インタビュー・ミシマガ「人」

「編集家」という肩書きで、長年出版界で編集者・ライターとして活躍してきた竹熊健太郎さん。いまや伝説的なギャグ漫画として知られる相原コージ氏との共著、『サルでも描けるまんが教室』(略称「サルまん」)を読んだ方も多いだろう。
近年はじめたブログ、「たけくまメモ」は多くの漫画ファンや業界関係者の注目を集め、京都精華大学と多摩美術大学の教壇にも立ちながら、同人誌『コミック・マヴォ』の編集長を務めるなど、活躍の幅を広げている。
その竹熊さんに、出版の未来についてお話を伺った――。  (聞き手 大越裕)

第4回 竹熊健太郎さんインタビュー(後編)

2010.01.12更新

竹熊健太郎さんインタビュー前編はこちら

マンガ家の発掘と育成を大学で

―― 確かに、音楽業界を見ていると、20年ぐらいCDで音楽を買うのが普通でしたが、ipodが出てからあっという間にデータで買うようになっちゃいましたもんね。

竹熊そうそう、漫画について言えば、ケータイやiPhoneで見るのは大きさ的にまだ少し辛いけれど、画面に合わせた描き方をすればいいわけで。現実、すでにケータイやiPhoneに対応した漫画も、それ専門の配信会社・出版社は存在しますし。ケータイやiPhoneだけではなく、amazonが出している書籍ダウンロード端末のキンドルや、タブレットPCなどの新デバイスが後に控えている。雑誌やマンガに関していえば、そういう新デバイスに適応する形で生き残っていくのでしょう。

僕は大学で6年前から教え始めているんですが、去年から僕が教えた学生作家を集めて雑誌を作り始めたんです。それが『コミック・マヴォ』なんですね。多くの学生を見ていると、中には僕から見ても明らかにマンガの才能がある人がいる。プロになっておかしくないレベルの人も複数いたわけです。ですが、その中でデビューした人は現時点では一人もいない。実力的に十分なのに、デビューできないというのは、才能とは別の部分で問題があるんですよ。それは本人の性格の問題もあれば、単純に「運」の問題もあります。出版社に持ち込んでも、対応した編集者に問題があってデビューを断念するケースは、実際にある。作家は編集を選べませんから。相性の問題はどうしてもつきまとうんです。







コミック・マヴォ第3号




そういう状況を見るにつけて、及ばずながら若い才能を世に出す手伝いをしてみたいと思ったんです。僕が大学の先生になったのは、人材の発掘をしたいという気持ちからですね。
従来は出版社の仕事であった「才能の発掘と育成」ですが、未曾有の出版不況の中で、出版社では困難になりつつある。売れるかどうかわからない新人作家の可能性に賭けてみる冒険ができなくなっているわけです。これでは才能の育成なんて無理ですよ。
 
出版社にできないのであれば、大学という場でやりたいなと僕は思っているんです。そうすることで次の世代につなげることができますから。マンガビジネスの根本は、昔から人材の発掘と育成に尽きると思うんですよ。製造業の基本は、安くて質の高い原料を製品にして売ることでしょう。大学で教えることで、人材の発掘育成に関わることができて、そこから新しい状況を生み出すことができるならば、これは一生の仕事ができたと思ったんですね。

―― なるほど、それで竹熊さんは出版界から距離を置いて、大学にシフトされたんですね。

竹熊僕自身が作りたい作品もあるんだけれど、それは2~3本でいいから死ぬまでに形にできればいい。むしろそういう作品を発表できる「場」を自分で作りたいんですよね。もう「よそ様の軒先」で商売するのがつくづく嫌になっちゃった(笑)。小さくてもいいから、自分の表現の場を持ちたかった。同時に表現を流通させるシステムを持ちたい。ブログに書いた「町のパン屋さんのような出版社」というのは、そういう動機から来てるんですよ。

―― 単純に作品を作るだけでなくて、流通から売るまで、すべてを自分でコントロールできるということですよね。

竹熊そう。その場合、作家しかいなかったら、同人誌を作るぐらいしかない。同人誌であっても、数千部規模で出す人もいますから、それならそれでいいんですが、おのずと市場的限界がありますよね。それを超えて作品を世に出そうと思ったら、必ず出版社や編集者が必要になります。それで思い出すんですが、僕のこの言葉とは反対に、最近は作家が出版社と取引することに限界を感じて、自分で出版をやろうとしてますよね。

