インタビュー

第2回 単行本に載らない編集後記

2017.06.13更新

 第1回目となる前回は、著者である木村さんが「『インタビュー』を記し終えて、伝えておきたいこと」と題した、渾身のメッセージをお届けしました。そして、第2回目となる今回は、それに応えるようにして書いた、編集者・ミシマのこれまた全力投球のメッセージをご紹介します! このとてつもない作品を編集し終えたあと、編集者は何を何を語るのか......「単行本に載らない編集後記」をどうぞ!

「取材」そのものをテーマとしたノンフィクション
 ――木村俊介著『インタビュー』

 「インタビューとはなにか。この問いを出発点に、著者は途方もない旅に出る。
 「道具」としての便利さ、使い方を懇切丁寧に伝えたあと、新たな問いを自らに課す。
――その道具を使い続けると、世界や社会がどのように見えてくるのか。
 「帰ってこられない」危険を感じつつ、「捏造や支配」が横行する現代において、インタビューだけが果たせる役割を見出していく。
 「植物的」とも言えるスタイルで綴られた異作ノンフィクション、ここに誕生。」

 これを、帯の表4(帯の裏側のことです)に載せました。
 何度も、何度も、何度も、読む。読み込む。その末に、たどり着いたことばで、私にとっては、「帰ってこられない」覚悟で掬いとったことばでもあります。
 帯の紹介文をつくるのに、「帰ってこられない覚悟」だなんて、大げさすぎるでしょ。
 そう思われる節もあるでしょう。私も、誰かがそう言っていたら、同じように感じるかもしれません。
 ただ、こと本書に関しては、本当にそうだった、と申し上げるほかありません。

 というのも、この本で著者である木村俊介さんが、めざしたこと、そして実行したことは、それほどに壮大かつ異端なことなのです。「はじめに」の表現を借りれば、「取材について試行錯誤してきた何十年かの戸惑いや納得感までが、ほとんどまるごと詰め込まれている、取材の世界そのものを調べるテーマとしたノンフィクション」、それが本書です。
 そんなノンフィクション、これまであったでしょうか?
 寡聞にして私は知りません。つまり、先例がない。
 ということは、本づくりをするうえで、何かを参考にすることが一切できない。そういうなかでの編集作業でした。
 ゆえに、身を投じるほかに術がなかった。帰ってこられない覚悟で。地図のない世界に踏み込むときと同様です。

 もちろん、デザインにおいても同じことが言えます。
 本書のデザインは、寄藤文平さんにお願いしました。寄藤さんは、この数年にかぎっても、内藤正典『となりのイスラム』、是枝裕和『映画を撮りながら考えたこと』、河野通和『言葉はこうして生き残った』など、唯一無二の装いを「一冊」に与えてくれています。いま、最高峰のデザイナーと言って反論する人はいないのではないでしょうか。
 その寄藤さんが、出来上がった見本を手にして、「自分が手がけた本で、最高のデザイン」と述べられました。
 いうまでもなく、寄藤さんは、あらゆる書籍の依頼に対してすべて真剣勝負で挑まれています。それだけに、ある一冊だけを取り上げて、「自分のなかで最高のデザイン」と発言するなど、ちょっと考えにくいことです。
 にもかかわらず、出来上がった一冊を手にして、そう発言しないではいられなかったのだと思います。裏を返せば、全身全霊をかけてデザインされた一冊だったということでしょう。

 実際、寄藤さんも私も、木村さんに原稿をもらった時点から、本書の「ただものじゃない」感をひしひしと感じていました。
 それもそのはず、約330頁で仕上がった本書ですが、すべて木村さんの「手書き」によるものなのです。その筆圧、筆致、量、緻密さ、どの点をとっても、圧倒的でした。読めない字で書き殴ったような書き原稿にもある種の狂気が宿っているでしょうが、木村さんの原稿はまったくその逆。あまりに整然と、美しい字で、ただひたすら、えんえんと、えんえんと書き連ねられた文字群に、やはり狂気を感じずにいられませんでした。前者が「肉食的」だとすれば、木村さんのそれはまさに「植物的」な静かさを湛えた狂気でした。
 そして実際に読んでみて、その「ただものじゃない感」が間違いなかったことを確信するに至ります。

