インタビュー・ミシマガ「人」

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第19回 刀剣研師の世界(後編)―師匠・佐々木卓史さん、刀と研ぎを語る―

2010.09.14更新

続いては、佐々木さん宅の2階にある仕事場を拝見。 仕事場は、「下地研ぎ」をする部屋と「仕上研ぎ」をする部屋のふたつがある。 「下地研ぎ」とは、刀の姿形を整える前工程、「仕上研ぎ」は、文字通り仕上げるために磨きこむ後工程だ。 いずれの部屋も、窓を塞いで外光を遮断し、床には特殊な設えが施してある。外光を遮断するのは、季節や時間帯に関係なく、光を一定にするため。研ぎ加減を観るのに、安定した光は不可欠だ。採光には、自然光に近い白熱灯を用いている。 床の設えは防水・排水用の設備。大量に水を使う研ぎの作業ならではだ。


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(写真左)下地研ぎの部屋。
(写真右)仕上げ研ぎの部屋で、砥石の前に座る水田さん(左)と相良さん(右)。

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(写真左)仕上げ研ぎ部屋には神棚が祀られている。「伝来当初、鉄器はとてつもない力を持つものとして崇められました。三種の神器の一つの『天叢雲剣』(あめのむらくものつるぎ)のように、刀それ自体が神格化されたのも自然なことだったと思います」(佐々木さん)というように、刀と神事の関係は深い。名刀を扱うときは、白装束に身を包み、厳かに仕事に臨むという。
(写真右)仕上げ研ぎ部屋には、神棚を祀るだけでなく、注連縄と幣(ぬさ)が張り巡らされている。ここが神聖な場所であることを物語っている。

刀の鑑定ができなければ、刀を研ぐことはできない

水田「仕上研ぎ」には、京都でしか採れない「内曇砥(うちぐもりど)」という天然の砥石を使います。刀を研ぐにあたって、砥石は命です。一口に「内曇砥」と言っても、天然の砥石はひとつひとつ性質が違います。研ぐのに最適な硬さや粘りを持った砥石を選ぶのも、研師の能力のひとつです。

ですが、これを選ぶのがまた難しいんです。砥石は一本数万円しますが、使ってみないとわからないから、買ったはいいものの、研ぎには使えない代物も多いんです。これだけの砥石がありますが、いま研ぎで使っているのはこのうちの数本です。これを使いきってしまったら、この山の中から最もいいものを探し出して使うことになります。

さらに難しいのは、砥石は何層にもなっているので、使っていくうちに硬さや粘り具合が変わってくることです。使いやすかったものが急に使えなくなったり、イマイチだったものが使いやすくなったり・・・。その中から最もいいものを探し出さなければなりません。
現実問題として「内曇砥」は入手困難です。この先に何らかの手を打たなければ次世代にはなくなってしまうかもしれません。国には対策を期待したいですね。

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(写真左)山のように積まれた砥石。これだけの数があるものの、実際に使えるものはごくわずかだ。
(写真右)実際に研ぎに使っているのは、この6本。いい砥石にはなかなか巡り会えないという。

―― 「刀を研ぐ」というのはどういう作業なのでしょうか?

佐々木刀の切れ味を保つことと、美しく磨き上げることです。英語で言うなら「grind」と「polish」です。
刀は、刃の部分だけを研けばいいわけではありません。全体を美しく磨き上げる必要があります。磨く際には、刀の持っている地鉄(じがね)を美しく引き出すことが求められます。面白いのは、同じ刀を研いでも、研師が違えば地鉄も違うように出ることです。そこに、研師の腕と個性が表れます。

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刀を研ぐ水田さん。

そして、刀が本来持っている姿形を壊してはならないということも重要です。
研ぎの作業は、刀を物理的に小さくします。刀の本来持っている姿形を壊さないということは、刀の一箇所だけを研ぐということはありえなくて、全体をバランスよく研いでいく必要があることを意味しています。刀を観て、瞬時に肉置き(刀身の膨らみ具合)の悪い所がわからなければ、その部分を砥石では当てられません。まずは、的確に見る眼を養うことです。

