インタビュー・ミシマガ「人」

7月10日から公開の話題の映画、『ビューティフル アイランズ』。この作品に映し出された南太平洋のツバル、イタリアのベネチア、アラスカのシシマレフ島の「いま」の姿は、私たちの世界が将来、気候変動によって変わりいく先の「未来像」でもあります。本作品を3年かけて撮影した海南監督インタビュー後編では、ドキュメンタリーの力を信じる監督のパーソナリティにスポットをあててお話を伺いました。
(聞き手:堀 香織/大越 裕 文章:堀 香織)

インタビュー前編は、こちら

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『ビューティフル アイランズ』 7月10日(土)恵比寿ガーデンシネマほか全国順次ロードショー 配給:ゴーシネマ http://www.beautiful-i.tv/

第17回 『ビューティフル アイランズ』監督・海南友子さん(後編)―映画を離れて縦横無尽に広がっていく「絆」―

2010.07.12更新

環境問題に関心を持った大学時代

―― 海南監督は、大学時代に是枝裕和監督のテレビドキュメンタリーに出演した経験から、映像の世界へ飛び込んだそうですが、どういう大学時代を過ごされていたのですか。

海南すごく好奇心旺盛な学生でした。いまも変わっていないんですが(笑)、そのときに興味を持ったものに深くのめり込んでしまう。バリダンスを習いたいと思えばバリ島に2カ月滞在するし、国連の会議に出てみたいと思えば、大学に行かずに1年ほどNGOの事務所でボランティアとして働くし、という具合です。

―― 環境問題への興味はいつからですか?

海南大学時代にあちこち放浪していたときに、インドネシアで植林をさせてもらったことがあるんです。べつにエコ学生だったわけではなく、楽しそうだったからしただけ。いま農業に関心のある若い人たちが増えていますが、ああいう感覚で。

でも、翌年に同じ島に行ったら、そのときに植えた木がぜんぶ枯れていた。「一生懸命に植えたのに」って、ものすごくショックでした。そして「一本の木を育てるのはこんなに大変なんだ」と気がついた。環境問題の知識はあったけれど、そのときに本当の意味で腑に落ちた、理解できたんですよね。

帰国後、メモは広告などの裏紙を使うようにしたし、ノートも無印良品のわら半紙系に変えました。環境問題に関わりたいなと思ったのはその経験からです。それで国連の地球サミットに参加したいと思った。

当時、すでに男性にはエコオタクみたいな人が多くて、彼らから生物多様性の話とか鳥や魚の生態系とかを教えてもらったんです。それで、いま野外フェスなどでゴミゼロナビゲーションなどの活動をしている「A SEED JAPAN(*1)の立ち上げに参加したり。

 (*1)91年に設立された日本の青年による国際環境NGO。

いまはエコを考えるのはずいぶんとクールなことですが、当時は事務所も汚くて、素敵じゃない男子がいっぱいいた(笑)。だから「環境問題に取り組むことがいずれカッコいいことになったらいいのにね」なんてよく言っていました。

―― 実際、この20年で"カッコよく"なったと思われますか?

海南(笑)ええ、思います。モデルさんがエコバックやマイ箸持っているなんて取り上げられたりしていて、それを見ると「変わったなあ」って思う。

「A SEED JAPAN」の立ち上げのころはみんな、「日本人はゴミの分別なんて死んでもしないだろう」と思っていたんです。そのころ交流があったドイツの学生と話すと、分別をしっかりやっていて、「あれはドイツ人だからできるんだよ」なんて言っていた。でもいま、駅のホームで年配の男性が自分の食べたお弁当とお茶をきちんと分別して捨てていますよね。それって当時から考えたら革命的な変化ですよ。

環境に対するアクションというのはすごく変わったと思います。変わるときは大きく変わるという実感がある。「変わらない」と思ったら変わらないけれど、「解決できる」と信じて動いていると、ある瞬間にガラッと変わる。だから、何事も諦めないで続けていれば、大いなる神のような存在が自分たちの中から生まれ出て、解決できるんじゃないかなと思います。

