本屋さんと私

 日本のピアノ学習者で知らないものはいない、というほどの知名度を誇るピアノ教則本「バイエル」。幼稚園や小学校の先生の募集要項などでは、ピアノをどのくらい弾けるかのひとつの基準にすらなっています。しかし、この教則本を作ったフェルディナント・バイエルという人物は、長年謎に包まれていました。その人を追い、この教則本「バイエル」がなぜここまで日本に普及したのかを追った本書は、その名も『バイエルの謎』。ミシマ社でもお世話になっている最相葉月さんの解説も絶品です! 著者の安田寛先生に、本のことに音楽のこと、そして本屋さんについてを伺いました!

(構成、写真:田渕洋二郎)

第175回 『バイエルの謎』 の謎に迫る!(安田寛さん編)

2016.05.02更新

―― 『バイエルの謎』を読んで、ピアノ教則本「バイエル」の聴こえ方が変わりました。

安田そう言っていただけると嬉しいです。バイエルは単純な繰り返しが多く、それに小さい頃に無理やり「やらされた」思い出として残っている方も多いと思います。しかし、ふとした瞬間にこのバイエルが讃美歌(コラール)の一節に聴こえたことがあったんです。それで調べてみたら、彼の母は教会のオルガニストで、彼自身も小さいころから母と一緒に讃美歌の伴奏を弾いていました。そして、そのころの母との稽古の思い出や、母から受けた愛情が、この教則本「バイエル」に込められていたのでは、と思ったのです。

―― そうですよね。そのお話を読んで音に愛を感じるようになりました。また、最相葉月さんの解説にもありましたが、学術書でありながら、エンタテイメントでもある、という構成は意識されていましたか...?

安田そうですね。構成はミステリーを意識して、文体としては小説的なものを使っています。研究といえど、なにかわからないことを探していく過程っていうのは、まさにミステリーなんですよ。だから、自然に書いていったら、結果的に歴史ミステリーであり、エッセイであり、学術書でもあるような本になりました。

―― なるほど。その際になにか参考にされたミステリー小説はありますか?

(左)『Yの悲劇』エラリー・クイーン(角川文庫)/(右)『へろへろ 』鹿子裕文(ナナロク社)


安田エラリークイーンなどの古典的なミステリーはかなり読み込みましたね。こういう初期のミステリーって構成力がすごいんです。『Yの悲劇』なんて、数学を解くみたいな楽しみがありますね。そういう本を参考にしながら、話の展開を考えましたね。

―― こういう本は、いろんな場所に置いてもらえる楽しみがあっていいですよね。

安田そうそう。最近読んだ中で、これはすごいと思った本に『へろへろ』があるんですけれども、これもどこに置くんだろうって感じですよね。内容的にも介護の棚だけでは収まらないですし。京都の小さいおもしろい本屋さんなんか行くと、どのジャンルの棚でもない、一番目立つ場所に置いてあるからおもしろい(笑)。


ワインバーに集うお年寄り

安田あと、それで思い出したんだけど、取材終わりにマインツのワインバーに行ったとき、びっくりしたことがあるんです。平日の夜に行ったら、お年寄りの方ばかりだったんですね。でもその街の全体が高齢化しているという話ではなくて、他の店には若い子もたくさんいる。
 こういう空間でおじいさんやおばあさんが、ワインを楽しんでいるというのがいいなあと思ったんです。あの空間は、日本にいるときよりリラックスできたかもしれない。

―― いいですね。

安田日本だとおばあさんが、夜、居酒屋にいってみたいな話はがあまり聞かないですよね。さっきの『へろへろ』にもつながってきますけど、おじいさんやおばあさんが楽しそうにしているのがいいですよね。私もよく感じるんですけど、最近日本では、年をとることがネガティブに語られることが多くなった気がします。
 別にワインバーとかでなくてもいいんだけど、老人がそういう空間で豊かな時間を過ごせるような文化ができるといいなあと思います。そこで恋愛とかもしていいじゃないですか。そしたらボケませんよ(笑)。

―― 他に海外の取材をされるなかで印象に残ったことはありますか?

安田印象に残ったのは、やっぱり「街並み」かなあ。本当にきれいなんです。中心部には車が入ってこれませんし。日本だと、自分の家のなかにはすごくこだわるけど、街全体で景観をつくるという意識はあまりないですよね。京都はまだそういう意識がある方かもしれないけど、最近どんどんマンションも建って、ちょっと心配です。
 石造りの家が何百年も残っているのは、地震がこないからということもありますから、日本と比較してどうこうという問題でもないかもしれません。けれど、作曲家も石造りの教会の長い残響を意識して曲を書いていましたから、そういった意味でも、その建物が音楽や文化をつくっていったわけなんですね。


ドイツ語の語感は音楽から

---- そうですよね。また、『バイエルの謎』の中間部分、still stehende Hand(静かにした手)をめぐる、ドイツ語を日本語に翻訳する際の苦悩も印象的でした。

安田あれは大変だったね...。stillは、「静かな」、stehend は「その状態が続く」、「Hand」は手です。今までの研究者はピアノを弾く際に、「固定された手首の上下動のない手」という意味で、この「静かにした手」を解釈していました。でもこれだとつじつまが合わないところもあったんです。この原語が意味していたのは、手首の動きを指すのではなく、「指の交差のない運指」を指すのではないかと思ったんですね。そうしたほうが、いろいろ都合がよかった。

―― おお!

安田なんでそう思ったのかというのも、私は音楽大学時代声楽科で、ドイツ歌曲なんかも歌っていた影響があるかもしれません。歌詞のなかには、よく「still」という言葉が出てくるんですが、音楽を通してドイツ語の語感を学んだ気がします。
 たとえば、ブラームスの「運命の歌」に出てきていました。stiller という形で出てくるのですが、本当に静かで安らぎに溢れた音楽なんです。だから、この言葉に対して、「固定された」という感じはあまり持っていませんでした。作曲家も言葉に寄り添って音楽をつけているから、言葉の意味がわからなくても、音楽からその言葉のニュアンスが感じられるんです。

―― なるほど。「Ruhe(憩い)」などの言葉も印象的ですよね。

安田そうですね。「すべての山の頂上に静けさがある」という歌のなかでも、本当にきれいな、小さい音で演奏するように書いてある。まさに「憩い」なんです。こういう言葉は、見たときに音が浮かびます。もうかれこれ何十年も前に覚えたものですけど、いまでもそのイメージは残っています。


(つづきます)

   

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安田寛(やすだ・ひろし)

1948(昭和23)年山口県生れ。1974年国立音楽大学大学院音楽研究科音楽美学修士課程修了。2001(平成13)年奈良教育大学教授。2013年定年退官し現在同大学名誉教授。2001年放送文化基金賞番組部門個別分野「音響効果賞」、2005年社団法人日本童謡協会日本童謡賞・特別賞受賞。主な著書に『唱歌と十字架 明治音楽事始め』『日韓唱歌の源流 すると彼らは新しい歌をうたった』などがある。

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