インタビュー・ミシマガ「人」

24時間いつでも自殺志願者からの無料相談電話を受け付けている「長寿院」の篠原鋭一氏(66)。

1979年、タイとカンボジア国境にあった難民キャンプで学校をつくったことをきっかけに、「教育」の重要性を痛感した彼は、90年代になってから千葉県内のコンビニや居酒屋で働く私費留学生たちの困窮を耳にし、アジア各国からの私費留学生に対する「研究書贈呈ボランティア」をスタートさせた。

(取材・文:堀 香織 写真:永田理恵/『女性自身』編集部)

第23回 長寿院・篠原鋭一さん―自殺防止と教育支援、2つのライフワークに命を懸けて(後編)

2011.03.01更新

「研究書贈呈ボランティア」は留学生ひとりに対し、年1万円を贈呈、研究図書に使ってもらうというもので、学生側の応募条件はたったひとつ、「私の見た日本」というレポートを日本語で書くことだった。

ミシマガ「人」長寿院・篠原鋭一さん

©永田理恵/『女性自身』編集部

 1992年に千葉県に城西国際大学という新しい大学ができて、講演に呼ばれたことがあります。

 そのときに駅の近くのコンビニに入ったら、店員と話が通じない。アジアからの留学生でした。興味を覚えて、「あなたのような人は多いの?」と尋ねたら、「夜はもっと多いですよ」と言う。

 それで夜、居酒屋に飲みに行ったんです。確かに店員はアジア系の留学生が多かった。隣のテーブルで飲んでいた学生たちに声をかけると、彼らも千葉大学に通う中国からの私費留学生でした。

 話を聞けば、ほぼ全員が夜中までアルバイトをしながら、必死で学問に向かっている。「夜中の3時までバイトで、帰宅して1時間寝てから、朝勉強して、大学に行く」という大学生、大学院生がザラなんです。
 そのような困窮している私費留学生と知り合ったのだもの、知らないフリをするわけにはいかない。そこで思いついたのが「研究書贈呈ボランディア」でした。

 私はまず、千葉県内の私費留学生を受け付けている大学すべてに手紙を出して、「アジアからの私費留学生に、一年に1万円の研究図書をプレゼントする」と伝えました。あとは当時、千葉県内の私費留学生を管轄しているのが千葉大学だったので、そこの教授と直接話をして、手書きのポスターを学内に貼らせてもらいました。
 反響は大きかったです。韓国、タイ、東南アジア諸国と、さまざまな国から申し込みがあったけれど、一番多かったのは中国でした。
 人数は初回から年間100人を目指し、100万円を集めました。幸いにして僧侶という仲間を持っているので、「ひとり1万円出してくれ」とお願いをしたんです。「飲み代一回分だろ?」と(笑)。「篠原には近づくな」とか、「強奪の篠原」ってよく言われました。

 しかも篠原は寄付してくれた住職と留学生を寺に招き、誰のお金が誰に贈られたかを説明。そこで交流が生まれ、なかには帰国した学生に会いに中国を訪れた住職もいれば、住職に感銘を受けて宗教の道に進んだ学生もいるという。篠原自身、この活動で当時早稲田大学大学院に在籍していたモンゴル系中国人留学生と出会い、次なるボランティア活動を開始することになる。

 留学生は早稲田や慶応や東大生が多かったです。寺に呼んでよく懇親会をやりました。とはいえ、酒を飲んでいるだけだったけど。何人かは私と一緒に朝起きて坐禅をしたりして、けっこう楽しかったんじゃないでしょうか。
 そのなかにチンゲルくんという留学生がいて、彼から中国の少数民族に対する教育の現状についていろいろと教わったのです。

 中国政府が規定した「漢民族以外の少数民族」は、チベット族、モンゴル族を含め、55集団いるそうです。その少数民族のなかで私費留学しているのはほんの一握りの人々です。そしてその人々というのは、非常に大きなチャンスに恵まれていると同時に、背中に大きなものを背負っている。

 というのも、彼らの親は決してお金持ちではない。小さな村の成績優秀な子どもに対して村人が「俺たちが金を出すから、大学に行って、教授になれ。そしてやがては村に帰ってきて、子どもたちの教師になってくれ」と言って、送り出された子どもたちなんです。言わば、ひとつの村の期待を一身に受けて、大学に行き、または他国へと留学している。

