本屋さんと私

 日本のピアノ学習者で知らないものはいない、というほどの知名度を誇るピアノ教則本「バイエル」。幼稚園や小学校の先生の募集要項などでは、ピアノをどのくらい弾けるかのひとつの基準にすらなっています。しかし、この教則本を作ったフェルディナント・バイエルという人物は、長年謎に包まれていました。その人を追い、この教則本「バイエル」がなぜここまで日本に普及したのかを追った本書は、その名も『バイエルの謎』。ミシマ社でもお世話になっている最相葉月さんの解説も絶品です! 著者の安田寛先生に、本のことに音楽のこと、そして本屋さんについてを伺いました!

(構成、写真:田渕洋二郎)

第176回 からたちのはながさいたよ

2016.05.03更新

―― 最近は日本語のリズムの研究をされているようですね。

安田はい。1つおもしろい例をあげますね。聞いた事がある方も多いと思うんですが、山田耕筰の「からたちの花」です。聴いてみてください。何拍子の曲だと思いますか?


安田3拍子で振っていても、4拍子で振っていてもどこか違和感があるでしょう。その理由は、この曲は楽譜上では、拍子が変わっているからなんです。

―― なるほど!

安田たしかに西洋の記譜法で記すとこうならざるを得ないんです。でも山田耕筰が 優先させたのは、周期性のある西洋の拍子の概念ではなく、あくまで1拍が連続している日本のリズムなんです。
 日本のリズムに忠実に従ったからこそ、西洋の記譜法ではややこしい事になってしまっただけで、本当はもっと単純なんです。
 か ら た ち の は な が さ い た よ と1拍が12回続いているだけなんです。

―― おお! 長年の謎が解決しました!!

安田それは、よかったです。日本語だと、ひらがな1文字が1拍なんですね。たとえば、日本語で「か」と発音したとき、我々の頭では普通「か」の1語を浮かべて発音します。でも、欧米の人は、頭のなかでは、「ka」と認識しています。これがなにを表すかというと、彼らの頭のなかで2文字なんですよ。「k」があってその次に「a」がある。だから、欧米の音楽では必ずしも1文字が1拍にはならないんです。こういう違いがあるから、西洋音楽に日本語を乗せるのは本当に難しいんです。でも山田耕筰は本当にうまく擦り合わせています。


文体の秘密はリズムにあり!

―― そうだったんですね...。日本語のリズム、奥が深いです...。

安田文体もリズムによるところが大きいですよね。僕もそうですけど、文章を書く人は自分の文章を何回も読みます。そのときに読んでいて、つまることがあったら語順変えたりするんですけど、それがその人の文体をつくっていたりします。鴨長明の方丈記なんかも面白いですよ。

ゆく かわの ながれは 絶えずして

とありますけど、これがすごいのは、意味の切れめで区切ると
2・3・4・5のリズムになっているんです。

万葉集の こもよ みこもち ふくしもよ

なんてのは、3・4・5です。

―― おお!

安田川端康成の『雪国』の冒頭で、夜の 底が 白く なった、 なんてあるけど、これは3・3・3・3のリズムです。西の 魔女が 死んだ。 なんかも3・3・3。
 歌だと、中島みゆきの「地上の星」なんかは、 かぜの なかの すばる で3・3・3です。

 日本語でリズムがいい文というと、俳句とか短歌の影響もあって7・5調が思い浮かぶんだけども、細かく見ていけばこういう、3・3・3のリズムなど、いろんなリズムが隠れています。だからある意味、日本語には散文はないといえるかもしれません。

―― あらゆる文章でそれが言えると!

安田そうです。小説でも無意識に計算していると思いますよ。文章のリズムをガラッと変えることによって、場面転換を演出しているものもあります。あとは、最近ツイッターで短歌botなんてものがあるけど、あれは、ウィキペディアに隠された韻文を探してるんだよね。意味はさておき、散文だと思っていたものが実は韻文だったなんてことが良くあります。

―― 短歌botはそういうことだったんですね! 他に日本におもしろいリズムはありますか?

安田たとえば、沖縄では8のリズムが多いですね。沖縄民謡でいえば、てぃんさぐぬ花や も8、谷茶目節の たんちゃめぬはまに も8文字です。沖縄の音楽の場合は、音階の違いももちろんありますけど、リズムもあるんですよ。別の進化の過程が残っていますね。

―― おお! そもそも先生がリズムに関心を持たれたのはなぜですか?

安田音楽学者の小泉文夫さんにもすごい影響をうけましたね。音階論が本当に素晴らしいんですけど、でもリズム論を読んだら、これってまだつめられるところがあるんじゃないかなと思ったんです。
 それで、現代生きている我々のリズムがいつ決まったかといったら、明治時代につくられた唱歌ですよね。退職してからは時間ができたんで、最近はずっとリズム論をやっています。いろんな角度からやっていて、たとえば計算から体系付けられないかと、こんな風にノートに書いています。


(つづきます)

    

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安田寛(やすだ・ひろし)

1948(昭和23)年山口県生れ。1974年国立音楽大学大学院音楽研究科音楽美学修士課程修了。2001(平成13)年奈良教育大学教授。2013年定年退官し現在同大学名誉教授。2001年放送文化基金賞番組部門個別分野「音響効果賞」、2005年社団法人日本童謡協会日本童謡賞・特別賞受賞。主な著書に『唱歌と十字架 明治音楽事始め』『日韓唱歌の源流 すると彼らは新しい歌をうたった』などがある。

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