本屋さんと私


初の著書『身体知性』を上梓された佐藤友亮さん。
本作は、医者と武道家というふたつの立場から、西洋的なものと東洋的なものを跨いだ身体の知性を探ろうとする、野心的、スリリングかつ知的な一冊に仕上がっています。
そんな本を、最初の著作で書き上げた佐藤さんってどんな人なんでしょう?
プロフィールを見ると、「1971年生まれ。岩手医科大学卒業」のあと、大阪に出てきたり、合気道を始めたり、などさまざまなことが書かれていて、「2017年現在、合気道凱風館(内田樹師範)の塾頭として道場運営に携わる」とあります。
はて? 
第一回の今日は、著者の佐藤友亮さんという「人物」に迫ってみました。

(聞き手、構成、写真:三島邦弘)

第202回 佐藤さんは、「医者」であり「武道家」です(佐藤友亮さん編)

2017.11.06更新

現場と「なぜ」をつなぐ役割

―― 佐藤さんが医者になろうとしたのはいつ、どういうきっかけですか?

佐藤その辺はすごくネイティブというか、親が医者なんですよね。医者の家なので、自然にそのままなんとなく医者として働く人たちを見ていました。父は北海道の旭川出身で、父方の祖父は耳鼻科医でした。祖父は学生時代を京都で過ごしていて、生まれ育った盛岡には母の実家があったのですが、母方の祖父も祖母もやっぱり医者で。

―― 気づいたら「なろう」という、そういう感じかんじですか?

佐藤そうですね。ただ、自分自身のことで残念、あるいは不思議だなぁと思うのは、多くのお医者さんは現場を大事にされていて。現場のなかでわからないこととか、矛盾とか、そういうものに日々葛藤されているんですよね。正直なことを言うと私はちょっと違うというか...。「なんでこういう難しいことが起こるんだろう」「矛盾が起こるんだろう」「これはどういうふうに考えられるんだろう」という問いが生まれると、立ち止まらずにいられないんですね(笑)。

―― なるほど。プロフィールにある、「初期研修後血液内科の診療に従事するも、白血病の治療成績に困難を感じ、云々」というのもそういうことと関係しているんでしょうか。

佐藤正直、臨床医の方達にはなかなか理解してもらえません。医者の世界というのはベッドサイド、目の前の患者を助けるということが一番大事なことなので。矛盾を抱えつつも診療に向き合い続けるということを、お医者さんは大切にしているんですよね。ただ、私にはどうしてもそれだけを続けることができませんでした。こういう本を書いたというのは、その状況を考えてみるためでもありました。

―― いやぁ、すごく重要ですよね。あらゆる世界において、全員が現場ということはありえないわけで、そこをつなぐ役割がいま必要とされています。

佐藤自分は、医者のなかでも辺縁の場所にいる存在、マイノリティという意識を強く持っています。辺縁にいるからこそ、医学について、その場所でしか考えられないことを考える。1章で引用したミシェル・フーコーはゲイでした。フーコーは社会において自分がマイノリティだという強い意識を持っていたようです。そのような意識を持っていたからこそ、あの人固有の仕事ができたのではないでしょうか。

―― それは、佐藤さんの"身体知性"の表現のひとつの形ですよね。

佐藤社会生活を行う上では大変なこともありますが、自分の気持ちに対してはできるだけ誠実でありたいな、という思いは持っていますね。最近はあまり、人の目を気にしなくなってきました。よいことばかりではありませんが(笑)


合気道と出会って半年で訪れた大転換

―― 合気道に出会われたのはいつごろですか?

佐藤プロフィールでも書いたんですけど、血液の研究をするために大阪(大学)に来たんですよね。それでたまたま内田先生の連載を『Meets regional』で読んでたんですけど、その後内田先生と知り合いになる機会があって、それがきっかけで合気道に入りました。

―― なるほど。それはいつでした?

佐藤2002年です。

―― 「西洋医学」とは180度アプローチが違うといってもいい合気道と出会われたわけですが、どう受け止められたんですか?

佐藤いまでもときどき思うんですけど、合気道の稽古をずっといままでやってきたなかで、一番大きな変化が、最初の半年くらいのところであったんですよ。それは、かなり言語化できるものです。何かと言いますと、「合気道は試合をしないから、ごまかしちゃいけない」。

―― 試合しないから...