最近では『ブラックジャックによろしく』の佐藤秀峰さんの取り組みが、まさにそうでしょう。非常に興味深い試みだと思いますが、この場合は作家が編集者を兼ねることになるわけで、誰でもできるというわけではありませんね。

マンガ編集者はフリーになっていく

―― 欧米の出版界では一般的に、エージェント(代理人)が出版社と作家の間に入ってビジネスの交渉をしますが、マンガに特化したエージェントって日本にはまだいないですよね。

竹熊ぼちぼち出てきてはいるけれど、まだ本格的にはいないです。マンガの世界では、10年前まではエージェントが出てきても出版社に潰されていました。とにかく出版社の力が強かったんです。日本の出版社は、版元と作家との間に代理人的な第三者が介在することを非常に嫌う。邪魔者と見なして排除にかかるんです。代理人を立てるような作家がいたら、仕事を干したりしてね。

ですから長年マンガ界では、ユニオン(組合)とエージェントはタブーだったんです。しかし今は出版社の力が弱まっていますから、作家に対して昔のような強権を発動して囲い込むことができなくなっていると思います。作家も黙ってませんし。版元への不満をブログで書いて告発したりする。一昔前までは考えられなかった事態が起きています。
 
最近はそうでもないけれど、マンガの場合、小説などに比べて作家デビューが若いんですよ。70年代までの少女マンガは高校生でデビューするのが普通だったし、中学生デビューなんてこともあった。アイドル歌手と一緒です。

高校を卒業したばかりの18歳の子が、田舎から上京して新人作家になるでしょう。この場合、編集者は親代わりになって、彼女らの面倒を見たわけですよね。アパートを借りてあげて、保証人になったりした。70年代の少年誌の編集者なんて、合鍵をもっていて、夜中に勝手に作家の部屋に入って冷蔵庫の中に食料を差し入れてた人もいましたからね。そんなのって他の編集の仕事ではあり得ないでしょ。小説でもそこまでのことはないけど、かつてのマンガの世界はそれがあったんですよね。

それぐらい編集者と作家が一心同体で作っていたんです。これが日本マンガの発展を支えた側面があったことは事実だと思います。高度成長下に発展したマンガの世界は、モーレツ社員の時代感覚そのままなんですね。最近はかなり改善されていると聞きますが、専属契約する場合も作家に対して不利なんてもんじゃなかった。少し前までは「専属期間中は他誌の編集者と打ち合わせをしてはならない」なんて某社の契約書に書いてあったぐらいです。他の業界じゃ考えられないでしょ。

―― 編集者も変わってきてますよね。大手を辞めて、フリーのマンガ原作者として活躍する人も出てきてますし。

竹熊フリーになって、原作者をしながら編集者としても仕事をしている人は、実際に存在します。従来の原作者と違って、作品の入稿作業までやったりする。浦沢直樹さんと組んでいる長崎尚志さんはまさにそうで、ネーム(コンテ)の打ち合わせから写植指定までやってるそうです。原作者がそこまで編集者の仕事をするようになると、版元の編集者は下手するとメッセンジャーボーイになっちゃいますよね。これには問題点もあるとは思うんですが、いずれフリー編集者が増えてくれば、必然的にそういうパターンが多くなるのではないでしょうか。

実際、どの版元でも現場の編集を編集プロダクションやフリーに置き換えていますから、今後そういう形態はどんどん増えていく可能性があります。その中には自分で企画を立てて脚本家や作家を雇って作品を作る、マンガプロデューサーといえる役割の人が出てくるんじゃないかと、僕は予想しています。

―― するとこれからは作家も、出版社より、編集者個人につくようになるのでしょうか?

竹熊昔から作家は、出版社ではなく編集者についていくと言われてましたが、その傾向がもっと強まるかもしれないですね。以前から、信頼できる編集者が部署や会社を移ったら、作家もそっちについていくことはざらにありました。息のあった編集者に対しては、作家の側も手放したくないわけですよ。でもこれまで編集者はサラリーマンですから、異動になったら担当を離れざるを得ない。それがすごいネックだったんですね。信頼関係を築くのには2~3年はかかるでしょう。ところが大手版元の場合、2~3年で社員の異動がある。これでは関係性は築けませんよ。

