いささか私的すぎる取材後記

第1回 人生の達人

2013.04.11更新


 漫画『MASTERキートン』(小学館)単行本第7巻に「瑪瑙色の時間」というショートストーリーが収録されている。主人公キートンは海岸線を走る列車の中でうたた寝し、少年の頃の夢を見ている。1967年、英国コーンウォール。小学生のキートンは、たった一人の客となったバスの中で中年の運転手と出会う。途中、荒野の道で目の前を横断するウサギに気が付き「止めて!」と訴えると、急ブレーキを踏んだ運転手から思いも寄らない言葉が返ってくる。
 「坊や、目がいいんだな。目がいいと人生は楽しい」
 「坊やはきっと人生の達人(master of life)になれるぞ。俺の人生のテーマなんだ。俺はクリス。俺達は友達だ」

   *    *    *

 3月のとある夜。横浜郊外の私鉄駅を降りると、改札口で待ち合わせた作家ロバート・ハリスは少年みたいな笑顔と固い握手で出迎えてくれた。「久しぶりですねー!」。美人の写真家とキュートな編集者が一緒だったせいか、酒宴の前から実に楽しそうな顔をしている。「それじゃあ、こっち。僕に着いてきて」。駅前から地平線まで続いているようなアーケード街を歩いていく。「このカフェは僕が朝のコーヒーを飲みに来るところ」「ここのバーの親父はね、ホントに最高なんだ」。暗く狭い路地で背中を追うと、彼が過去に旅した異国のどこかに迷い込んでいくような感覚に囚われた。


 1948年、日英ハーフの父と日本人の母の子として生まれたロバートは、高校時代からヒッチハイクで世界を放浪する。東南アジア、西海岸、バリ、オーストラリア・・・。本につづられた冒険譚は、凡庸な大学生だった私には眩しかった。とりわけ「人生の100のリスト」は、憧れと嫉妬からくる鼓動で身体が震えるような本だった。これから生きていく中で実現したい夢を100個書き出して、それらを叶えるために人生を生きよう―。ロバートが19歳の時、旅先のカルカッタで実際に書き上げたリストは、私にとっては自由と希望のリアルな象徴だった。

 「シンガポールのラッフルズホテルに泊まってジントニックを飲みながらサマセット・モームの小説を読む」
 「映画を5000本観る」
 「ファッションモデルと付き合う」
 「バックギャモンの世界チャンピオンになる」

 正直、項目の内容なんて何でも良かった。人生が持つ可能性と、生きることの無限の自由を表してさえいれば「娼婦と恋をする」でも「阿片窟で一夜を過ごす」でも何でも良かったのだ。私は焦がれた。自由奔放に、胸に抱いたあらゆる夢を叶えるために一生を生きることができるなら、なんて素晴らしいんだろうと思った。


 2011年、初めてロバートに会った。作家や俳優、映画監督、スポーツ選手らの格言やら言い回しやらを集めた本を彼が出版した時、絶好の機会だと思ってインタビューをお願いした。
 取材中、問われた。
 「この本の中で、君がいちばん好きな言葉はどれ?」
 私は即答した。
 「チャンドラーの比喩ですね。この『すごいブロンドだ。大司教がステンドグラスの窓を蹴っ飛ばしたくなるような上玉だった』っていうのはケッサクだと思います」
ロバートは声を上げて笑った。
 「僕以外でそれが好きって人に初めて会った! サイコーだよね。感性が似てるのかも知れないなあ」
 丸いサングラスの奥で笑う目を見て、この人とまたどこかで会えるだろうなと思った。


 商店街をくぐり抜け、辿り着いたロバートの馴染みのビストロで、みんなでワインを開けた。彼は饒舌だった。旅の話、本の話、映画の話、ラジオの話、家族の話、女性の話(が半分以上だったけれど)。話題なんて、夢を書いたリストみたいに無限にあった。終電まで話し続け、酔い、笑い続けた。別れ際、彼は再会を誓う握手を差し向けてくれた。女性にはプラスでハグを。

 翌日、同席した友人の男性編集者が私に、ロバートからのメールを転送してくれた。
「僕も昨夜はホントに楽しかったです! なんか、自分ばかりべらべらと話していたような気がするんだけど、本当に楽しかったですか? 退屈しなかったですか? みなさんと一緒に飲んで食べていっぱい笑って、とっても良い時間を過ごすことができました。ありがとう。これからもずっと友達でいたいなって思っているので。本当にまた近いうちに会って遊びましょうね。Love,Robert」

   *    *    *

 「瑪瑙色の時間」のラストシーン。
 荒野の高台にある秘密の場所へと案内した中年運転手は、幼いキートンと一緒に海を眺めている。不思議な色の海を。
 「人生の達人はどんな時も自分らしく生き、自分色の人生を持つ」
 「あの海の色は瑪瑙色だ。俺達は瑪瑙色の時を共有している」
 「友達だから」


 ロバートと会った夜から、私は考えている。64歳になっても、まるで19歳のように自由を謳歌し、今日という一日に胸を躍らせるのは、いったいどんな気分なんだろうと。そして、ある時ふと「瑪瑙色の時間」が提示した問いに、ひとつの答えを発見したような気がした。64歳になっても、30過ぎの青二才に無垢な笑顔を向け、握手の手を差し出し「ずっと友達でいたい」と言えるような人こそ「人生の達人」と呼ぶに相応しいのではないだろうかと。

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北野新太(きたの・あらた)

1980年、石川県生まれ。学習院大学在学時に雑誌「SWITCH」で編集を学び、2002年に報知新聞社入社。以来、記者として編集局勤務。運動第一部読売巨人軍担当などを経て、文化社会部に在籍。2010年より主催棋戦の女流名人戦を担当。2014年、NHK将棋講座テキスト「第63回NHK杯テレビ将棋トーナメント準々決勝 丸山忠久九段 対 三浦弘行九段『疾駆する馬』」で第26回将棋ペンクラブ大賞観戦記部門大賞受賞。シリーズ「コーヒーと一冊」にて初となる単著『透明の棋士』を著す。

透明の棋士

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