インタビュー・ミシマガ「人」

偶然にもミシマ社京都オフィスと同じ昨年の4月に、神奈川から京都の南のはずれ京田辺市に事務所兼住居を構えたサウダージ・ブックスの淺野卓夫さん。

落ち着きのある口調と良い声、そして独特の空気を纏ったその存在感は、ちょっと癖になる感じ。
話題のスモールプレスという新しい出版の在り方と現状、そして非営利という奇想天外な運営方針をご近所さんのよしみでネホリハホリ聞いてみました。
前編はこちら

(聞き手:窪田篤・譽田亜紀子、文:譽田亜紀子)

第27回 サウダージ・ブックス 淺野卓夫さん――学び逸れ出版論! 文化人類学からスモールプレスの道へ(後編)

2012.03.27更新

動き出すサウダージ・ブックス

―― サウダージ・ブックスという名前が印象的です。

淺野ありがとうございます。「サウダージ」というブラジル・ポルトガル語は、英語で言う「ノスタルジー」という言葉に一番近いんですけれども、それは半分の意味しか捉えられていないんです。確かに失ったものに対する懐かしさ、やるせなさとか痛みとか、もしくは子供時代をめぐる甘美の記憶への懐かしさなどをさします。

実はもうひとつ、まだ起こっていない未来へのあこがれとか期待みたいなニュアンスも同居しているんです。時間の軸で言えば正反対の方向にぐーっとひっぱられるようななんとも言えない、「遠さ」や「はるかなもの」をめぐる独特の感情をサウダージって言うんですね。
さっきヘソの緒という言い方をしましたが、要は本のある世界に生きる自分のサウダージが宿る場所は、いまはそこから遠く離れてしまったあの「本のない世界」なんだぞ、というひそかな決意もそこにはこめています。

サウダージ・ブックスの本の第1弾は、ぼくの大学時代の恩師でラテンアメリカ研究が専門の人類学者、今福龍太先生が、レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』とかれがブラジルで撮影した写真を読み解きながら、異邦からやってきた旅人の視点から、ブラジル人なら誰でも抱く「サウダージ」の感情とは何かに迫ってもらった本です。

第26回サウダージ・ブックス 淺野卓夫さん学び逸れ出版論! 文化人類学からスモールプレスの道へ(後編)

『サンパウロへのサウダージ』(クロード・レヴィ=ストロース、今福龍太、みすず書房)

レヴィ=ストロースは二冊写真集を出していて、一冊目は『ブラジルへのサウダージ』、もう一冊は『サンパウロへのサウダージ』といって、サウダージに抜き差しならないこだわりがあるんですね。なので、サウダージ・ブックスの船出には、これ以外にありえない、まさにぴったりの企画だったと思います。

ちょうど2007年に東京の茅場町のギャラリーマキで、レヴィ=ストロースのブラジル写真をめぐる展示が、今福先生のキュレーションで開催されて、その展示記録のアートブックでもありました。

『ブラジルから遠く離れて 1935-2000:クロード・レヴィ=ストロースのかたわらで』という、昨今の書籍出版の常識から考えるとやや長すぎるタイトルを持つ本です。

この本を編集したおかげで、ぼくはようやく『悲しき熱帯』を最初から最後までじっくり読み通すことができました(笑)。

第26回サウダージ・ブックス 淺野卓夫さん学び逸れ出版論! 文化人類学からスモールプレスの道へ(後編)

 『ブラジルから遠く離れて1935-2000』(今福龍太、サウダージ・ブックス、港の人)

―― サウダージという言葉の微妙なニュアンスが素敵ですね、初めて知りました

淺野それともうひとつスモールプレスを始めるにあたってやってみたことがあるんです。
それまでもっぱら自分は本を読む側にいたわけですが、具体的に本がどういう構造をしているのか、どうやってモノとして制作されているのか、案外知らなかったんです。

帯って何だろう、カバーって何だろう、紙やインクはどういうものを使っているのだろう、書物を構成する要素って何があるのか、ページの束はどんなふうに綴じられてどうやって表紙とくっついているんだろう、と本の形態そのものに対する関心が生まれてきたんです。
そこで手製本の講座に通って、素材を選んで、大きな全紙からページ用紙を切り出すところから、紙を折ってページを割り付けて折り丁を糸でかがって布装の表紙をくっつけるところまで、本を一冊手づくりしてみました。

読者のことを「読み手」と言いますが、本と人との出会いって、たしかに頭で文字を読む以前に、手で書物にふれるところから始まるんですよ。表紙をなでるとか、ページをめくるとか。作り手から読み手に本を手渡すという、「手」から「手」へつながる温もりの感じられる営みがそこにはあるんだな、と新鮮な発見がありました。

 『ブラジルから遠く離れて1935-2000』という本は、はじめは売ることは考えずに展示記録を手製本で少部数つくって、関係者とか仲間で回し読みして共有できればいいと思っていたんです。まあ、ギャラリー常設の資料集としてね。それが実際に手づくりしてみると大変で、少部数どころか一冊しかつくれなかった(笑)。

―― つくったんですか!

