インタビュー・ミシマガ「人」

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第1回「新作日本刀・刀職技術展覧会」日本刀文化振興協会会長賞 研磨分門 水田吉政出品作 直刀(七星剣写し) 銘 昭次作 人間国宝・天田昭次氏がつくった刀の研ぎを水田さんが任された。「天田先生から、『今までで一番いい刀になった。誰にも渡したくない』と言っていただいた」(水田さん)という出来に仕上がった。この刀は、聖徳太子が持っていたと言われる七星劍の写しで、オリジナルのものは国宝。北斗七星を意匠していることから「七星劍」の名がある。 写真提供:公益財団法人日本刀文化振興協会

過日(2010年6月13日〜7月25日)、
大倉集古館(*)で「第1回 新作日本刀・刀職技術展覧会」が開催された。  

 * 大倉集古館:ホテル・オークラの創業者・大倉喜八郎が収集した美術品を収蔵する美術館。

かねてより、刀の持つ輝きと神秘性に密かに惹かれていた筆者は、その展覧会を訪れた。そこで、ひとりの若き刀剣研師の存在を知った。

同コンクールの研磨部門でグランプリ(日本刀文化振興協会会長賞)を受賞した水田吉政さん。齢25歳。

寡黙で頑固一徹な親爺・・・。
日本刀の職人と言えば、こんなステレオタイプなイメージしか持ち合わせていなかった。それだけに、25歳の若者が、刀の世界に身を置いていること自体、まずもって信じられなかった。しかも、その若さで衆目に認められる技量を身につけている。その事実に、とにかくただひたすら驚いた。

「この人に会ってみたい」

その一念に衝き動かされた。

(取材:萱原正嗣)




第18回 刀剣研師の世界(前編)―25歳にしてキャリア10年、水田吉政さんの場合―

2010.09.07更新

若き刀剣研師は、実に気さくな青年だった

水田さんは、師匠の佐々木卓史さん(67)の下で、住み込みの内弟子として、日夜腕を磨いている。 佐々木さんの工房があるのは埼玉県三郷市。最寄り駅のJR武蔵野線・新三郷駅で待ち合わせた。うだるような暑さの中、水田さん本人が車で迎えに来てくれた。


―― ありがとうございます。今日はよろしくお願いします。

水田こちらこそ取材していただいてありがとうございます。よろしくお願いします。

車の中では水田さんと二人きり。「取材は後でゆっくり」と思っていたが、話は自然と刀のことに・・・。


―― 受賞おめでとうございます。

水田ありがとうございます。

―― 毎日暑いですよね。研師の方は火を使わないと思いますが、こう暑いとお仕事大変じゃないですか?

水田火は使いません。毎日クーラーをきかせて涼しい中で仕事をしています。イメージ壊しちゃいましたか? すいません(笑)。でも、暑いとやってられないですから(笑)。鍛冶の人たちは当然火を使いますが、夏場は暑すぎるので鍛冶の人たちは休みます。こんなに暑い中、火を使っていたら倒れちゃいますよ(笑)。

車中では終始こんな感じだった。一言問いを投げかけると、水田さんはその何倍もの答えを返してくれる。 事前に写真で見ていたその姿からは、「寡黙な青年」を想像していた。職人という肩書きから、勝手な先入観にとらわれていたに違いない。 実際に会って話してみた水田さんは、実に気さくな青年だった。


15の夜。「話をつけてきた。お前は刀剣研師になれ」

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佐々木さんの「工房」の入り口。外観は普通の家と変わらない。

車で走ることおよそ10分。佐々木さんの工房に到着した。 「工房」と言っても外観は普通の家と変わるところがない。唯一違いがあるとすれば、「お刀研ぎどころ 佐々木卓史」の看板が掛かっていることぐらいだ。


佐々木おお、よく来たねぇ。遠かっただろう。暑いだろうから涼んで涼んで(笑)。

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「お刀研ぎどころ 佐々木卓史」の看板。この看板がなければ、中で刀を研いでいることは想像できない。

師匠の佐々木さんが、満面の笑顔で迎えてくれた。ここにも、ステレオタイプな職人のイメージはない。この日は、自分がいかに先入観にまみれて生きているか、そのことを知らしめられた一日だった。


