ホんまかいな通信

第3回 勇気を出してホホホ座の座長と出会った頃のことを初めて言ってみる通信

2016.03.03更新

 家の前で鳩を餌付けして近隣住民から迷惑がられている男のことをテレビのワイドショーが「ハト男」呼ばわりしてはしゃいでいて、レポーターが男にインタビューを敢行しようとするが男はまともに応じることはなく、バケツに張った水を頭からレポーターに浴びせかけ、幾度かそのサイクルを繰り返していてしまいには男が家の中からホースを引っ張り出してきてレポーターめがけて水をかけ出した時にレポーターの男が顔で水を受けながら「ご主人、話してください、水ではわかりませんよ!」「水ではわからないです!」と訴えるが男は「水でわかれ!」と言って水をかけ続けていて、以下、ホホホ座座長、山下賢二さんにまつわるそういう水のような話をしたいと思います。

 ヤマケンこと山下賢二が僕の住む淡路島の高校に転校して来た当時、僕はバスケットボール部の部長をしていて、身長は182センチあり、バスケの選手としては特に背が高いというわけではなかったけれど、自分で言うのもなんだがそれはもうたいへんなモテっぷりで、中には噂を聞きつけて本土から船に乗って会いにくる女の子までいた(明石大橋の開通は1998年)。
 でも今から思えば僕は重度の奥手で、髪を伸ばしてツッパっていたこともあり、同年代の女の子と口をきくことはほとんどなく、中学の頃から言われるがままになんとなくつき合っていた5つ歳上の彼女がいた。彼女の名前はマサヨといって、マサヨは毎日、丘の上の大きな洋風の家から車に乗ってやって来て、部活を終えた僕を助手席に乗せるとマサヨの親の住む母屋の奥に建つ離れの一軒家(とはいえ3階建て)に連れて帰るのだった。マサヨの家では、つき合いはじめの頃にはテラスに出て2人で海を眺めながらジュースを飲んだり、時々は愛し合いなどしてはいたが、高校に上がるとほどなく僕はもっぱら宮本武蔵の著した「五輪書」を読み、なんとその家屋には僕専用の部屋まで割り当てられていたのだが、そこで心置きなく巨大なステレオセットで姫神の「イーハトーヴォ日高見」に聴き入る毎日が続くようになっていた。
 ヤマケンが京都から転校してきたのは僕が高校3年の二学期冒頭という妙な時期で、京都で通っていた高校が私服通学を奨励していたとかでヤマケンの詰め襟の黒い制服はピカピカの新調品だった。ヤマケンの登場はのっけからユニーク極まりなく、絶大なインパクトを島の田舎学園にもたらした。ヤマケンはふわっとパーマのかかったセミロングヘアーで外国人俳優のような端正な顔立ち、そして上半身のスマートさとはチグハグに下半分の先に裸足で太刀魚のようにビカビカ銀光る鉄下駄をつっかけていた。後に沼島の決闘で決定的な役目を果たすことになる銀ビカのヤマケンの鉄下駄、、でもそれはまだ先の話。
 誰から聞いたのかヤマケンは転校初日に僕のところへやって来ると、バスケットボール部に入部したいと言ってきて、僕は例によって超高校級のぶっきらぼうな態度でもって、そういうことは顧問の原口に言うように促した。ヤマケンも無口なようだったけど、問われれば答えるし、笑顔も見せた。どうしてそんなにビカビカ光るものなのか、意味不明なあまりになんだか怖くて、誰もが鉄下駄の話題は避けているようだったが、ヤマケンは都会からやってきたオシャレなミステリーボーイとして一目置かれ、すぐに僕と人気を二分するようになり、やがて学園ナンバーワンのモテ男になっていった。僕はそんなことはお構いなしで、一人で五輪書を愛読していた。三学期になり、バレンタインデーにはヤマケン目当てに本土から船に乗ってやって来た女の子が50人を超えたという。
 そんな冬のある日、僕がマサヨの家の庭で、廃棄処分するというので親戚の瓦屋の叔父のところから大量にもらってきた瓦を拳で叩きわっていると、マサヨがバルコニーから僕に呼びかけてきて「ねえ、あの鉄下駄の人に会ってみたいんだけど」と言った。僕は瓦に夢中で、ただもう面倒くさいのでグズグズ言っていたのだけど、けっきょく次の日曜日にマサヨの家にヤマケンを連れてくると約束させられてしまった。マサヨは得意の手打ちうどんの打ちたてをあなた達にご馳走するわ、と言って、昼食を食べると僕を置いて粉を買いに、船に乗って出かけて行ってしまった。僕は、粉ってどこまで買いに行くのだろう、とちょっと思ったけどすぐに気を引き締め、その日、目標にしていた100枚ちょうどの瓦を叩き割った。叩き割り終わると、時刻はもう午後6時を過ぎて外は暗くなっていたが、マサヨは帰って来なかった。
 翌日、僕がヤマケンをマサヨの家に誘うとヤマケンは二つ返事でオッケーだと応えてくれ、当日は高校の校門前に、正午に待ち合わせることにした。
 日曜日、正午5分前に校門前に到着すると、すでにヤマケンとマサヨが来ていて遠目にも初対面とは思えないリラックスした調子で打ち解けあっている様子と知れた。マサヨの身長は185センチでヤマケンはたしか180センチだけど、5センチのヒールと10センチの朴歯で共に190センチで仲良く揃って見える。僕はベタ靴で3人の中では小柄に見えたろう。
 マサヨの家に着くとマサヨはすぐにうどんを打ちにとりかかり、ここに来るまでの車中においても一言も言葉を交わさなかった僕とヤマケンだったのだが、マサヨのうどんが打ちあがるのに7時間もかかったので、さすがにしかたのないことに僕はヤマケンと話をすることになり、6時間までは一方的に質問を受ける側で通すことができたのだけど、最後の1時間は時々、僕のほうからも質問をするより他なくなり、少なからずヤマケンの出自を知ることとなった。ヤマケンは僕が聞いたこともない本や音楽や映画の名を並べたて、止まることがなかった。僕はそのエネルギーに圧倒されて、すっかりまいってしまった!そしてヤマケンは人さし指を立て、ちょっと待て、といった仕草をして立ち上がると辺りを物色しはじめ、マサヨのスケッチブックを見つけると、1枚もらおう、と言って最後のページを破り取り、テーブルの上にその白い紙を広げるとペンを構え、2度3度と空中で下書きをしてから紙の左右に大きな文字を一つずつ書道の達人よろしく豪快に書きつけた。少し考えて、真中に仕切の線を引いた。その文字はカタカナで左側には、ガ、右側には、ホ、とあった。ギョッとしているとキッチンの方でマサヨが叫んだ。「うどんができました!」

 その後の沼島の決闘に至る三角関係のことなどは話さないでおく。私がヤマケンのガとホの意味を知るのは20年以上も後のこととなる。2016年4月1日、ホホホ座1周年のその日、山下賢二さんは自身初となる著書を世に送り出す。以上に記したことのそれからのことは、これからのことと併せてその本の中で明かされるのに違いない、と思う。

イラスト:よこづな文庫

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加地猛かじ・たけし

ホホホ座座員。本業は100000tアローントコ店主。

京都市役所の横でレコードと古本を売り買いしている。42歳。太ったり痩せたり太ったり。だいたいだらしなく太っています。申し訳ない。

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