今を歩く

第3回 Ben Lerner (ベン・ラーナー)

2016.04.01更新

 昨年の10月、ニューヨークを訪れる機会があり街に3週間ほど滞在した。
街に到着してから1週間が過ぎ、ストリートを歩くのに慣れた頃、無性に小説が読みたくなってマンハッタン南側のSOHOにある、有名書店McNally Jackson Booksに入った。
 いつも海外を訪れるときはこうして書店に立ち寄って、店頭に並ぶ新しい小説を確認することにしている。小説には現代の感性で書かれた「その時」の姿が断片的に現れるからだ。  

 夕暮れ時の書店ではどうやらその夜、新刊の朗読会が開かれるらしく随分と賑わっていた。私はいつもの要領でFICTIONと書かれたポップの前で平積みされた本を物色し始めた。一冊ずつ気になったカバーの本を開き、最初のページに書かれた文章を読んでみる。言葉と文体から漂ってくる空気に「呼ばれた感じ」がしたらその本を購入して持ち帰るのだ。
 目の前に平積みされている本の中には、ブッカー賞の候補にもなったらしいハンヤ・ヤナギハラの『LITTLE LIFE』(Picador ,2015)、アマンダ・ジュライが書いた『THE FIRST BAD MAN』(Canongate Books ,2015)、その他にもたくさん目を惹くカバーデザインの小説が積み上げられていた。やはりどれも知らないタイトルである。国際的に英語圏で認知されちながら、日本ではまだ翻訳どころか紹介もされていない、現代作家が書いた本が積み上げられているのを見ると、自分自身が目の前に積んである本についてほとんど何も知らないと同様、この街にいる人も同じく東京の書店に積んである日本語の本のことをほとんど何も知らないだろうという事実を改めて思い知らされ、何だか謙虚な気持ちになってしまう。

 その日、数十分かけて最終的に手にとったのは夜のマンハッタンの上空写真の上に「10:04」という時刻が意味深にプリントされたカバー本『10:04』(Picador, 2014)だった。ブルックリンで活動するベン・ラーナー(Ben Lerner)という作家が書いた、彼にとって二作目の作品らしい。冒頭の最初の一文を読んだとき、続きの世界に呼ばれ、旅の楽しみになった。

『10:04』Ben Lerner ©Picaror (2014)

"The city had converted an elevated length of abandoned railway spur into an aerial greenway and the agent and I were walking south along it in the unseasonable warmth after an outrageously expensive celebratory meal in Chelsea that included baby octopuses the chef had literally massaged to death" (市は宙に浮いたまま廃棄されていた線路を緑の空中歩道に変えた。エージェントと僕は季節外れの暖かい空気の中、その上を南に向かって歩いていた。法外な値段のする豪華なお祝いの食事をチェルシーでとった後のことだ。料理にはシェフが文字通り死ぬまでマッサージして殺した子蛸が使われていた。)


 物語の冒頭は作家である主人公が、担当の出版エージェントと一緒にマンハッタン西部のチェルシーにある空中歩道の「ハイライン」を歩くシーンから始まる。詩人としてまずまずのスタートを切り、小説を一冊書いた後、『The New Yorker』に短編が掲載され、新進気鋭の現代作家として取り上げられた33歳の主人公が、次作の小説執筆のため原稿料の前払いを出版社から打診される。意気揚々として贅沢なレストランで料理を味わい、執筆にとりかかろうとする最中、思いがけない健康上の問題に直面し、更には大学時代からの親友から変わった依頼を受けることになる。
 こうしてさらりと冒頭のあらすじを書いてしまうと、どんな展開が待っているのだろうと期待させてしまうかもしれないが、実際の所、この作品の中では物語らしい物語が存在しない。物語的な構造というよりむしろ、ただ淡々と今のニューヨークで暮らす30代の男が目の前で起きる様々な出来事を語っていく。何処か、ドフトエフスキーの『地下室の手記』に似ているが、そこには歴史的に文学で繰り返されてきた「自己と社会の摩擦」、自我の葛藤というような主題も見当たらない。文章を読んでいるとジム・ジャームッシュの映画を見たときに感じる空気をどこか思い出す。
 気になって作品について調べると、この小説の評価が真っ二つに割れているようだった。「最後まで何もおきない、くだらない作品」「文字数ばかり稼いでいる酷い作品」といったような、読者による辛辣なレビューもある一方、「彼が残りの人生で一切本を書かなかったとしても、この本は未来に残るだろう」という批評家による絶大な賛辞もある。

