インタビュー・ミシマガ「人」

村上雄一郎  元・一級建築士、現・革職人という異例の経歴と、独自の発想で生み出す革のプロダクトで注目を浴びる。「m+」でエムピウと読み、『村上雄一郎+誰か』という意味を持つ。

「初めて見たとき、本当に目を引きました。見たことないカッコよさだったから」彼のなじみのバーの主人は彼のプロダクトと、彼との出会いをそう話していた。  既視感がないカッコよさ。革の小物プロダクトのエムピウの仕事は、どれも今まで接してきた革製品とは全く違う、多角的な美的感覚を刺激してくる。それは機能美であり、素材美でもあるし、さらには均整美でもある。  日本の革業界でも、今もっとも注目を浴びる作り手のひとり、エムピウの村上氏。今回は長い歴史を持つ革の世界で、新しい光を放ち続ける彼の手仕事をご紹介します。(取材・文・写真 森王子)

第11回 建築家×革職人、エムピウの仕事(前編)

2010.04.21更新

建築士から革職人に!? 木や石、鉄の素材から、革の世界へ

―― 今日はよろしくお願いします。

村上こんにちは。今日はまたなぜ僕に?

―― 実は大ファンなんです。名刺入れずっと使ってます。

カードケースFERMA。革の弾性を使って、金具を一切使わずに、ぴったりとケースを閉じることのできる仕組みを採り入れている。

村上ありがとうございます。おかげさまで今年で10周年になります。

―― おめでとうございます。村上さんは、革職人になる前は建築士だったとお伺いしました。建築と革のプロダクト製作って、似ているものなんですか?

村上似てるところもあるし、そうでないところもありますね。立体物を作るという感覚はもちろん共通していますし、同じ表現をすることもあります。たとえば革のバッグでは、スペースを表現するのに「室」という言葉を使う。つまり部屋をつくるのと同じ感覚なんです。バッグの場合、その「室」には人ではなくモノが入って、それを人がどう使うのか、を考えるわけですが。

―― 大学では建築を専攻されたのですか?

村上そうです。大学で建築を学んで、それから設計事務所に入るという、普通の道を辿っていましたね。その設計事務所を出る頃に、一級建築士の資格を取得しました。

―― どういった建物を設計されてたんですか?

村上個人事務所ではなかったので、一人で建物全体を設計することはなかったんです。「基本設計」という、ベース作りをしていました。だからまあ、「ペーパー建築士」みたいなもんです。

―― 一級建築士なのに?(笑)

村上ええ(笑)、今も建築の細かいところは分からないんですよね。事務所で設計図をバリバリ描いていたときも、現場に行くと、その規模の大きさに唖然としちゃうことがあって。ただの家でも、僕にとっては規模が大きすぎた。事務所も小さいとは言えないぐらいの規模だったし。それに建築は、自分の考えたものがそのままの形で完成するかどうか、できてみるまで分からない。その上、ずっと残る。だからたとえ失敗しても、作り手側は「ああ、こんなんなっちゃった」と後悔するしかない。完成してしまったら、微調整ぐらいしかできないですからね。

―― そうですね。規模ゆえの宿命というか。


村上でもそれが手のひらに収まる財布やバッグだったら、自分で責任をとれるな、と思ったわけなんです。壊れたら直せばいいし、何度でも納得いくまで作り直せる。今振り返ると、結局そういう感覚を大切にしたくて、転身に踏み切ったと思いますね。建築は、僕にとっては規模がでかすぎた。

―― なるほど。でも、なぜ革職人だったんでしょうか?

村上事務所にいた時から、時計の革バンドや小物を趣味で作っていて、先輩に「これ、いいでしょ」って見せてたんですよ。すると「いいねー。村上、そっちのほうが向いてんじゃないの?」みたいに言われて、「僕もそう思うんすよ」みたいな。27歳ぐらいのときでしたね。

―― 人生の転機って、意外とそういう寄り道から始まってゆくものなんですね。

村上そうそう。それで本気でやりたくなっちゃった。でも、その歳から職人さんについて教えてもらったとして、「糊塗り5年」なんて言われたらどうしようかと。「一人前になったときには何歳になってるんだ?」って不安になって。

―― 職人の世界ってそういうものだってよく聞きますよね。

エムピウの魅力のひとつは、鮮やかな発色。とくにレッドの重層感のある発色がすばらしい

偶然が偶然を呼ぶイタリア道中

村上それで困っていたとき、イタリアの建築学校出身の先輩がいて、いろいろと相談しているうちに「とりあえずイタリア行って、勉強してこい」という話になったんです。

―― やっぱり革って、イタリアが本場なんですね。

村上いや、まあそうなんですけど。なんとなくイタリア帰りだと、それっぽく見えるじゃない(笑)。 

―― そういうの大事です(笑)。

村上それで、先輩が独立して作った事務所に所属しながら準備をして、イタリアの職業訓練校に1年間行ったんです。そこはなんとタダなんです。ただし通うまでに、面接で選抜されるんですが。

