インタビュー・ミシマガ「人」

偶然にもミシマ社京都オフィスと同じ昨年の4月に、神奈川から京都の南のはずれ京田辺市に事務所兼住居を構えたサウダージ・ブックスの淺野卓夫さん。

落ち着きのある口調と良い声、そして独特の空気を纏ったその存在感は、ちょっと癖になる感じ。
話題のスモールプレスという新しい出版の在り方と現状、そして非営利という奇想天外な運営方針をご近所さんのよしみでネホリハホリ聞いてみました。
2回に分けてお届けします!

(聞き手:窪田篤・譽田亜紀子、文:譽田亜紀子)

第26回 サウダージ・ブックス 淺野卓夫さん――学び逸れ出版論! 文化人類学からスモールプレスの道へ(前編)

2012.03.15更新

暗中模索時代からサウダージ・ブックス誕生へ

―― スモールプレスの前っていうのは何をされていたんですか

第25回 サウダージ・ブックス 淺野卓夫さん――学び逸れ出版論! 文化人類学からスモールプレスの道へ

『悲しき熱帯Ⅰ』(レヴィ=ストロース、中央公論新社)

淺野もともと文化人類学の勉強をしていて、大学院まで通ってそのあとブラジルに留学しました。それが、2000年から2003年の3年間のことです。

どうしてブラジルだったのか。表向きは、文化人類学の巨人、レヴィ=ストロースの南米紀行である『悲しき熱帯』にあこがれて、ということにしています。

でもほんとうは、ブラジルに行く前に『悲しき熱帯』をちゃんと読み通したことはなかったんですけどね、むずしくて(笑)。

旅の本なのに「私は旅や冒険が嫌いだ」という有名な宣言文で始まって、何百ページも読み進めないと、肝心のブラジルの話にたどりつかないような、そうとうに屈折した旅行記ですから。

第25回 サウダージ・ブックス 淺野卓夫さん――学び逸れ出版論! 文化人類学からスモールプレスの道へ

『野生の思考』(レヴィ=ストロース、みすず書房)

もちろん、レヴィ=ストロースが探究した森に暮らすインディオの社会や神話世界には大いに興味があったし、学生時代はかれが『野生の思考』などの著作で火をつけた構造主義以降の現代思想への関心も強かった。いっぽうでぼくは、小学生のころから民俗学者の宮本常一の熱心なファンだったんです。

ぼくの祖父が山梨で郷土史や民俗学の研究をしていたのですが、このおじいさんから、「卓ちゃん、ほんとうの歴史はこういうもんだよ。学校の教科書なんかよりこっちのほうがよっぽどためになるずら」なんて言われて本をもらったんです。宮本常一が書くものは、ひらがなが多くて読みやすいんですね。

宮本さんには、ご存知かもしれません、『忘れられた日本人』という名著があります。

第25回 サウダージ・ブックス 淺野卓夫さん――学び逸れ出版論! 文化人類学からスモールプレスの道へ

『忘れられた日本人』(宮本常一、岩波書店)

日本の辺境の地に生きるおじいさんやおばあさんの陽の当たらない生き様をていねいに記録した、年寄りたちの聞き書き集です。古老たちからこんな話を聞きました、と報告するだけの地味といえば大変地味な内容な本ですけど、ものすごくおもしろい。

この田舎に先祖代々土着しております、みたいな顔をしている皺深いおじいさんが、話を聞いてみたらじつはけっこうあちこち旅をしていて、艶っぽいエピソードには事欠かないとか。

日本が近代化していく過程でどんどん忘れられていく、庶民の人間関係の営み方や奔放な生き方のなかに、「生きやすさとは何か」とか「人間の自由とは何か」を考えるヒントがあるのではないか。宮本さんは、かれら古老の語り口を借りて、そんな問いかけを読者にさし出しているのだと思います。ぼくは、いつか自分も、『忘れられた日本人』のような地味だけれども立派な仕事ができればなあ、とひそかに願っていたんです。

ブラジルは、日本の外でもっとも日本人の人口が多い国で、日本人移民と彼らの子孫がサンパウロで一大集団をなしてます。ぼくら普段、日本で暮らしていて、海外へ移住された方々の人生に思いを馳せる機会なんてめったにないじゃないですか。

なにゆえの、移民だったのか。どうしてかれらは旅だって、自分たちの祖先はとどまったのか。
かれら日本人移民こそ、今日の「忘れられたに日本人」なのではないか、それならばこの人たちのライフヒストリーの記録をしよう、それこそ自分にうってつけのテーマではないか、と思い立ったんですね。