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右半分は刀の柄に収まる茎(なかご)の部分。左半分の刃の部分は、長年研ぎ続けて茎より薄くなっている。「何百年と研いでこれだけしか減らさないところに、必要以上は研がない研師の腕が表れています」(水田さん)

刀の形は、時代時代や流派、作刀家によって異なります。直刀は直刀として、湾刀は湾刀として研ぐのはもちろんですが、湾刀の反り具合を変じてしまうことも許されません。

そのためには、刀を観ただけで、いつの時代のどの流派の誰がつくったかを見極められなければなりません。その刀が本来どのような形をしていたか、ということも知っておく必要があります。

つまり、研師は研師である前に鑑定家でなければならないんです。刀の鑑定ができなければ、刀を研ぐことはできません。

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刀を観る水田さん。手にするのは「刀 無銘(片山一文字)」。秋元家に徳川吉宗公より下賜された旨を記した札が残っている。「秋元家」は川越藩主で老中を務めた秋元喬知(たかとも)の家系のことか。

観る目を養うには、とにかく名刀を観ることが必要です。鈍刀を見てはいけないし見せてもいけない。ただひたすらに名刀を観て学ぶしかないんです。

―― 名刀と鈍刀の違いはどこにあるのでしょうか?

佐々木紙一重です。
一言ではとても表現できません。その違いを見極められるようになるためにも鍛錬が必要です。名刀で目を慣らしていくしか、観る目を養う方法はないんです。

刀の形には意味がある

―― 実に奥深いですね。 想像以上です・・・。直刀、湾刀というお話がありましたが、刀の形の違いにはどういう意味があるのでしょうか?

佐々木刀は大陸から伝来したものですが、それらはすべて直刀でした。日本でつくった刀も、当初は大陸と同じ様式の直刀です。それが、平安の初期以降、反りのある湾刀がつくられるようになりました。

直刀は、「斬る」というよりも「突く」のに適した刀です。直刀で斬ろうと思ったら、上から叩っきる感じで刀を扱う必要がありますが、体の小さな日本人にはそれは難しかったのでしょう。湾刀は、反りがあるため、円弧を描くように扱えば、斬りやすくなります。そうした実用的な理由から、刀が反るようになったと言われています。さらには、反りに美しさを見出すようになったというのも理由のひとつでしょう。

―― 一口に「刀」と言ってもいろいろあるんですね。

佐々木他にも時代ごとに刀の形は変化します。平安時代の刀は細身のものが主流でした。鎧兜が貧弱だったので、細身の刀で十分でした。
鎌倉時代になると、防具が頑丈になり、それにつれて刀は肉厚なものが好まれるようになります。兜ごと叩き割るためです。その分、切れ味は求められませんでした。

それが、蒙古襲来で刀の形状が激変します。蒙古軍の兵士は真綿を詰めた皮の鎧を纏っていたので、刃肉がでっぷりついた刀では斬れなかったからです。それで、強靭ながらも鋭い刃をもった刀をつくる必要が生じました。それをつくったのが正宗という名工です。作刀の革新者と言えますよ。作刀の技術は、この時代にピークを迎えます。

日本刀が世界に冠たる刀になったのは、研ぎの技術があったからです。研ぎが日本刀を日本刀たらしめています。研ぎの技術はいまでも進化し続けていますが、作刀の技術は、鎌倉以来止まったままです。それには、良質な鉄が取れなくなってきたということも関係していたと思います。

―― と、言いますと・・・?

佐々木日本刀は、「たたら」という製法で作った「玉鋼」(たまはがね)という鉄を使います。原料は鉄鉱石ではなく砂鉄です。砂鉄は、「かんな流し」という方法で採取していました。簡単に言うと、山を切り崩した土砂を、水と一緒に流して、土砂と砂鉄の比重の違いで鉄を採る方法です。採取した砂鉄は、大量の木炭を燃やした熱で製錬します。

山を切り崩して、土砂を流し、水と木(木炭)を大量に使うわけです。かなり早い時期から公害として問題視され、農閑期の冬場しか製鉄ができなくなりました。
一方で、鉄に対する需要は増え、化学的な方法で砂鉄を採るようになり、さらに時代が下ると磁石を使うようになります。

私は鉄の専門家ではありませんが、いろいろな人の話を聞いたり文献を読んだりしていると、そうした砂鉄の採取法の変化が、鉄の品質にも影響を与えたんじゃないかと思います。

武士にとっての「刀」の意味、現代人にとっての「刀」の意味

―― 日本文化の象徴とも言われる「刀」ですが、現代人が「刀」に触れる機会はありません。武士にとって「刀」とはどういうものだったのでしょうか?

