本屋さんと私

 歌人であり、エッセイ、絵本など幅広く活躍されている穂村弘さん。
 その作品には、穂村さんならではの言葉たちや、世界に及び腰な姿(これがまた素敵なのだからすごい)、ほかにない眼差しが込められていて、つい引き込まれてしまいます。

 歌集『シンジケート』でデビューして以来、数多くの読者を虜にしてきた穂村さん。そんな穂村弘さんの最新エッセイ集『鳥肌が』(PHP研究所)が2016年7月に刊行されました。
 小さな子どもと大きな犬が遊んでいるのを見るのがこわい。自分以外の全員は実は......という状況がこわい。あらゆる違和感や「ズレ」の瞬間をあつめたエッセイです。
 祖父江慎さんによる装丁も、違和感たっぷりで、すごいんです!(スピンが3本!)

 また、雑誌『PHPスペシャル』での連載がまとまった本書、連載の担当編集者が、ミシマガジンでも「よろしな。」でおなじみの丹所千佳さんなのです。

 ミシマ社編集部のなかにも穂村さんファンは数多く、そんなご縁もあったことから、『鳥肌が』の刊行記念として、京都・誠光社さんでおこなわれたトークイベントの様子と、特別インタビューをお届けします。今日は第2回、イベントの後半をどうぞ。

(聞き手・構成:丹所千佳)

第185回 短歌にはアクシデントとセクシーがある

2016.09.08更新

お母さんはあんたよりもっと殺してる

―― それでも、短歌は比較的自由でいられるジャンルなのではないですか。

穂村短歌は安全・快適・安心のフィルタリングから外れているからね。そういう短歌のほうが力があると僕は思う。たとえば排泄とか、性とか、死。このへんのものは我々にとって避けられないわけだけれど、一般的には扱わないのが一番安全で、でも、だからこそぎりぎりでうまく表現できる人は人気がありますよね。芸能人でもそうだと思うんだけど。死に関する短歌を一つ紹介すると、

 お母さんはあんたよりもっと殺してる巣に水を入れたりもした   田中有芽子

―― おお。蟻でしょうか。

穂村虫を弄ぶ子供に対して、「お母さん」はまあ普通なら「虫さんにも家族がいるのよ」とか「小さくても命があるのよ」とか言ってたしなめたり諭したりするのかなぁと思うんだけど、これはちょっと予測を超えてる。

―― まさかの、張り合ってくるっていう。

穂村そう、「お母さんはあんたより殺してる」。このお母さんは是か非か。わかんないんだけど、かっこいいよね。でも、じゃあおおやけにこんなこと言えるのかっていうと、まずいだろうね。これがOKなのは短歌だからで。社会ががんばってフィルタリングしてきたものを拾ってきてこういう形で見せられると、ドキッとする。そして、非常にはっきりした傾向があって、男か女かでいえば女のほうが、老人か中年かでいえば老人が、若者か中年かでいえば若者のほうが短歌がうまい。つまり中高年の男性の歌が最悪になる。まあ、わかるよね。


中高年男性、特に部長のドットは荒い

―― マジョリティですからね。社会のOSが彼ら仕様になっている。

穂村そうそうそう。あの人たちが、って僕も中高年男性なんだけど、つまり僕らが社会のフィルターを作ってきたわけよね。そこから遠いところにいればいるほどいい短歌が作れる。そうは言っても、じゃあ治療中に詩を暗唱する歯医者がいたら仲間だと思ってそこに僕が通うかといったら、絶対行かないね、そんな歯医者には。外科医ならもっと嫌だよね。

―― でも昔は、医者だけど詩人みたいな人もいたわけですよね。

穂村昔は多かったよね。政治家で文学者とか、大企業の社長だけど詩人とか、そういう人が。社会がそれだけセクシーだった。でも、今は資本主義の末期で、さっき言ったように、中高年男性でも部長と社長だったら、感受性は部長が最悪。組織のなかで上に行くほど社会の中枢にいるとはかぎらなくて、社長、特に創業社長は、けっこう詩人だったりするんだよ。社会の制度やシステムができる前やできたばかりだと、詩人度が高くてもおかしくないわけです。

―― 創造性につながるわけですね。既存のレールやシステムにいかにうまく乗るかということが求められるほど、詩は必要とされなくなる。

穂村時代の変化ね。部長とかの心のドットって荒いよね、やっぱり。

―― 世界に対する画素数みたいなものですか?

穂村そう、画素数が細かいと効率は落ちるから。たぶん、荒くしてサバイバルするのね。電車の中で「女はみんな赤が好きだから」みたいに言ってるおじさんがいたんだけど、一緒にいた新人っぽい男の子が「部長、黄緑が好きな女性もいるんですよ」ってたしなめたら、部長は素直に「そんな女がいるのか!」ってびっくりして。

―― まあ、驚くだけ、その部長はまだいいのかもしれないですね。

穂村うん。ましだけど、本人かわいそうだよ。だけど、多かれ少なかれ我々の心は部長的にならざるを得ない。この社会に生きているかぎり。


ずぶ濡れの裸足=コスパの外にあるものはセクシー

穂村さっきも使ったけど「コストパフォーマンス」という言葉がこんなに言われるようになったのって、わりと最近でしょう。

―― コストパフォーマンスと言うときの「コスト」ってものが、すごく限定されて考えられているように思います。

穂村ひどく狭い、経済的で即物的なことだよね。友達に貸した革ジャンが傷つけられて返ってきたら、コスパ(?)で見れば最悪なんだけど、そうじゃないじゃん。

―― もっとこう、得たものがあるわけですよね。

穂村何かあるよね。丸山健二の『風の、徒労の使者』って本があるんだけど、すごいかっこいいタイトルだなって。徒労って「コストパフォーマンス最悪」って意味だから。徒労を我々は恐れるじゃん。自らを「徒労の使者」と名乗るって、なんというセクシー度の高さ。僕がよく紹介する短歌で、

 雨だから迎えに来てって言ったのに傘も差さず裸足で来やがって   盛田志保子

 というのがあるんだけど。これはかなり徒労の使者の輝きに満ちているよね。「雨だから迎えに来て」と言って、来たんだから、約束は果たされてるわけ。「傘持ってきて」とは言ってないから。空気読めとか、もはやそういうレベルでもないですよね。その空気読めなさのセクシー度、これはたまらんでしょう。そして約束だけが守られて、ふたりでずぶ濡れになって帰っていく、そんな日が人生に一度でもあったなら生きていける、みたいな。

―― アクシデントですよね。めちゃくちゃアクシデント。

穂村わかるだろう普通、とも思うけど、だからときめくし、実際に毎回それをやられたら、こういうときは傘持ってくるんだよってなるんだろうけど、この短歌で描かれている世界はすごく魅力がありますよね。


(つづきます:次回は穂村さんの特別インタビューをお届けします!)


   

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穂村 弘(ほむら・ひろし)

1962年、北海道生まれ。歌人。1990年、歌集『シンジケート』でデビュー。エッセイ、評論、絵本、翻訳などでも活躍する。短歌評論『短歌の友人』で伊藤整文学賞を受賞。著書に、歌集『ラインマーカーズ』、詩集『求愛瞳孔反射』、エッセイ集『世界音痴』『絶叫委員会』『君がいない夜のごはん』『蚊がいる』「にょっ記」シリーズなど多数。

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