そこでブラジルにいた3年のあいだは、サンパウロの都市部や農村部の日系人のコミュニティでフィールドワークをしたり、もっと奥地に孤立してひっそりと暮らす古参の移民を探し出してはお話しを聞かせてもらったり、という旅をつづけていました。

日本からブラジルへの移住が始まったのが1908年です。ということは、ぼくが留学した2000年ごろは、移民開始からすでに90年以上たっていた時期で、戦前に移民された一世の方々が目の前でどんどん亡くなっていく状況があった。「いま記録しておかないと手遅れになる、歴史が消えてしまう!」という切迫した空気感がありました。ブラジル移住をめぐる古きよき時代の記憶を日本語で語ってもらえる、最後の季節だったと言えます。

そういうこともあって使命感をもって聞き書きの活動に取り組んでいたのですが、そのころから、アカデミズムの方法に対して根本的な疑問を感じることが多くなってきました。ほかにもいろいろ私生活上のあれやこれやが重なって(青春時代のことですから、いろいろね・・・)、けっきょく学問の世界とブラジルからは逃げ出してしまいました。

あまり詳しくしゃべりたくもないようなことですけど、フィールドでの調査の記録を都会の研究室にもちかえって、データに還元して、数量化して、社会科学の用語や概念で分析する、という作業がどうにも苦痛だったんです。

ぼくにとって大事だったのは、そんなことではなかったから。
国家とか資本とか大きな力の保証がまるでないところで、かれら日本人移民が、一歩家の外に出れば満足に言葉も通じない環境で腕一本で人生を切り開いてきた。そして、異国で家庭をもうけて、子どもたちを育て、やがて周囲のブラジル人もふくめた、ささやかでもおおらかな「家」を築き上げてきたわけじゃないですか。いやすごいな、そんな生き方に見習いたいな、と。「旅のなかに生きること」の実体験からしぼりだされる、ほんとうにユニークで人それぞれの生活の知恵や人生の物語に、ただじっと耳をすましていれば、ぼくは満足だったんです。

それなのに、日本人移民という「社会問題」について、アイデンティティがどうしたとか、エスニシティがどうしたとか、頭でっかちな力技で論じることに何の意味があるんだろう。

実際、ある日系人の方から、この点で厳しいおしかりをうけたこともあります。
いまならわかりますよ、20代後半の若僧が、70代や80代の人生の大先輩の心情を理解してやろうなんて、そもそもあまりにも不遜なことですよね。むくむくと疑問が頭をもたげてきて、けっきょく大学院を途中でやめてしまいました。ぼくには社会科学の研究をおこなう才能がなかったんだと思います。それで、2003年に日本に戻って、いろいろ人生に迷いつつ、沖縄や奄美を放浪してぶらぶらしていたんです。

―― 迷いの時期は長かったんですか?

淺野長かったですよ。日本に帰って来た2003年ごろは、けっこうヤケッパチな感じで(笑)。

真冬の六本木ヒルズでもブラジルTシャツにビーチサンダルという出立ちで、今でこそ書店営業で「お世話になっております」とかきちんと挨拶もできますが、当時は口のきき方をろくに知らないというか、「アンタの書いたものおもしろくないね」なんてまわりの大人に生意気なことばかり言っていました(笑)。

見るにみかねた大学時代の恩師が、出版編集のアルバイトを紹介してくれたり、講演会とかトークイベントのお手伝いをさせたりしてくれて、それが今日のサウダージ・ブックスの活動につながっています。

東京のある出版社で編集アシスタントのアルバイトをした後、フリーランスで編集やライターや翻訳の仕事もするようになって、そのうちに結婚して子どもが生まれて、神奈川県の葉山という海辺の町に移り住むことになって。
ある日ぼんやりと海を眺めていて、海は何かに似ているなと。ああ、そうか、本に似ているなと直観したんです。

波は、潮風がめくる書物のページなんじゃないかな。打ち寄せては引いてゆくページは一回限りもので、同じページに巡り会うことは二度とできない。ボルヘスが「砂の本」で描いたような、そこから無限のページがこんこんと沸き出してくる永遠の書物が、ここにあるじゃないか――ずっと遠くの水平線のむこうから流れ流れてやってくる波というページには、いったいどんな物語や知恵が書かれてはやがて無の世界に消えてゆくのだろう。

人間は、どうすれば、この波のページを読むことができるのか。どうすれば、知を介して、風がはこぶ野生の書物につながることができるのか。
そんなことを、海岸の松林のベンチで潮風に吹かれながら、つらつらと空想していたら、何かひらめくものがあったんですね。

