が星野博美さんの『みんな彗星を見ていた』でした。本書の魅力を語るあまりの熱弁に、メンバーの投票で決めた「座談会大賞」にも選出されたのでした。

 『コンニャク屋漂流記』では「星野」の先祖のルーツ探しをされ、同じ苗字をもつ者として、以前からいつか一度お目にかかってみたいと思っていた、星野博美さん。その機会は今なのでは! ということで、思い切って、インタビューのお願いをさせていただきました。

 2001年に『転がる香港に苔は生えない』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞されて以来、数多の名作を生み出されてきた星野さんに、『みんな彗星を見ていた』のこと、書くこと、読むこと、たくさんのお話をうかがってきました。全3回でお届けします。

(構成:星野友里 構成補助・写真:寺町六花)

第170回 400年前と今を重ね合わせる

2016.03.08更新

400年前と執筆時の下二桁がいっしょ

―― 星野さんは執筆される際、「もし自分が今、そこにいたらどう考えるのかな」というのを感じるために、現地の地図を部屋に貼ったり、その土地の食べ物を食べたり、楽器を弾いたりと、体ごと対象に入っていかれますね。こうした作業はパワーがいることだと思うのですが、とくに何年もかけて執筆する場合、日常生活に支障をきたすことはありませんか?

星野いえ、別に特別な努力は要らないですよ。というかどうせ、もうこの社会と適合していないので、別に普通に暮らしてますけど・・・(笑)ただ今回の場合で言えば、夢の中にも牢屋や有馬がよく出てきましたね。崖の際の道をパードレが歩いていくのが見えたりするんです。「あ、あれは黒い服だからイエズス会だな、背が高いからイタリア人かな?」って考えたりしました(笑)

―― マニアックですね(笑)

星野そういう意味で今回おもしろかったのは、この本を主に書いていたのは2013年と2014年なのですが、ちょうど1614年が宣教師たちの大追放で、400年前と執筆時の下二桁がいっしょだったんです。カレンダーを見ながら、「そろそろ支倉常長が日本を出発するな」「そろそろ神父たちが追放されるな」「そろそろ有馬で殉教が起こる」と思いながら作品を書き進めるというような、そういう臨場感はすごくありました。そうやって考えてみると、彼らについて言われている話はおかしくないかとか、このタイミングになったのはなぜだろうかとか、マニアックな疑問も出てくるんですよ。

―― うわあ、それはすごい話ですね...!


信長が戦前生まれで、家康は団塊世代!?

星野それと、400年前のジュリアンは今の私と同世代なんです。どなたか気づいてくれたらいいなと思って、巻末の年表に仕掛けがあります。たとえば世代を感じてもらうために、大友宗麟や大村純忠、有馬晴信が誕生した年も書いたりしています。日本で起きた殉教がどういったタイミングでヨーロッパで知られたのかもわかります。事実が同じでも、何を年表に入れるかによってぜんぜん歴史の見え方が違うんですよね。この年表には自分の伝えたいことをてんこ盛りにしたので、いろんな楽しみ方ができるようになっています。

―― ほんとだ、仕掛けに気づけていませんでした...。


星野ジュリアンが私と同世代だと考えると、大友宗麟、大村純忠と信長が父親世代、つまり昭和ヒトケタ生まれくらいですね。秀吉はその少し下で、家康になると団塊世代くらいの年の差が出てくる。こういうふうに見ると、現代と同じ世代間抗争のような関係があるとわかるんですよ。これは、秀吉と家康でなぜ異文化に対する接し方や世界観が違うのかということのヒントにもなります。そういう違いもおもしろかったです。

―― 秀吉や家康が身近に感じられますね。

星野天正少年使節の彼らのことを私たちはずっと少年のままと思っているけど、ジュリアンが潜伏生活に入ったのはいまの私の年齢なんだな、逆さ吊りになって処刑されたのは60いくつなんだなと考えると、それはもう等身大の人間として迫ってくるわけです。私が修学旅行で京都に行ってはしゃいでいたときに、彼らは「東の公使たち」とか呼ばれていて、フェリペ2世の医者や教皇の医者に診てもらっていたんです。

―― 歴史と自分をそういうふうに重ねることができるんですね。

星野やっぱり自分が400年前の時代に行くのは無理があるので、なるたけ彼らをこっちに持ってきて考えてみるんです。宗教と考えると自分には理解のできないものに思えるけど、その教理とかはいったん棚の上に置いて、当時日本に入ってきた外来文化だという視点を持つことが必要でした。たとえば日本市場を初めて開拓したイエズス会はマクドナルドだな、あとから入ってきたドミニコ会はバーガーキングかなとか、そういうふうに想像してみると現代との接点が見つかります。そうすることで、自分と同じ地平で見れるのかもしれませんね。


異質なものにぐっとくる性格

―― この本の帯に、「東と西が出会ったとき、いったい何が起きたのか?」とあります。星野さんはこれまでにも、東と西が出会う場所である香港について書かれたりしていますが、東西の出会いに何か心惹かれるのでしょうか?


星野植民地だったところや、異質と異質が同居する場所に惹かれる傾向があるらしい。昔、小学生向けの雑誌を読んでいて「あなたの行きたい場所はどこですか」という質問が書いてありました。「花の都パリ」の他に、「南米のパリ・ブエノスアイレス」とあって、すごくいいなと思ったんです。ニューヨークにあるチャイナタウンとかもそうですよね。異質と異質にぐっとくる(笑)。それはもう性格ですね。中国の中でも、アラブ人の建てたお寺がある場所とか、シルクロードの人々が行き交っていた場所とか、そういうものが好きなんです。

―― 本の終盤に、スペインの中でもバスクにたどり着かれたのも、そのような異質さに対する興味と関係があるのでしょうか。

星野客家とか華僑とかを思い起こすという点でもともとバスクに興味があったのですが、あそこは日本のキリスト教と関係があるという理由で行きました。バスクはすごくおもしろい地域でしたね。「何かある」というちょっと不穏な雰囲気がありました。バスク語も特異な言語で、力持ちが多くて捕鯨の文化もある。アメリカ大陸へ渡った人たちが多いのもバスクで、やっぱり華僑と非常に似ているなということは感じます。
 でも今度は、キリスト教色の強い北部よりも、もう少しアラブ色が強い南部や地中海のほうに行きたいなと思います。

―― 実は今、星野さんはリュートからアラブ色の強いウードに惹かれているというお話を耳にしたのですが、そのこともアラブに対するご興味と関係していますか?

星野もちろん今でもリュートは弾いています。ただ私は、自分の好きな時代や地域で、そのときその場所で庶民の間で流行ったような音楽をやりたいんです。そうすると私がやりたいのは、王室で弾かれるようになる前に吟遊詩人が街角で奏でていたころ、つまりルネッサンスを越えて中世になってしまうんです。特にスペインではメロディーやリズムにアラブの影響が色濃くなるんですね。

 でもスペインに780年間、つまり日本でいえば平安から室町あたりまでイスラム王朝が存在したことを考えれば、12・13世紀の音楽にアラブ色が強いのは当然です。私たち日本人は、漢字を日本語だと思っているけど、中国の人から見たら「いや、それは中国文化だ」となるのと同じように、スペイン人も自分たちがスペイン文化だと思っている多くのことがアラブ起源だったりする。実際にスペイン語だってアラブ語起源のものがたくさんありますし、文化だって大きな影響を受けているはずですよね。

(つづきます)


    

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

ミシマ社編集チーム

バックナンバー