本屋さんと私

 歌人であり、エッセイ、絵本など幅広く活躍されている穂村弘さん。
 その作品には、穂村さんならではの言葉たちや、世界に及び腰な姿(これがまた素敵なのだからすごい)、ほかにない眼差しが込められていて、つい引き込まれてしまいます。

 歌集『シンジケート』でデビューして以来、数多くの読者を虜にしてきた穂村さん。そんな穂村弘さんの最新エッセイ集『鳥肌が』(PHP研究所)が2016年7月に刊行されました。
 小さな子どもと大きな犬が遊んでいるのを見るのがこわい。自分以外の全員は実は......という状況がこわい。あらゆる違和感や「ズレ」の瞬間をあつめたエッセイです。
 祖父江慎さんによる装丁も、違和感たっぷりで、すごいんです!(スピンが3本!)

 また、雑誌『PHPスペシャル』での連載がまとまった本書、連載の担当編集者が、ミシマガジンでも「よろしな。」でおなじみの丹所千佳さんなのです。

 ミシマ社編集部のなかにも穂村さんファンは数多く、そんなご縁もあったことから、『鳥肌が』の刊行記念として、京都・誠光社さんでおこなわれたトークイベントの様子と、特別インタビューをお届けします。まずは第1回、イベントの前半をどうぞ。

(構成:丹所千佳)

第184回 怖がりながら、焦がれて憧れる(穂村弘さん編)

2016.09.07更新

僕の人生を四文字で表すと「びくびく」

―― 『鳥肌が』というエッセイは、「こわい」がテーマです。日常のヒヤッとする体験、一見どうということのないことにひそむ恐ろしさ、なかには怪談めいたお話など、いくつもの怖さが穂村さんならではの観察眼と表現で書かれています。過去のエッセイでも何かと怯えたり恐れたり、「怖い短歌はいい短歌」とおっしゃっていたりもするので、今回は満を持して、テーマをずばり「こわい」にされたのでしょうか?

穂村僕は「わくわく」に憧れているんですけど、なんとなくいつもびくびくしているので、なぜみんながそんなにわくわくしているのかわからないんですね。だから、まずこっちから説明しようと思って。これを読んで世界を恐ろしがれ......っていうわけでは、ないんですけど。

―― ないんですね(笑)。

穂村怖いものを、怖いから避けるんですけど、一方で惹かれもする。鳥肌って、怖いときにも立つけど、感動したときにも立ちますよね。「怖いもの見たさ」という言葉もありますけど、どうして怖いものに惹かれるのかなというのを考えてみたくて、それをテーマに連載しました。




ジョニー・デップを尊敬する

―― 誰もが「こわい」と感じるようなことももちろんありますが、その感覚は人によってずいぶん違うんだなということも、『鳥肌が』を読むとあらためて気づきます。

穂村怖がらない人に対して驚きと憧れを感じるんです。最近すごいなーって思ったのはジョニー・デップで、僕は彼の映画も見たことがなくて写真でしか知らないんだけど、とても有名な人なんですよね。彼が夫婦喧嘩で暴れたとかで、指の先っちょを失ったというニュースを見ました。指の先を持ってお医者さんに行ったけど、切断されて24時間以上経っていたからもうくっつけられなかったというのを聞いて、急にジョニー・デップを尊敬したの。夫婦喧嘩でギャーッとなって指を切っちゃうのは単に愚かだと思うんだけど、もし自分だったら一瞬で「やべっ」と我に返って、今まで喧嘩してた相手に「医者医者医者!」「救急車! 救急車!」って言うと思うんですよ。その瞬間、どんなに頭に血が上っていても、急に醒めて、「俺の指!」って。だけどジョニー・デップは指のことなんか忘れてて――ここがポイントで、指のことなんか忘れて24時間そのままにしちゃってたっていうことに、とても憧れを覚えました。ジョニー・デップのことよく知らないんだけど、僕の中のジョニー・デップは、指が切れても、そんなのどうだっていいんだ。

―― 恐れない。

穂村そう、恐れずに、素に返らずに、24時間放置して指が短くなった人っていう。まあ、この件に関しては、そっちのほうが少数派ですよね。僕は暴力とかふるわないから、一般的にはそのほうがいいんですけど、そうじゃない魂のレベルで感じるものがあった。


アクシデントへの恐れと憧れ

―― 多くの人は怖がらないけど、穂村さんは怖いものというと、ほかには何がありますか?

