本屋さんと私


 本当に起こったらいいのに! というわくわくしたお話で、子どもはもちろん、大人も魅了する児童文学作家の岡田淳さん。私(デッチ・國井)ももれなくその一人です。

 2017年2月に出版された、『水の森の秘密』「こそあどの森の物語」シリーズが12巻をもって完成しました。その原画などの展覧会が7月15日から鎌倉文学館にて開催されています。初日は岡田淳さんご本人がオープニングギャラリートークをされました。今回の取材は、岡田さんの物語に惹きつけられたデッチの「ぜひお話を伺いたい」というインタビューのお願いを快く受けてくだり、トーク後にお時間を頂いて実現しました。

 岡田さんの物語は、読んでいるだけでいつの間にか不思議な世界へと連れて行ってくれます。そして、読み返すと自然と心が元気づけられるような気がします。岡田さんはキラキラした目で、好きな本のことや心に置いておきたい大切なことをお話ししてくださいました。全3回のインタビュー、ぜひお楽しみください。

(聞き手・構成:國井沙也香、写真:星野友里)

第196回 子どもの頃に好きだった本は自分の味方になってくれる(岡田淳さん編)

2017.08.07更新

話の骨組み、話のにおい

―― 小学校の頃に教科書で「消しゴムころりん」(もとは『ふしぎの時間割』偕成社刊に収録)を読んだのが岡田さんの作品に出会った一番最初で、実際に起こらないんだけど、起こったらすごく楽しいだろうなって思う物語がすごく魅力的で、わくわくして読んでいました。そういう物語って、どうやって思いついたりとか、考えたりしてらっしゃるんですか?

岡田うーーん、そのね、どうやって、っていうのをもしもここで僕がパッと言えたらどんなにいいだろうって思うのね。そしたら、いっぱい作れるもんね(笑)。それがねえ、自分でもわからない。

 だからおそらく、いろんなことに引っかかりをもって、たとえば、とかげのしっぽが切れるのは、なんで切れんのやろな、切れたしっぽは何を考えてんねやろ? とか。頭のほうはこう考えてても、しっぽのほうにも考えてることがあるんじゃないかとか、そういうこといろいろ考えてるうちに、ああそうだな! って自分でも思えたことが、なんか、話になっていく、のではないですかね。


 で、ひとつにはね、いままでにたくさん、いろんな話を読んできたことで、話の骨組み、話のにおいというか、なんかそういうふうなものが自分に染みついてると思うんやね。だから、たとえば、「消しゴムころりん」なんて、おむすびころりんと、斧落として「この斧がお前の斧か」っていう金の斧・銀の斧と、合わせて3で割ったような話やろ?(笑)(編集註:先行する2つの話に敬意を表して「3」で割っています)

 にもかかわらず今の僕らがそれを面白い、っていうふうなところを、パッと張り付けるっていうのかなあ。今までにいろいろ読んでるっていうことは、おそらく、いっぱい力になっていると思うのね。『ようこそ、おまけの時間に』なんか「いばら姫」だしね。


存在しない挿絵を作っていた

―― 岡田さんが読んで、印象的だった物語はありますか?


岡田うん、たくさんあるんだけども、印象的っていうのでこれは言わねばならないっていうのはやっぱりドリトル先生かなあ。僕、図工の先生してたでしょ? で、図工準備室っていうのを、自分ですごく素敵な部屋にしてたわけ。子どもが見たときに、「うわあ~! なんか、魔法が起こりそうな部屋やな!」みたいな。そんな部屋にしてて、「ああ、この部屋ってドリトル先生の台所につながってるんじゃないか」って、ふっと思ったんですよ。

 僕がそのとき覚えてたドリトル先生の話っていうのは、一つの場面だけ。なんという本だったかもわからなかったんやけど、一人の少年がドリトル先生と土砂降りのなかで出会って、ドリトル先生の家に連れて行ってもらって、そこの大きな台所に、中に入って行けるくらい大きなストーブがあって。そこで服を乾かして、肉をごちそうになって...という場面。博物学者のドリトル先生だから、周りは地球儀だとか天球儀とか望遠鏡とか、本もいっぱい並んでいて、水槽には何かを飼っていたりして。そういうふうな部屋で肉をごちそうになるっていうその場面だけをものすごく覚えてたんですね。


 それで、ドリトル先生の台所みたいだなって図工準備室で思ったときに、あれはどの本だろうって図書室に行って探したら、『ドリトル先生航海記』ってすぐわかった。すぐわかったってことは、ほのかにタイトルを覚えてたんやろね。おそらくそれは中学校時代に読んでんねん。で、読んだらすぐにそのシーンは出てきた。でもびっくりしたのは、僕は肉をあぶった肉汁のことや、そのページの挿絵まで覚えてたんだけども、そのページには挿絵がなくて、肉汁も書いてなかったんやね。僕が作ってたんだ。

 なんで、僕はそんなもの作ったんだろう、って考えて。そしたらそれは、きっと何度も何度も思い出したからにちがいない、って思ったのね。忘れたころに思い出す。もういっぺん読むんじゃなくって、その場面だけを思い出してる。それで、とうとうその前後、全部忘れてその場面だけが記憶に残って。


子どもの頃に好きだった本は自分の味方になってくれる

岡田じゃあ、なんでその場面だけ何度も思い出したのかって考えた。それは、僕が博物学的なものが好きだった、っていうこととか、その部屋のたたずまいとか。それから、ドリトル先生がその少年を子ども扱いしないで、ちゃんと対応してくれたこととか。

 その少年は、靴屋の息子さんやねんけども、その日をきっかけにして、ドリトル先生の助手になって、一緒に船に乗って冒険の旅に出る。つまり自分の人生の階段の踊り場のように、向きが180度変わって上っていく。そういう場面である、っていうことに気がついたのね。考えてみたら、その頃ってうちの親父が事業で失敗してね、もうお前は大学に行けないかもしれない、っていうふうに言われてて。まあそういうふうな時期だったんですね。

 イギリスのその時代は階級社会がかなりしっかりしていたから、ドリトル先生に出てくる少年はおそらく、普通なら靴屋のひとり息子として靴屋になる。でも、そうならないでドリトル先生の助手になった。だから自分の人生を本来やりたかった方向に変えていけるっていう、とても幸せな場面やったんやねえ。世の中っていうのは捨てたもんじゃない。信頼できる大人もいる。そういうふうなメッセージを、僕は、そんな言葉にしては思えへんけど、きっと受け取ってたと思うのね。

 だから、何度もこの場面を思い出して。それはきっと、自分を励まそうと思って思い出してたんではなくて、その場面を思い出したかったんだと思う。だから、子どもの頃に好きになった本というのは絶対に自分の味方になってくれる、っていう、それは信じてる。

 今『ドリトル先生の航海記』を読んでみたら、話として頭からおしまいまで、とってもすてきだっていうふうには思わない。でも、やっぱりその場面はすてきだ、最高にその場面がすてきだって思う。


(つづきます)

   

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