 チンゲルくん自身も、中国西部の青海(せいかい)省にある小さな村の出身で、村唯一の医者に「君は数百年に一度の秀才だ」と言われました。そして村人たちがかき集めた資金で北京大学に行き、早稲田大学へと留学したのです。

 その彼が、本当に気の毒になるくらい、お金がない。そしてついには大学院に残ることも危うくなり、我々有志で学費を寄付し、なんとか院を修了させたほどでした。
 彼は常々「中国では漢民族の教育については非常に優遇されているが、少数民族の教育は無視されている。学校という建物や教師というハードはあるけれど、教科書や教材、指導要項というソフトがない」と言っていました。そしてその現状を見てほしい、と私に訴えたのです。

 1997年、篠原は青海省に赴き、チンゲル氏の案内のもと、青海湖の周りに点在する60余校の学校のうち、15校ほどを見てまわった。

 これは想像以上にハードな旅でした。
 まず、青海省の東北部にある西寧(せいねい)という町まではなんとか飛行機で行けるのですが、ここから西150kmのところにある青海湖まで行くのは、寝台列車で一昼夜かかります。

 青海湖は中国最大の塩湖で、周囲は360km、面積は4560平方km、大きさはだいたい琵琶湖の6倍くらいです。この湖の周りに少数民族の集落がへばりつくように点在していて、もちろん電車など通っていないから、車で移動しました。
 辛かったのは、湖の標高が3266mもあって、空気が薄かったこと。酸素ボンベなしでこの山道を歩き回るのはそうとうきつかったです。

 それから村人たちに歓待していただくことは嬉しかったけれど、正直、毎晩羊料理なのが辛かった。しかしその羊をさばくのは見事でね。大きなナイフで、血液をまったく流さない。惚れ惚れとしました。
 ほかの思い出といえば、盆に10個ほど杯が乗っていて、車座になったみんなが歌を歌っている間はずっとその酒を飲まなきゃいけなかったこと。まるで罰ゲームみたい(笑)。毎晩、酔っぱらいました。

 あとテントの床に敷いたカーペットの下が羊の糞だったんです。乾燥しているから臭いはないし、すごく温かい。いつだったか山と積んだ羊の糞のなかから子どもたちが出てきて、ビックリした。自分も羊の糞のなかに寝転んだら、温かくて気持ちよくてね。トイレがないから大草原で用を足したことも、馬も乗らせてもらったことも、いい思い出です。

 さて肝心の学校ですが、小学校、中学校ともに本当に建物だけでした。教科書も指導要綱もない。教えるための道具もない。理科室とは書いてあるけれど、試験管が中央のテーブルにひとつ置いてあるだけ。音楽室には楽器がない。北京の音楽大学を出た教師が子どもたちに教えられるのは、歌を歌うことだけ。
 中国全土の漢民族の学校にはきちんと教科書が配布されている。しかし、少数民族の学校は実に劣悪なんです。その劣悪な教育環境のなかで、先生たちがたいへんに奮闘しておられる。涙が出ました。

 篠原は帰国後、その実情を講演会などで訴え、寄付を募り、北京で買った教科書と指導要綱を学校に届けるボランティア活動を開始。その冊数は初回から千冊に及んだ。活動はいままでコンスタントに続けられ、篠原自身も数年に一度、学校を訪ねている。

ミシマガ「人」長寿院・篠原鋭一さん

©永田理恵/『女性自身』編集部

 一度、日本の絵本を20冊ほど持参したことがあるんですが、本を子どもたちに向け、チンゲルくんにモンゴル語と中国語で通訳してもらうと、子どもたちはじいっと凝視しているだけなんです。『おおきなかぶ』(福音館書店刊)なんて、「うんとこどっこいしょーっ!」と読んだら日本の子どもはゲラゲラ笑うけれど、彼らにとっては絵本自体がはじめてで、圧倒されたんでしょうね。

 人形劇を持参したこともあります。人形を取り出すと、教室がしんとなって、子どもたちが身動きひとつしないで、目をまあるくしている。それで人形をしばらく動かさずにいて、いきなりすっと動かしてみたら、わあーっ! てビックリしてね。それはもう可愛かったですよ。現代の日本では「子どもにパソコンを」とか言うけれど、子どもの教育の原点は絵本や紙芝居や人形劇だと思いますね。