穂村海外旅行が怖い。わくわくするんでしょ、海外旅行って。でも僕はほぼわくわく度はゼロで、とにかくびくびくしています。その理由の一つに英語がしゃべれないということがあるんだけど、しゃべれなくてもわくわくしてる人はいっぱいいますよね。たしか上海に行ったときに、ジャズバンドが生演奏するみたいなところに行ったんですね。そこに大阪弁のおばさんの集団がいて、英語をしゃべれないんだけど、めちゃくちゃわくわくしてるわけ、どう見ても。それで演奏してるところにつかつかつかっと行って、バンドの人のポケットにお札をねじこむの。

―― おひねりってやつですね。

穂村そうそう。見ていた僕はぎゃーってなって、でも、そのバンドの人は立ち上がって敬礼して、おばさんのためにソロを吹いて、すごい盛り上がった。「えっ、そういうのありなんだ」って思いました。わかんなくないですか、そんな行動が是か非かって。でもそのおばさんは是とか非とか考えずに嬉しくなっちゃって、心のままにそうしたんだと思うんですね。そのとき、自分の人生にはアクシデントがないなって思ったの。それは当たり前で、アクシデントを恐れて避けてるから。でも、僕ほどアクシデントに憧れてる人はいないと思う。アクシデントってかっこいいでしょう。

―― 思いがけないことが起こるとどきどきしますね。いいどきどきだと嬉しいです。

穂村そう。でも、ないわけ僕にはその要素が。

―― 本のあとがきに、「飲み会に途中から行くことができない」と書かれていました。

穂村遅れて行ったら自分の席がないんじゃないかと怖くて、絶対定刻に行ってるわけ。でもそれってダサいんですよね。定刻に必ず来る奴ってセクシーじゃないと思いません? セクシーな人って、アクシデントのオーラがあるんですよ。「こいつといると何かおもしろいことが起こりそう」っていう。友達で絶対に遅れてくる奴がいて、もう席がないんだけど、誰かがトイレに行った隙にその席に座っちゃったりして、「そこあたしの席だよー!」って言われたりして、「えっごめん」「まあいいや一緒に座ろう」とか言われて、一つの椅子に半分ずつ座ったりしてるわけ。そんなこと彼にとっては日常茶飯事なんだよね。でも僕には一生起こらない。一つの椅子を半分こ。恋人とかとならあるかもしれないけど、それはちゃんとした手続きを踏んだ相手だから、アクシデントじゃないでしょ。


ロマンチックな短歌が、30年後には

―― その一連のやりとりの再現がおもしろいです(笑)。そういうことが自然にできる、本人には「できる」という意識すらないのかもしれませんけれど、そういう人ってたしかに魅力的ですね。

穂村すごくきらきらしたアクシデントですよね。僕はその友達に革ジャンを貸して、すごい傷をつけられたことがあるけど、怒るどころか憧れたもんね。借り物の革ジャンをこんなに傷つけて返すお前が眩しい! みたいな。なぜって僕は自分の革ジャンをすごい丁寧にメンテナンスするんです。オイル塗って、ビニールの大きい袋に密閉しておくとオイルが馴染んで......って、ダサいでしょう(笑)。それに比べて、借り物の革ジャンを傷つけて平然と返してくるやつのジョニー・デップ度の高さ。

―― 「ジョニー・デップ度:高」の人ばかりだと、それはそれで困るような気も......。

穂村安全・快適・安心ということでいえば、そうじゃないほうがいいよね。アクシデント性やセクシー感と、安全・快適・安心さは排他関係にありますから。今の日本の社会はどんどん安全度を増していて、僕が子供の頃と今を比べても、今のほうがずっと快適に効率よく、コストパフォーマンスよく暮らせるけど、アクシデント性はすごく減っている。たとえば1980年代、僕が20代の頃、友達がこんな短歌を作ったの。

 どこの子か知らぬ少女を肩に乗せ雪のはじめのひとひらを待つ   荻原裕幸

 公園かどこかで、どこの子かわからない女の子に肩車してあげて、ふたりで雪が今にも落ちてきそうな空から最初の一片が降ってくるのを待っている。当時はこれはロマンチックな歌だった。ちょっと内向的でシャイな青年とイノセントな女の子と世界へのロマンチックな憧れ。でも、今だとダメですよね。「どこの子か知らぬ少女を肩に乗せ」、ブブー! って。

――  「声かけ案件」になっちゃうんでしょうか。

穂村「肩に乗せ」は完全にアウトだよね。30年間で、素敵だったはずの行為が犯罪になった。それだけ世界のアクシデント性やセクシー感は減ったっていうことです。


(つづきます)

   

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穂村 弘(ほむら・ひろし)

1962年、北海道生まれ。歌人。1990年、歌集『シンジケート』でデビュー。エッセイ、評論、絵本、翻訳などでも活躍する。短歌評論『短歌の友人』で伊藤整文学賞を受賞。著書に、歌集『ラインマーカーズ』、詩集『求愛瞳孔反射』、エッセイ集『世界音痴』『絶叫委員会』『君がいない夜のごはん』『蚊がいる』「にょっ記」シリーズなど多数。

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