浦沢さんにとって長崎尚志さんは、デビュー当時からの担当でしたが、強い信頼関係で結ばれていることは業界では有名です。長崎さんの場合、小学館の社員編集者だったんですが、辞令が出て他の編集部に異動しても、前の雑誌での浦沢さんの担当は続けていたそうです。これを会社も黙認するという異例の事態になっていました。そのくらい、作家と編集の関係は重要なんですよ。

もし編集者がフリーになるメリットがひとつあるとすれば、「異動がない」ということかもしれないですね。実際「のだめカンタービレ」という大ヒット作品がありますけど、これは8年間の長期連載の最初から最後まで、マンガ家の二ノ宮知子さんと編集者の三河かおりさんのコンビが手がけた作品です。これは大手では非常に珍しいことなんですよ。
 
三河さんはフリー編集者なんです。だから異動されることなく二ノ宮さんの担当ができた。二人は相性がバッチリですから、作者にとっても非常にやりやすい環境が保たれたといえる。アイデアの打ち合わせなどでは、優秀な編集者はストーリー・アドバイザーの役を果たすことが多いんですが、これは相性が悪いとできない作業です。

ですから、これからはマンガ家とフリー編集者がタッグを組んで新作の企画を立てて、それを編集者が版元に営業をかけて仕事をとるようなパターンが増えていくでしょう。版元の社員が編集するという常識は崩れてくるのかもしれません。そのかわり、作品がコケると作家だけでなく編集者もクビになる。非常に厳しい時代になりますが、作家にとってはそれが日常なわけですから、ようやく仕事のバランスがとれるとも言えます。

サラリーマンは社員の個性が会社よりも前に出ちゃうとまずいですけど、フリーだと、いかに自分の個性を売り込むかにかかってますからね。これからは単行本のタイトル下、作者の名前の脇に、編集者も名前を載せる時代になると思いますね。映画のプロデューサーと同じです。長崎尚志さんは浦沢直樹氏の『PLUTO』を始めたとき、社内吊り広告にも「プロデュース長崎尚志」と名前を載せて話題になりました。社員だったらまず考えられないことでしたが、あれは戦略的にやったんでしょうね。
 
フリーでやっていくということは、作家と同じく編集者も名前を売らなくてはならないということです。おそらくこれからは、弁護士や税理士のように編集者も看板を掲げて、作家が編集を雇うような時代になっていくのではないですかね。

町のパン屋さんのような出版社を目指して

―― 実は竹熊さんの「町のパン屋さんのような出版社」という言葉を見て、すごく共感したんですね。「美味しくて値段以上の価値がある」と思ってもらえるパンを作っていれば、遠くからでも買いに来てくれるし、今はネットや宅配便を使えば通販だってできますから。大きな工場で沢山のパンを作って全国津々浦々に売る道もあるけれど、その町でしか買えないパンを、必要とする人に、必要な分だけ買ってもらう道もあるんじゃないかと思うんです。


竹熊正しいと思いますね。僕も実験的に『マヴォ』で始めていますが、今の日本で出版を新しく始めようと思ったら、事業規模を極力小規模にして、リスクを回避するしかないんじゃないですか。僕の場合、今は食べるほうの収入は大学の給料で稼いでいますので、出版は完全にボランティア、持ち出しでやっています。販売ルートは通信販売と、コミケなどの即売会、タコシェなど一部の書店などを使って、二年ぐらいかけて2000部を販売できればいいと。もちろんこれですぐ利益を上げることはできないんですが、実験ですからね。

将来的には、マンガをプロデュースする会社を作りたいと思っているんですけどね。『マヴォを作家を集める拠点にして、「竹熊と組むことでいい作品ができるかもしれない」と思ってもらえればありがたいですね。
今も何人か女性作家を中心にプロレベルの人たちがいますが、やがては彼女たちのところに出版社から「仕事をお願いしたい」と声がかかる日が来るでしょう。そのとき僕は作家を抱え込まずに、どんどん紹介しようと思っています。マンガの世界はこれから面白くなっていくと思いますよ。

―― なるほど、出版不況、マンガ不況と言われる今だからこそ、新たなチャンスなのかもしれませんね。竹熊さん、興味深いお話、ありがとうございました! 

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

竹熊健太郎

1960年(昭和35)東京生まれ。
1981年よりフリーで編集・文筆活動に従事。
主活動ジャンルは、マンガとアニメーションを中心としたサブカルチャー領域。
2003年4月より、多摩美術大学共通教育で「漫画文化論」非常勤講師を務める。2009年4月より京都精華大学マンガ学部プロデュース学科教授。

バックナンバー