「ドキュメンタリー」に取り憑かれている

―― 女性のドキュメンタリーの監督というのはけっこういらっしゃるのでしょうか。

海南4割くらいは女性じゃないでしょうか。劇映画の映画監督は男性が圧倒的に多いですが。

―― 確かに社会的な問題に対して興味を持つのは、女性のほうが早いような気もします。

海南女性のほうが人生の選択肢が男性よりも多いので、「どうやって生きるか」ということを常々考えるイキモノなのではないかと(笑)。

―― ではドキュメンタリーの監督というのはタフさが必要だと思いますが、女性であることで困ったこと、逆に得したことはありますか?

海南困ったことはないですね。得したことは、一緒にいても嫌がられることが少ないこと。

特に「若い女性」は、相手がどういう人であっても嫌がられることがあまりないと思う。たとえば政治的な問題とか、企業の社会問題を追及するというような場合でも、やはり女性がにこやかに取材すると、追い返されることはないというか。私は戦争被害者の方々の取材をしたことがあるんですが、やはりそっと被害者のそばで話を聞くという場合においては、女性のほうが安心してもらいやすいかもしれません。

ただ、3日も4日もお風呂に入れず、寝ないで働くというのは、さすがに女性は大変だと思います(笑)。

―― NHKを2000年、30歳で退社し、独立されていますね。失礼な質問かもしれませんが、大手企業からわざわざ出て、フリーランスの監督になられた理由はなんですか?

海南NHKが厭だったわけではないんです。ただ、大きい会社だと、自分がパズルのピースの一つでしかないわけで、それがちょっとつまらないなあと思うようになったんですよね。

それからNHKだと、本当は存在していない「中立の立場」が必要とされます。でも真実というのは一つではなくて、こちらから見たときと、あちらから見たときは、見え方は真逆であっても、話そのものはどちらも真実ですよね。だから「どの立ち位置から話しているか」を明らかにして取材をしたい、という想いがあった。一度しかない人生だし、自分が思うような取材をやりたい、自分の名前で責任を持って取材を続けたいと思ったんです。

―― 独立後、NHK時代と何が一番違いましたか?

海南テレビは何百万人も見ていただいているのに、放送が終わった瞬間ってすごく孤独なんです。半年間寝ないで作ったのに、放送はたったの45分で終わってしまって、しかも誰も何も言ってくれない(笑)。拍手もないし、賞賛も批判もたまに来るくらい。自分が何を作っているのかわからなくなってきたんです。それは作り手にとっては最悪の状況なのではないかと感じました。

NHKを辞めてから初めて撮った、インドネシアの元「慰安婦」を取材した作品『マルディエム彼女の人生に起きたこと』が、山形のドキュメンタリー映画祭で上映されたとき、100人くらいのお客様が見てくださったんですね。テレビの視聴者の何百万人から比べたら何万分の一の人数ですが、上映後に拍手をいただいたときに涙が出るほど嬉しかったんです。自分の作った作品を見てくださる方がそこにいる、ということが、忘れられない体験になった。上映後というのは厳しい質問などが来たりするんですけれど、そういうことも含めてすごく楽しいです。

―― ではドキュメンタリーの魅力、伝播力とはどんなことだと感じていますか?

海南ひとりでやるようになってから「絆」ということを感じています。作り手/撮影者と対象者の絆もあるし、上映が始まれば、お客様との絆も始まる。

私は被害者側の方を撮ることが多いのですが、実際に上映後に被害者に対する支援がスタートしたことがあるんです。映画を観た方と被害者の方との支援関係が始まる。それは私が撮影したときには意図していなかったことで、縦横無尽に広がる人と人との結びつきを見て、作り手冥利に尽きるなあと。

とにかくいまはドキュメンタリーに取り憑かれているので(笑)、これを仕事としてやっていけることに喜びを感じているし、そのきっかけを与えてくれた是枝監督には本当に感謝しています。

絆を大事にする作り手でありたい

―― 出版界では「売れない」という理由でノンフィクションの企画がなかなか通りません。映画界でドキュメンタリーという分野の企画が通りにくいということはないですか? 