―― 改めまして、今日はよろしくお願いします。

佐々木こちらこそよろしく頼むよ。まだまだ若輩者なのでお手柔らかに(笑)。

―― いいえ、とんでもないです。それでは早速・・・。まずは、水田さんが刀剣研師になられたきっかけを教えてください。

水田高校1年のときに、祖父から「話をつけてきたから、正月明けたらお前は東京に行って刀剣研師になれ」と言われたんですよ。それで、高校を中退してこっちに来ました。

水田さんは佐賀出身だ。祖父は刀剣研師をしている。叔父も研師というから刀剣家系だ。 聞けば、水田さんは「荒れた」中学時代を送っていた。それを見かねた祖父が、研師仲間の佐々木さんに、「こいつを更生させてほしい」と頼み込んで弟子に引き取ってもらったとのことだ。


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刀を手入れする水田さん。手に持つ刀は、「第1回新作日本刀・刀職技術展覧会」に出品した「直刀 銘 昭次作」。

水田自分としては、荒れているつもりはまったくなかったんですが、傍からはそう見えたみたいですね(笑)。

実にあっけらかんと答えるが、バイクの無免許運転で捕まったこともあるという。


水田こっちに来てから最初にしたことと言えば、家庭裁判所に行ったことですね(笑)。佐賀県警から電話があって、「出頭しなさい」と言われたんですが、「もう佐賀にいません」って答えたら、「じゃぁ近くの家庭裁判所に行きなさい」と言われて・・・。師匠についてきてもらって、裁判所に行きました。

―― そんなやんちゃな少年が、「刀剣研師になれ」といきなり言われて、素直に受け入れられたのでしょうか?

水田佐賀にいても全く楽しくなくて、とにかく佐賀から出たくて出たくて仕方がなかったんです。父から伝え聞いた研師の仕事は、「朝は4時に起きて、工房の掃除をして、師匠や兄弟子の朝ごはんをつくるところから始まる」というものでした。「自分は絶対続かない」と思いましたが、「佐賀を出る理由になればいい何でもいい」「すぐに辞めてやる」と思って、ここに来ました。

しかも、僕がここに来たとき、住み込みの兄弟子が二人いたんですが、その二人が外国人だったんです。「お前は日本人なのに何で日本のことを何も知らないんだ」って、片言の日本語でしょっちゅう怒られていました。「ますますやってられない」と思って、最初の数年は、どうやって抜け出して生活を成り立たせるか、そんなことばかり考えていました。

―― 外国人のお弟子さん二人って、こちらは外国の方を積極的に受け入れる方針があったんでしょうか?

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刀剣研師の本棚は、やはり刀の本がズラリと並ぶ。昭和初期に出版された本をはじめ、貴重な本も多い。

佐々木たまたまですよ。
上の子は、関くんといいます。日系カナダ人で、両親は日本人ですが、本人はカナダで生まれ育ちました。どういうきっかけか、刀に興味を持って、最初は刀鍛冶の先生をあちこち訪ね回ったというんです。今は亡き人間国宝の隅谷先生(隅谷正峯氏)のところも訪ねたようです。先生とは仕事でお付き合いがありました、ある日、先生から連絡があって「埼玉県に住んでいる関くんという人が刀鍛冶になりたいようなんだけど、私はもう弟子を取らないから、君から断ってくれ」と言われまして・・・。

「何で私が断らなければならないんだ・・・」と思いながらも、うちに呼んだんです。関くんには、「刀と日本語は教えてあげるけれど、弟子にするつもりはないから、そこのところは諦めなさい」と諭したんですが、気づいたら会社を辞めて住み着くようになりましてね・・・。今はカナダに戻って研師をやっています。丁寧に仕事をする子だったので、向こうでも評判が出たようで、3年から5年先まで仕事の注文が来ていると聞いています。親御さんも最初は心配されていたようですが、順調な仕事ぶりに、いまは一安心といったところのようです。