―― タダ!? すごいですね。

村上イタリア文化会館に手紙を送って、実際にイタリアに行き、その職業訓練校を受けたんですが、競争率がかなり高かった。2人の枠に、30人ぐらいエントリーしていた。これが困った。まずイタリア語がしゃべれないですから。

―― そんなに人気なんですね。

村上そうなんです。でも、なかなか選抜試験が始まらない。結局、11月と言われていたのが、翌年の3月ぐらいに延びたんですよ。そうすると、ずっと現地で待ってる日本人なんていないでしょ。でも僕は待つことにした。その間に、現地の革職人のところに「お金はいらないから手伝わせてください」って押しかけた。見て勉強しようと思ったんです。

―― なんだかそれっぽくなってきましたね!

村上でしょ(笑)。そうしてるうちに、30人いた日本人も、別の職人学校に入っていったりして、最終的に3月まで残ったのは僕を入れて二人だけになった。ちょうど定員なので、学校に入ることができたんです。

―― へー。

村上
それで、その学校で勉強しながら、周辺のかばん屋さんでアルバイトもしました。なんとなくそのあたりから、自分でもこの仕事で食べていくことの手応えを感じるようになってきましたね。
卒業が近づいて、現地で働けるところを紹介してもらうことにしたら、フィレンツェ近郊にあるベネトンの子会社で、バッグのサンプルなどを作っている工房に入ることができたんです。そこには、職業訓練校で僕にいろいろ教えてくれていた先生がフリーで働いていた。1日1つ作品を作るというノルマの中で、わからないことがあれば「ここ、どうするんですか?」とすぐに聞ける環境だったので、そこでみっちり実践的な修行を積むことができましたね。革より布製品づくりが多かったですが、何より、数をこなせたことが面白かったし、力になった。

妻の鶴の一声、あっけない帰国

村上その会社で1年目を終えようとしていたときに、学校の別の先生から、「セリーヌが今パタンナーを募集してるから、君を紹介しようと思う」という連絡を受けました。給料も上がるし、待遇もいいので、すぐ行くことに決めた。もしかすると日本に残していた家族も呼べるかも知れない、という感じになってきました。

―― すごいですね! それだけトントン拍子というのも。

村上 そうですね。それで2年間は最低いなきゃいけなかったので、「人生の追い風に乗って、イタリアで暮らそう」とカミさんにメールしたんですよ。するとすぐに「バカなことやってないで、さっさと帰ってらっしゃい」と返事がきた。

―― (笑)。

村上あらーって感じですよね。それでまあ、仕方ないからセリーヌには「カミさんが、かくかくしかじかで」と言って断って、ベネトンの方もだいぶ勉強できたので、もう日本に帰ろうかな、と。

―― 愛妻家ですね。

村上「これだけイタリアにいたら、日本に帰ってもイタリア帰り扱いされるだろう」と思ったんですね。で、日本に帰ってきて、日銭を稼ぐために再び先輩の設計事務所に戻りました。

―― あ、会社に一回戻ったんですか。

村上いきなり革の仕事で、安定した収入を得るのは難しいですからね。まとまった資金も要るし。でも、会社で日々に追われるうちに、革に人生を賭けようと思っていたのが完全にストップしてしまった(笑)。もう少しイタリアに居ればよかったなー、と何度も思いましたよ。

大ヒットした定番の財布millefoglieシリーズ。どうしてこの形になったのか、製作秘話は後編にて

エムピウ、スタート

―― それでエムピウを始められるわけですよね。職人の世界で生きていたイタリアから帰国して、どんな風に「革人生」をリスタートしたのでしょう?

村上はじめは一つ一つ、自分で全部作りたかったんです。でもそういう革職人的なやり方は、日本だと職業としてほとんど成り立たない。そう考えると、どこかの企業に入って、雇われデザイナー、パタンナーとして生きる、というのが選択肢としてありました。それでも一応、革を仕事にはできる。

―― なるほど、それでどこかの企業に入った?

村上いえ、そうなると、ほとんどサラリーマン的というか、保証がある分、会社の責任のもとでしか動けない。「これからはこういうのが流行りそうだから、それを作ろう」というような仕事の仕方になる。どうもそれは面白くない。なのでいったん、自分は革製品のどんなところに面白みを感じるのかな、というところから考え直しました。

―― なるほど。

村上
それで、「自分の手で最初の原案を作るのが楽しいな」ということに再び気づきました。量産するのは、人に任せればいい。それが今のエムピウの原型です。自分で原案、サンプルを作って、それを業者に作ってもらって売るという仕組みです。生産工程だけは人にまかせて、それ以外は自分でハンドリングできる、それが自分にとっていちばんやりやすかったんです。まだ設計事務所に席を置きながらですが、2001年の3月にエムピウとしてスタートさせました。

(次週、後編に続きます! エムピウの魅力的なプロダクトと製作行程などを一挙公開!ご期待ください!)

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