佐々木「刀」に触れる機会がないというのは、今も昔も変わりませんよ。昔は武士しか持てなかったんです。刀はまさに武士の象徴でした。

時代劇や時代ものの映画を見ると、やたらめったら刀を振り回すシーンをよく見ますが、実際にはあんなことはありえません。戦場では、まず弓矢や槍で戦うのであって、刀を使うのは追い込まれたときだけです。刀を抜くことは、すなわち死を覚悟することだったはずです。だからこそ、拵(こしらえ)を装飾品で美しくして、刀に命を、魂を籠めていました。

江戸時代に入ると、武士は、刀を白鞘に収めて保管するようになりました。白鞘は湿度を吸収して、刀を錆びにくくするためのものです。出仕の際には豪壮美麗な拵に刀を整え直して、出仕から帰ってきたら白鞘に収め直す。手間のかかる作業でしたが、それだけ大切に扱ったのは、刀が武士の命そのものだったからです。

刀の象徴性を物語る、こんな話があります。江戸城に刀を向けただけで、その家は断絶させられた、と言います。武士の世界で刀がどれほど重要な意味を持っていたか、ということが、このことからも窺えます。

―― 現代において「刀」はどのような意味を持つとお考えでしょうか?

佐々木名刀と言われる刀は、数百年、ものによっては千数百年前につくられました。それらは、現代の我々が観ても実に美しいものです。拵(こしらえ)に使われる装飾品も同様です。これらは、もはや単なる道具ではありません。数百年の時間を超えて通用する芸術品です。名工たちが、数百年先の未来を先取りして考えてつくったとも言えます。
道具は、便利だけどつまらない。道具をつくるのか、芸術品としても通用するものをつくるのか、この差はとても大きい。

そういうことに気づかせてくれるのが、現代における「刀」だと思います。
どれだけ先の未来を見据えて物事に取り組むか・・・。
「刀」は我々にそのことを問うているように思います。

研ぎの世界も刀の世界も、奥が深いに違いない、という想像だけはあった。 実際に話を伺ってみると、そんな想像をはるかに超えた、実に深遠な世界があった。

そんな世界で生きている水田さんと師匠の佐々木さん、弟弟子の相良さん。
3人の関係が、実の家族のようで実に温かかった。
師匠の佐々木さんが、「師匠だ弟子だと形式ばるのが嫌いでね」と言えば、水田さんは「住み込みで毎日一緒なので、肩肘張っていたら疲れちゃいますよ」と答える。水田さんと相良さんは、実の兄弟のごとく、時折ケンカをする仲だという。
水田さん、相良さんの他に内弟子は二人。師匠と弟子の男5人の大家族。賑やかな食卓が目に浮かぶ。

職場の人間関係は、年々ドライになる一方・・・。
そんな話をよく耳にする。
自分自身が、かつては、煩わしい人間関係を避けていた。
それだけに、師匠と弟子の家族のような関係が、羨ましくもあり、懐かしくもあり、安心させてくれるものでもあった。

そのことを、駅へ向かう帰りの車で水田さんに投げかけた。


水田たまたま相性がよかったんだと思います。研師の世界は職人ごとにみな仕事のスタイルが違いますから・・・。内弟子を取らない人も多いみたいです。この業界で、内弟子は「三ぺらし」と言われているんです。「刀減らして、砥石減らして、腹減らす」と。
刀や砥石はもちろん練習用のものがあるんですが、下手くそだからどんどん減らしていく。役に立たない上に腹は減らして飯ばっかり食うんですから、厄介者ですよね。

師匠へのはっきりとした感謝の言葉があったかどうかはよく覚えていない。 だが、その口振りからは、師匠への、溢れんばかりの尊敬と感謝の念を感じずにはいられなかった。


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佐々木卓史

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