佐藤こそ。ごまかしても意味がない。稽古の場面で、一緒に手を取り合う人に対して取り繕ったり、身体運用の精度に意識を払わずに、パフォーマンス(技)のスピードでごまかしてしまうようなことをしても、合気道ではなんの価値も意味もない。

―― なるほどなるほど。

佐藤私自身の身体を通した考えでは、合気道は、自分の中での気づきや理解を得るための体系なんだ、ということに尽きる。これが、いままで合気道の稽古をしてきたなかで学んだ最も大切なことです。そして、そのことを学んだのが、合気道を始めて最初の半年くらいのときに起こったんです。

―― でもそれが大転換なんですよね。

佐藤そうですね。

―― そこに、半年でバーンと気づかれたというのはおもしろいですね。

佐藤たまたま、なんかそういうことがあったんですよね。

―― 逆にそのときは、「取り繕っていた」という感じでしょうか?

佐藤取り繕うというか、いわゆる主流的な社会のなかでの必要とされる、競争力みたいな感じを求めていたところはありますね。その頃、僕は大阪大学にいたんですが、すごく恵まれてたんです。上司にも同僚にも。同時にそういうなかでちゃんと、競争力もっていかなきゃいけないという意識はすごくあったんですよね。岩手の盛岡から大阪に来て、「ちゃんとやらなきゃいけない」。あるいは岩手の人に対しても恥ずかしくないことをしないといけない。そんな気持ちもありました。

―― なるほど。

佐藤それはそれで絶対捨てられないことなんですけどね。やっぱり緊張もしていたんでしょうね。まぁ、どこか取り繕うというか。

―― やっぱり地元を背負ってたんでしょうか。

佐藤地元というより、むしろ勝手に僕がやりたいと言って阪大に来たので、背負ってというより、恥ずかしくないことしないといけないというような感じでした。自分が大阪に来たことで、だれにも迷惑をかけたくない、という気持ちでした。まぁそういう意味では自分のなかで背負っているんですが。

―― そういう意味では佐藤さんにとって、合気道を始めての半年というのはひとつ新たな身体知性をもつに至る...

佐藤というか、むしろイニシエーション。合気道がきっかけかもしれないですね。そしてそれは、自分の内面だけで起こったことというのともちょっと違うんですよね。今振り返っても、このことが大きな転換だと言える理由はやっぱりあります。それは、「動きが変わったね」ってすごく言われたんですよ。

―― おぉ〜。

佐藤稽古の後の更衣室で、「急に動きが変わったんだけど、どうしたの?」とか。ある日突然言われたんですよ。何人にも、いきなり。周りの人達から「何があったの?」と言われて、でも実は、僕の中ではその変化の原因がはっきりあったんですよ。それはマインドセットが変わったんです。逆に言うと、それだけなんだけど。

 そのことがやっぱり自分の体の動きをはっきり変えた。とても有り難かったのは、自分の内面が変化したことで、パフォーマンスにも変化が出てきたときに、それを周りから言ってもらえる、そういうフィードバックがある環境だったんですよね。

 稽古を行う環境ということについては、今関わっている凱風館道場でも、神戸松蔭の合気道部でも、個々の人が大きな気づきを持てる場所を整えてあげたい、という気持ちを強くもっています。


(次回、いよいよ「身体知性」とは何か? に迫ります。)





   

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ミシマ社編集チーム

佐藤友亮
1971年盛岡市生まれ。医学博士、日本内科学会認定内科医、血液専門医。1997年岩手医科大学医学部卒業。初期研修後、血液内科(貧血や血液がんを診る内科)の診療に従事するも、白血病の治療成績に大きな困難を感じ、2001年に大阪大学大学院医学系研究科入学。大学院修了後、阪大病院の血液・腫瘍内科で、血液学の臨床と研究を行う。2012年より神戸松蔭女子学院大学准教授。2002年に、東洋的身体運用に興味を持ち、神戸女学院大学合気道会(内田樹師範)に入会。2017年現在、合気道凱風館塾頭(会員代表)として道場運営に携わる。公益財団法人合気会四段。神戸松蔭女子学院大学合気道部顧問

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