 本書は大きく二章立てです。

 第一章 道具としてのインタビュー
 第二章 体験としてのインタビュー

 『インタビュー』というタイトルからイメージできる取材にまつわるエトセトラ、は第一章で書かれています。
 たとえば、依頼書はつくるほうがいいですか? どんな要素が入っていればいいですか? 資料の読み込みは必要ですか? 素人でも取材はできますか? といった、取材初心者が素朴に聞いてみたい基本の「き」についても、懇切丁寧に答えておられます。もう、それだけで十分一冊になる、というレベルで(実際、一章だけで160頁超あります。新書で組めば200頁を超えるでしょう)。
 もちろん、こうした取材にまつわるエトセトラ、の説明も「植物的」なものです。言い換えれば、(肉食的、と言っていいかはわかりませんが、たとえばQ&A方式のような)一対一対応の書かれ方をしていません。あることについての断片の情報が、だいぶ先の全然違う内容が記された小見出しの箇所で、ぽっと顔を出したり。確かに植物の根は、一本の直線なわけではありません(蔦などは、いったいどことどこと絡み合っているか、わかりませんよね)。

 この第一章だけで、ただものじゃない一冊と胸を張って言えます。内容、スタイル、両方において。
 が、木村さんは、この一章を土台にして、まったく未知なる世界へと足を踏み込むのです。
 それが、「第二章 体験としてのインタビュー」。
 その冒頭の小見出しは、こうあります。
「インタビューは「体験を聞く」という体験でもある」
 そうです、木村さんは、取材者はたんに「体験を聞く」にとどまらず、「体験を聞くという体験」をしている、と指摘します。
 そして、
「インタビューを使い続けたあとにこの世界や社会がどのように見えてくるのか」という問いを立てます。
 「誰がやっても同じことが起きるというのとはもうほとんど正反対の、「どうしようもなくそうでしかありえなかった、一回限りの運命のようなやりとり」をあとでどう話し、さらにどう聞き直して考え直し、過去を処理していくのか」(p.198)
 一回かぎりの取材で得た言葉を「聞き直して考え直し、過去を処理していく」――取材者だけがおこないうる、こうした行為を自覚し、徹底的に見つめたとき、取材というものの可能性が新たに拓かれるのではないか。

 この問いを立てて以降の約150ページが、圧巻です。
「価値観が裏返ったあとにも声や現実を再解釈できる」
「インタビューは、いつか壊れてなくなる人生を彫ってゆく」
「捏造や支配と戦い、沈黙せざるをえぬ人を思う」
......こうした渾身の言葉が迫ってきます。
 どういう文脈で、どういう意図で木村さんが書かれたのか、は本書に譲ります。
 木村さんが照らした風景は、取材を仕事にしている人のみならず、「善く」生きようとする全ての人たちに温かみをともなって見えてくるはずです。


※こちらの内容は、6月7日に、ミシマ社のメルマガにてお送りしたものです。メルマガでは、イベント情報、新刊情報などを配信中(無料です)。毎週水曜日には「ミシマのメルマガ」も! ご登録はこちら

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木村俊介(きむら・しゅんすけ)

インタビュアー。1977年、東京都生まれ。著書に『善き書店員』(ミシマ社)、『料理狂』(幻冬舎文庫)、『仕事の話』(文藝春秋)、『漫画編集者』(フィルムアート社)、『変人 埴谷雄高の肖像』(文春文庫)、『物語論』(講談社現代新書)、『「調べる」論』(NHK出版新書)、『仕事の小さな幸福』(日本経済新聞出版社)、聞き書きに『調理場という戦場』(斉須政雄/幻冬舎文庫)、『芸術起業論』(村上隆/幻冬舎)、単行本構成に『西尾維新対談集 本題』(講談社)、『海馬』(池谷裕二・糸井重里/新潮文庫)、『ピーコ伝』(ピーコ/文春文庫PLUS)、『イチロー262のメッセージ』シリーズ(ぴあ)などがある。

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