第26回サウダージ・ブックス淺野卓夫さん 学び逸れ出版論! 文化人類学からスモールプレスの道へ(後編)

淺野さん手製の『ブラジルから遠く離れて1935-2000』

淺野つくったんですよ、一冊だけね。アイルランド産の黒い麻布をつかった布装の角背文庫版、自分で言うのもあれですが、かなり立派な作品ができたんです。ブックデザインや製本だけじゃなく、ライティングも編集も組版もしているんですから。

―― どのくらいかかったんですか

淺野3カ月ぐらいですかね、悲しいことにぼくはとっても不器用で。

―― えー、そんなに

淺野講座の1学期、週に1、2回通って。3カ月かかって一冊の本がやっとできたわけですが、これじゃあ大変だと(笑)

―― そうですよね、へろへろになりますよね

淺野10人の仲間に配るのにいったいどれだけ時間がかかるのかと(笑)。正直、コストも相当かかります。

本というのは一点もののなにか工芸的な美しさを持ってとんでもない値段をつけられる、というものではなくて、ある程度不特定多数のいろんな人が、金額的にも気軽に手に取れる複製品であることに意味もあるのだな、とあらためて思いました。

それにひとりでなんでもつくってしまうのではなく、執筆者や編集者のほかに、組版を担当する人、装丁を担当する人、挿画を描く人、印刷をする人、本をつくる過程にいろんな人の手がかかることの良さもあらためて感じました。実際、これは世界でたった一冊しかない、おれが万感の想いをこめてつくった本だから読んでよ、なんて手渡されてもちょっと重いだろうと(笑)。

―― え~、そうなの~てなりますよね。

淺野そうそう(笑)、引いちゃうでしょ。
実際、書籍制作のプロセスをひと通りやってみてこの手製本のスタイルはごく少数の仲間うちで物語や情報を共有するのには向いているけど、もうすこし社会的な意味でのパブリッシング、つまり著者の考えと読者の興味の間でバランスをとりつつ、本の中身と外身を時間をかけてじっくりつくりながらも、仲間うちを越えた一定数の読み手のもとにスピーディに広める事業、という意味ではちょっと無理かなと気がついて。

そこで方向転換したわけですが、本のコンテンツは自分たちで編集して、出版社やデザイナーや印刷会社とタッグを組んで、商業出版というフィールドでいわゆる複製品としての本をつくってみようと思ったんです。

それでもこの手製本づくりの経験を活かして、本のデザインや文字の美しさにもこだわったり、糸かがり製本の採用など手仕事的な感触を残した本をつくっていこうとしたのが、もうひとつのサウダージ・ブックスの始まりでした。

儲ける? 儲けない? いや、儲からない? でもやることに意味がある

―― ひとつ気になるのが「非営利」ということなんですが、実は私は凄く驚いたのです。なんで「非営利」だったんですか

淺野儲かると思ってないからです。

一同(笑)

―― あえて非営利を選択したのかということなのですが、当たれば非営利を選択する必要はないですよね。でも非営利を選択しているということは、儲からなくてもいいと思ってらっしゃるんですか。

淺野儲からなくても良いと言うのはちょっと正確ではなくて、儲けようとは思っています。

―― あ、儲けようとは思ってらっしゃるんですか

淺野儲けようとは思っていますが、その利益を制作に携わった関係者の間で分配しないということです。

―― え、どういうことですか

淺野非営利の活動といっても、ちゃんと利益を上げることを目指す事業なんですけれども、上がった利益というものを著者の印税とか、ぼくらの編集料ということで取らないで、次の出版のためにプールしておくという仕組みなんです。

現在の売上げでは、著者には払いたくてもお金が払えない状況で、ただしできる範囲の些少の謝礼を払うということはしますし、著者には印税にみあう程度の本を現物でお渡ししています。もう少し儲けることができて、謝礼の金額を増やしたり、活動を継続させるための専従スタッフを雇って人件費をそこから賄うことができればと思うのですが、今のところそこまでできていません。がんばります。