海南一般の人々がどう捉えているかは私にはわかりませんが、個人的には書物のノンフィクションより映像のドキュメンタリーのほうが、昔よりも状況が良くなっていると思うんですね。

それはマイケル・ムーアの登場によるところが大きいと思います。彼の作品によってドキュメンタリーが劇映画と遜色ない出来で作られ、興行成績をあげられるということを、全世界が体験した。だから私のような無名の者が作っても、映画祭に出品して、気に入ってもらえれば上映してもらえるわけです。

ただテレビのドキュメンタリー番組は、映画などよりも多大な制約があるので、置かれている状況はかなり厳しい気がします。

―― お話を伺っていると、僕らも本作りで同じ方向を目指しているように感じます。テレビやインターネットと、本というメディアの違いは、受け手側に届くメッセージの深さではないかと思うんです。数では遠く及ばなくても、受け手の心に深く、ずっと残っていく、そういう本を作りたいと思っています。

海南私も一冊、すべての旅行に必ず持参している大好きな小説があるんです。400円くらいの文庫本で、何度も読み返しているから、見せるのが恥ずかしいくらいボロボロ(笑)。でも本や映画というのは、いつ書かれたか、いつ撮られたかが関係なく、いつでもどこでも誰に対しても心に残る何かを持ち続けていられるものなんですよね。

私もそういうものが作れたら嬉しいし、そこからまた何か違う繋がりができたり、思ってもいなかったことが起きたりするのを自ら体験してしまうと、本当にやめられない。これからもそういう絆を大事にする作り手でありたいと思っています。

―― ちなみにそれはなんていう本ですか?

海南ガルシア・マルケスの短編集です。旅先以外でも、厭なことがあったときとか、辛いときには必ず読みます。

―― 幸せな本ですね、監督とずっと旅ができて。最後に、次の企画や構想などがもう決まっていたらお聞きしたいのですが・・・。

海南実は20本くらいあるんです(笑)。あと何十年生きられるかわからないですが、命ある限りやっていきたいなと。

近々で言うと、2007年サンダンス国際映画祭で、自分が書いた劇映画のシナリオが「サンダンスNHK国際映像作家賞」を受賞したんですね。この賞の受賞作は、自分で監督して映画化しなくてはいけないので、次回作はそれになると思います。これまで劇映画は撮ったことがないので、すごく難しいと思うけれど、とにかく新しいことにチャレンジしようと思っています。

―― 愉しみにしています。『ビューティフル アイランズ』も東京の恵比寿ガーデンシネマを皮切りに全国で上映されますが、長く広く公開されて、いろんな人に見てもらえるように祈っています。

海南ありがとうございます。有名な人も出ていないし、「ナレーションby宮沢りえ」でもないので(笑)、口コミだけが頼りです。

―― いや、日本国民、みんな見るべきだと思います!

海南アハハ、言い過ぎ、それ(笑)。


※7月9日(金)10:30~14時頃まで、編集部のミスで本インタビュー後編を先に掲載してしまいました。前編をお読みになっていない方は、ぜひこちらのインタビューもご覧ください。本作品『ビューティフル アイランズ』について伺っています。
http://www.mishimaga.com/interview/016.html

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海南友子(かな・ともこ)

1971年東京都生まれ。日本女子大学卒業後、NHKに入局。報道ディレクタ―としてNHKスペシャルなどで環境問題の番組を制作。2000年に独立。主な作品に『マルディエム彼女の人生に起きたこと』(01年)、『にがい涙の大地から』(04年)。07年劇映画のシナリオ『川べりのふたり(仮)』がサンダンス国際映画祭でサンダンスNHK国際映像作家賞を受賞。公式サイト

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