下の子は、結局続かなかったので名前は伏せておきますが、デンマーク人で、どこで聞きつけたのか、私のところにやってきました。彼は、映画の影響で刀に興味を持ったようです。『七人の侍』(黒澤明監督)なんかを観たのがきっかけだったようです。

―― ところで水田さん、そういう状況でよく続きましたね・・・。

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左から、佐々木さん、水田さん、相良さん。通いのお弟子さんまで勢揃いすると10名を超える。一軒屋の中のちょっとした「大所帯」だ。

水田こっちは住み込みの内弟子ですから、出ていこうにもお金がなくて出ていけなかったんです。それで仕方なく続けていたら、関さんが、僕がここに来て一年経たないうちに独立して、自分も仕事をやらざるを得なくなっていったんです。そうこうするうちに、下の兄弟子が辞めてしまったり、相良くん(水田さんの弟弟子、22歳。同じコンクールで研磨部門銀賞第一席を受賞)をはじめ弟弟子が入ってきたり、いろいろあって、気づいたら10年ですね。

―― お弟子さんは何名いらっしゃるんですか?

佐々木内弟子が、水田くんと相良くんの他に二人います。今日は外出でおりませんが・・・。二人とも20代です。ひとりはオーストラリアから来ています。私はつくづく外国の人から好かれるんですかね(笑)。それから、通い弟子が6人います。通い弟子のひとりは今回のコンクールで金賞三席を受賞しました(松本豊さん・56)。

25歳にしてキャリア10年。その裏には熾烈な競争が・・・

―― 25歳にしてキャリア10年ってすごいですよね。コツをつかんだというか、上達を感じるようになったのは、どれぐらいからでしょうか?

水田正直言って今でもよくわからないです。「まだまだ」と思うことばかりですから。

佐々木それは、日々の積み重ねです。やはり上手くなりましたから。
上達の秘訣は、うまくいかなくても、辛くても、砥石の前に座り続けることなんです。それしかないんです。だから、うちは住み込みの内弟子なんです。通いでは絶対に上手くなりません。外には、刀以外にも面白いことがたくさんありますから・・・。誘惑に負けちゃってダメですよ。

この子の兄弟子は、突然日本人の彼女を連れてきて、結婚したいと言い出しました。一人前でもないから僕は許さなかったんだけど、本人たちがどうしてもって言うからつい許してしまって・・・。それでもしばらくは住み込みをさせていたんだけど、周りからも「新婚で住み込みはかわいそうだ」と言われて、通いを許しちゃったんだね。そうしたら、もうダメですよ。水田くんに見る間に抜かれちゃって・・・。

そこで発奮してもう一回頑張ればよかったのに、彼は、後輩にいろんなことを聞かなきゃいけない屈辱に耐えかねて、辞めてしまいました。

―― 厳しい世界ですね。

佐々木技がすべての世界ですからね。そう言えば、相良くんが入ったときの面白い話があります。
相良くんに最初に研がせてみたときに、座る構えがよかったんです。「座り方がきれいだ。彼はうまくなるよ」と何気なく口にしました。私はまったく気づかなかったんですが、それを聞いた水田くんが動揺したらしくて・・・。TVゲームの楽しさを教え込んで、刀を握らせないようにしたんだっけ(笑)?

水田そうなんです(笑)。僕は、師匠から「うまくなる」なんて一度も言われたことがなかったんで、抜かれると思って正直焦りました。それで考えたんです。
僕が仕事の休憩時間にTVゲームをやっていたら、相良くんがやりたそうに見ているんです。休憩時間は一切TVゲームに触らせませんでしたが、仕事に戻るときに「ゲームする?」って聞いたら、ゲームに没頭するようになって・・・。作戦は面白いほど成功しました(笑)。相良くんは、3~4年ゲームばかりしていて、仕事を一切していなかったんじゃないかなぁ。

相良先輩にはやられました・・・。

水田でも、相良くんはやっぱり素質がありますよ。奉納用の小刀を大量に研ぐ注文がきたときに、僕の手が空かなかったので彼に任せたんです。小刀だけで技術を身につけるのは難しいんですが、彼はそれで仕事を覚えちゃったんです。ゲームやらせておいてよかったなと・・・(笑)。


次週、後編に続きます!


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水田吉政

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