 そう、こんなこともありました。ある学校で、「いまお腹すいている?」と質問したら、子どもたちがみんな「すいている」と。それで「お弁当を買ってくるからいまそれを食べるのと、皆さんの持っていない教科書を今度持ってくるのと、どちらがいいかな?」と訊いたら、全員が「教科書」と言ったんです。これには泣けました。日本の子どもなら「お弁当」って言うだろうな(笑)。

 学校を訪れた際、毎回子どもたちに言うのは、ひとつだけです。
「あなたの国の言葉を読めること、書けること、そして計算ができるようになりなさい」。日本で言うところの「読み書きそろばん」です。それができれば、人はどこでも生きていけますから。
 子どもたちの両親に話す機会があれば、「子どもの教育にはお金をかけましょう」と言います。「読み書きそろばんだけは、日本国民全員ができるのですよ」と。こう言うとさすがに感じるところがあるのでしょう、子どもの就学率がうんと増えたという嬉しい報告がありました。
 とにかく、毎回行くと感動します。だって以前送った教科書も次の学年に渡して使っているし、指導要領もどれだけ読んでくれたかというくらいに古びているのを使っている。学びというのはなんて尊いのだろうと、いつも彼らから教えられます。

 各学校から来た感謝状には「民族の教育を発展させて、厳しい状況を改善し、民族の伝統を守りながら共同で進歩していきたいという願いがあれども、なかなかはかどりません。そんななか、たくさんの図書を目の前にして驚きました。『真冬の中の薪』という諺がありますが、まったくそのとおりです」とある。

ミシマガ「人」長寿院・篠原鋭一さん

©永田理恵/『女性自身』編集部

 日本は世界でも有数の教育国です。であるなら、自分たちだけがこの豊かな教育環境を享受するのではなく、他国の教育を受けられない子どもたちにも教育支援すべきだと思いませんか。日本発の教育環境のおすそわけを率先すればいいと思うのです。

 私たち日本人は「あいうえお」という平仮名をつくったけれども、原点は中国からいただいている。冠婚葬祭なども中国から影響を受けていることがたくさんある。仏教で言えば、我々の先人たちが中国に渡って仏教を学び、日本に帰国して広めた。その際に、どれほどの多くの書物を中国からもらって帰ってきたことでしょう。

 つまり、「中国の少数民族に対する教育支援」は、単なる子どもたちへの教育支援だけではなく、かつて我々日本人がいただいた書物への"恩返し"なのです。
 中国と日本にはいまさまざまな問題が持ち上がっているけれども、政治的背景や思想がぶつかることはあっても、文化や人生観や宗教や哲学では理解しあえるはずです。

 私は将来の中国を担う若者がもっと日本に目を向けてくれて、交流してくれればいいと思う。そして日本の若者も中国に目を向けて、上海や北京のような大都市だけではなく、中国の奥地へ進出し、ボーダレスな世界観を構築してくれたらいいと思う。そういう基礎を、我々大人がつくってあげられたら素晴らしいではないですか。
 大袈裟な言い方かもしれないけれど、NGO、NPO、ボランディアというのは民間人が国や政府とは違った形でできる「民間外交」なのですから。

 篠原が目指す「民間外交」は、「研究書贈呈ボランディア」で年1万円を受け取った元留学生たちにも受け継がれ、現在は彼らの一部が、青海省の子どもたちへの教科書支援を手伝っているという。(文中敬称略)

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篠原鋭一(しのはら・えいいち)

千葉県成田市名古屋 曹洞宗「長寿院」住職。1944年兵庫県豊岡市生まれ。駒沢大学仏教学部卒業。曹洞宗人権啓発相談員、同宗千葉県宗務所所長を歴任。「できることからボランティア会」代表。生きることをテーマとした全国での講演も多数。現在NPO法人「自殺防止ネットワーク風」理事長。著書に『みんなで読んでほしい本当の話』(興山舍)、『もしもし、生きてていいですか?』(ワニブックス)など。
長寿院 
電話:0476-96-2204/HP

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