 これらを読んでいて芥川龍之介と谷崎潤一郎が交わした昔の文学論争を思い出した。「筋の面白さが作品そのものの芸術的価値を強めることはない」と『文学的な余りに文芸的な』(1927)に書かれた芥川の発言に対して、「筋の面白さを除外するのは、小説という形式がもつ特権を捨ててしまふことである」と『饒舌録』(1927)で谷崎が返したことから始まったとされる論争は、決着が付くこともなく芥川の自殺によって幕を閉じてしまったが、このおよそ90年以上前の論争が、ベン・ラーナーの新たな試みにより、国境と時代を超えて再び蘇っているような気がした。今度は二人の作家ではなく一般の読者たちのレビューによってである。それも時代の表れなのかもしれない。

 ベン・ラーナーには読後、個人的にコンタクトをとり、インタビューをすることができた(3月18日リリースの『FREE MAGAZINE』に彼のインタビューを寄稿しているので是非ご一読下さい)。
 詩人からキャリアをスタートした彼にとって、小説は自身が実際に見て感じた目の前の現実をキュレーションして組み直すことで生まれる可能性のある芸術様式らしい。

「プルーストについて言えば、彼が書く音楽について語ったものよりもむしろ、彼の作中で登場する音楽の描写の方が随分と面白いと思う。」


 インタビューの中でそう語ってくれた彼の作品には、現代アーティストのクリスチャン・マークレイによる「The Clock」、メタリックな彫刻で有名なジェフ・クーンズ、そしてマンハッタンにあるメトロポリタン美術館の風景、2011年に始まった「OCCUPY WALL STREET」や、2012年にマンハッタンを襲ったハリケーン、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』まで現実に存在する作品や、事象があたかも著者本人の日記に登場するかの如く現れ、物語の風景に溶け込んでいく。
 ラーナーの作品を読んで、目の前にある現実の連なりを我々が選べば、物語性を帯びていくという「現実と言葉」の可能性に改めて気がついた。
 今、自分の目の前で感じること。それを言葉に表すことで、立ち上がる空気の存在。その可能性を。「現実は小説より奇なり」ではなく、「現実から物語は生まれる」のだ。









Photo : YUSUKE KOISHI



NYU近くにあるMercer Street Books & Recordsという古本屋。看板には "The man who does not read good books has no advantage over the man who can't read"というMark Twainの言葉が書かれている。筆者はここで、2冊ほど買ってしまった。


Photo : YUSUKE KOISHI

ダウンタウンにあるBarnes and Nobleでは新刊のサイン会が開かれているようで多くの人が書店に並んでいるようだった。


Photo : YUSUKE KOISHI

数々の映画や小説に登場してきたセントラルパークの広場から見た風景。ニューヨークは世界で最も競争が激しい街と言われているが、それはおそらく作家にとっても例外ではない。ハーマン・メルヴィル、トルーマン・カポーティ、スコット・フィッツジェラルド、J.D サリンジャー、アーウィン・ショー、カート・ヴォネガット。存命の作家でもポール・オースター、フィリップ・ロス、 ジョン・アップダイクなど数多くの作家が生まれている。ラーナーの短編を紹介した『The New Yorker』のFICTIONのコーナーは今も作家の登竜門だ。私はこのセクションで新しい作家を読むために数年前から雑誌を購読している。


ベン・ラーナー(Ben Lerner)
1979年生まれ。現在、ニューヨークのブルックリンを拠点に大学で教鞭を執りながら、詩人、批評家、小説家として幅広い活動をしている。アートにも造詣が深く『The New Yorker』でレビューを書くことも。ニューヨーク市立大学ブルックリン校教授。

詩集
『The Lichtenberg Figures. Port Townsend』, Copper Canyon Press, 2004.
『Angle of Yaw. Port Townsend』 , Copper Canyon Press, 2006.
『Mean Free Path. Port Townsend』, Copper Canyon Press, 2010.

小説作品
『Leaving the Atocha Station』, Coffee House Press, 2011.
『10:04』, Picador , 2014.


PICADOR USA


FREE MAGAZINE ISSUE 3


McNally Jackson Books
52 Prince St, New York, NY 10012 


Mercer Street Books & Records
206 Mercer St, New York, NY 10012


Barnes & Noble
33 E 17th St, New York, NY 10003


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小石祐介(こいし・ゆうすけ)

青森県三沢市出身。2014年までコム デ ギャルソンにて国内・海外の企画運営等に携わる。
独立後は、組織の枠組みを超えてデザイナーやアーティストなどと共に企画を立ち上げ展開する企画プラットフォームのNOAVENUEの代表を務めながら、執筆、ブランドのコンサルティング、FREE MAGAZINEの企画にも携わる。趣味は数学書を読むことと、日本で紹介されていない外国人作家の小説の翻訳をすること。

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