ブラジル奥地で、ぼくが熱心に聞き書きをした日本人移民の古老たちが暮らしていたのは、ほとんど本のない世界です。

田舎の農民の暮らしはそもそも書物とあまり縁がありませんし、なかには読書好きの方もいるのですが、清く貧しい暮らしをしているかれらが日本語の本を読みたいと願っても、ブラジルでは輸送コストが高くつくので気軽に手を出せない、という事情もあります。日本語の本って、現地ではすごく高い贅沢品なんです。

日本人移民とかれらの子孫を総称して、「日系人」と言ったりします。
祖国の日本人にあって日系人が失っているもの、それは何でしょう。
答は、漢字をみてください。日本人という言葉の「本」の字が、日系人という字面から抜け落ちています。

冗談みたいな話ですが、ぼくは、日系人とは移民船の乗船キップと引き換えに、「本」を祖国に残してことばの通じない異国へと渡った部族なのではないか、という仮説を持っています。ここでいう本とは、「日本語」の書き手(語り手)と「日本語」の読み手(聞き手)があたりまえのように共存しつづける世界のことです。ブラジルという異国で、日本人移民たちは、このあたりまえがあたりまえでなくなる経験をしたんですね。

あるいは、それはもっと比喩的な意味での、目に見えない「本」かもしれません。誰もが自分の胸のなかにしまっている一冊の書物、そこには、家系の歴史や個人史をめぐるささやかな思い出が、父母から受け継いだかざらないことばで記録されている。そんな、自分が自分であることの証となる「本」を置き去りにして旅に出て、それでいて、遠い祖国に置いてきたかつての自分の分身としての「本」にどうしようもないノスタルジーを抱く旅人の集団、それが日系人なのではないか。

幸運なことにぼくは、日本人移民のなかでもたいへんな物知りですばらしい記憶力をもつ、語り部の老人に何人も出会うことができました。かれらはじつにエネルギッシュで、異国の地でひとたび日本語の話せる聞き手をつかまえるとなかなか手放そうとしません。孫世代の三世の日系ブラジル人ともなると、日本語を理解しなくなりますからね。

第25回 サウダージ・ブックス 淺野卓夫さん――学び逸れ出版論! 文化人類学からスモールプレスの道へ

『華氏451度』(レイ・ブラッドベリ、早川書房)

本のない世界、ほおっておいても「日本語」の書き手と「日本語」の読み手があたりまえのように共存しつづける条件がない世界。そこで失われた「本」への渇きをいやすために、自分のからだをまるごと一巻の書物のようにして、さあおまえ、すみからすみまで、移住体験に始まるおれの旅の記憶を読み通してみろ、というような執念のような何かを、古老たちの生き様が突きつけてきました。

レイ・ブラッドベリの『華氏451度』、書物と読書が禁じられた近未来のディストピアを描いたSFを読んだ方ならおわかりでしょうが、あの小説に登場した地下に潜伏する「書物部族」を彷彿とさせます。

待っていました、と言わんばかりに、朝から深夜までしゃべりつづけるんです。それも何日もつづくものだから、おおげさではなく、若いこちらのほうがぶっ倒れそうになるぐらい。絵にかいたお餅のような大学あたりで仕入れた浅はかな知識では、というていかれらの人生に太刀打ちすることなんてできない、と思い知りました。

横道に逸れましたね、海と本。

本来ならば通じ合うことのなさそうな、本のない野生の世界と、本のある知の世界を媒介するような活動ができないだろうか、と葉山の海辺でふと思い立ったんです。

第25回ミシマガ人

奄美の海岸で、豚足鍋を食べる淺野さん

本なんか知らないよ、と一から出直して農業の道に進もうか、と思ったことも何度もありますが、いっぽうで自分の半分は書物に育てられていることも間違いない。

大学院まで通って勉強してきたのだから、人並み以上に本を買って読んでもきた、それも認めなければならない事実だろう。

いろいろあって出版編集の仕事をしているけど、それでも自分のヘソの緒は「本のない世界」にしっかりつないでおいて、「本のない世界」に息づく野生の知恵や物語を、「本のある世界」につなげるような活動をはじめたい。

そういうコンセプトで始めたのが、小出版のサウダージ・ブックスだったんです。


後編に続きます!)

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

淺野卓夫(あさの・たかお)

1974年生まれ。サウダージ・ブックス共同代表。〈旅〉と〈詩〉をテーマにするスモール・プレスを運営し、書物やアートに関わるさまざまなイベントを企画。「沖永良部島・タビの知恵文庫」など地域社会に根ざした本のサロンづくりにも協力している。2000年から3年間ブラジルに滞在し、日系移民の古老への聞き書きを中心にしたフィールドワークを行った後、出版編集の道へ。フリーランスのライターとしても活動しており、雑誌『spectator』などでエッセイを執筆している。

バックナンバー