―― その話しで少し非営利の状況が見えてきました

淺野制作費がある程度回収できたところで次の本をつくり始める、というのんびりした時間のサイクルで出版活動をしようとも考えているんです。一年に一、二冊のペースですね。そういう活動をしたいと思ったのは、一般的に今は本が売れないと言われる時代ですよね、その時にぼくが思ったのは「本って売らなきゃいけないのか」ということなんです。 

そんなに売れないんだったら、ある特定の本を、それを必要とする人だけに流通させるサイズに出版の規模を縮小したらどうかということなんです。

大量に売らないと商売が成り立たないために、次から次へとひたすら消費社会のメインストリームに迎合する売れ筋の新刊を小出しにしてお金を回転させる。なんか本末転倒だし、そうすると、エコロジーの観点から見て単純に紙の無駄遣いが問題になると思う。この業界、いろいろ無駄なエネルギーを浪費して、実態のない経済でかろうじて成り立っているところもあるんです。

―― 面白い発想です

淺野本にかぎらず、手を替え品を替えて異常なぐらい多品種の商品が泡のように浮かび上がっては消えてゆく昨今の日本の経済の末期症状があって、資源やエネルギーを無駄に使って無理矢理、自分たちの資本を延命させるようなあり方は良くないだろうと。だったら無理のない程度に事業のサイズを小規模に設定して、自分たちが自信をもってつくったものを、本当に必要としている数少ない人に、しかし確実に届けられる仕組みを考えてみたい。逆に言えば、必要としている人の具体的な顔、あの人、読みたがるだろうなあ、っていうのが思い浮かばなければ、つくらない。

すると、どうしても営利活動をイメージしにくかったんです。
サウダージ・ブックスは本のない世界と本のある世界をつなげるという使命感をもって、「旅」と「詩」の2ジャンルを出版のテーマにしています。こうした限定されたテーマを掲げているところも、非営利で活動をおこなう理由です。

ちょっと難しいことを言うと、社会の外に読み手の想像力をつれだして、外から見馴れないものとして社会をみつめるまなざしを与えてくれるのが旅のことば。そして、社会を社会として成り立たせる当たり前のように流通する意味を、内側から揺さぶる力を持つのが詩のことばである、とぼくは思っています。

どちらも、現代の消費社会にうまくマッチする「商品としてのことば」になりにくい根本的な性格を持っていて、実際に出版業界のなかでも売りにくいジャンルとされています。

(後日注:ただしこういう常識にとらわれず、そこをなんとか売ろうじゃないか! とがんばっていらっしゃるのが、ミシマ社さんですね。旅行ライターの近藤雄生さんの人気シリーズ『遊牧夫婦』や、詩人の谷郁雄さんと写真家の青山裕企さんの共著『透明人間 再出発』は、ぼくも大好きな魅力的な本です。)

よく、旅行記とか詩集がお好きなんですか、って聞かれるんですけど、必ずしもそういうわけじゃないんです。旅行中はまず本を読みませんし、詩って、なんだかむずかしそうだなって、普通に思っています(笑)。キライってわけでもないのですが、商品経済や消費社会の太鼓持ちみたいな内向きの「ことば」ばかりが流通していたら、世の中おもしろくならないだろう、と。

やっぱり、日常の外にある、ひろびろとした未知の世界、ちょっと不思議な謎の世界につながるもうひとつ別の「ことば」も必要なんじゃないか。だからこそ、「旅」と「詩」の二大マイナー・ジャンルをサウダージ・ブックスの非営利出版の活動のなかでなんとかすくいとっていきたいんですね。

ぼくはこどものころ名古屋で育ったのですが、中日ドラゴンズのファンでも読売ジャイアンツのファンでもありませんでした。クラスでたったひとり、いまはもう存在しない「大洋ホエールズ」を応援していた変わり者なんです(笑)。好きな選手が「屋敷要」、「スーパーカートリオの時代」です、って、わかるかなあ。子どものころから、マイナーなものを支持するという姿勢は一貫して変わっていないんですね(笑)。「忘れられた球団」の応援歌をずっと歌いつづけている感じです。

道を逸れて道を行け、そして第三の道をただひとりで歩もう、これがぼくの人生のモットーです。

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淺野卓夫(あさの・たかお)

1974年生まれ。サウダージ・ブックス共同代表。〈旅〉と〈詩〉をテーマにするスモール・プレスを運営し、書物やアートに関わるさまざまなイベントを企画。「沖永良部島・タビの知恵文庫」など地域社会に根ざした本のサロンづくりにも協力している。2000年から3年間ブラジルに滞在し、日系移民の古老への聞き書きを中心にしたフィールドワークを行った後、出版編集の道へ。フリーランスのライターとしても活動しており、雑誌『spectator』などでエッセイを執筆している。

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