いささか私的すぎる取材後記

第10回 1962年のシャドウピッチング

2013.09.04更新

 1962年10月6日、米国ニューヨーク。ヤンキースタジアムのマウンドに1人の日本人投手が向かった。踏みしめ、歩んでいく聖地のフィールド。ただ、7万観衆の熱狂は聞こえない。誰もいないスタジアムの中心へと向かっているのだ。それでも男は、子供の頃のように無邪気な興奮を覚えていた。ほとんど高揚することがなくなっていた自分にとって、思いも寄らない感情だった。

 地元ヤンキースがサンフランシスコ・ジャイアンツと世界一の覇権を競うワールドシリーズは翌7日、1勝1敗で第3戦を迎える。明日の今頃は全米が、いや世界中の数億人もの野球ファンが見つめることになる場所だ。男はプレートに足を乗せ、本塁方向を見据える。そして、あることに気づく。笑っちゃうくらい当たり前のことに。


 イチローの日米通算4000安打達成がカウントダウンに入った8月中旬、あの男に話を聞きにいこうと思った。かの天才打者が4000本のヒットを重ねた唯一の日本人プレイヤーならば、彼は4000を超える三振を奪った初めての、そしておそらく最後になるであろう日本人投手だからだ。「もうひとりの4000男が語るイチロー」。これっきゃない。スポーツ紙の社会面の記者というのは不思議な仕事で、野球担当でもないのにそんな人にノコノコ会いに行っちゃうものなのである。

 会う時間はないけど電話取材なら大丈夫だ、との回答を受け、指定された日時に満を持してコールした。すると「悪い! いまマッサージ受けてるから明日でいい?」。80歳になった男の声は、どこまでも陽気だった。

翌日の電話は、前日の引け目もあったのか実にフレンドリーな25分間だった。
「これこそ国民栄誉賞だよ。いっぱいホメたたえてあげようよ。人には絶対できないことをやったんだから。ワシと一緒。素晴らしい野球人生を作り上げたな。もともとおんなじ愛知人だしね。イチローは大好きなんだ。野球を愛し、野球に没頭し、野球のために最高の努力をしたからこそメジャーに通用する選手になれたんだな。
 イチローには『走攻守』を超える三拍子が備わっておる。肩、目、脚だ。特に脚。三遊間のゴロを内野安打にする走力以上にね、4000本に導いたのは脚力だ。現役時代のワシが走り込みを欠かさなかったのと同じで、イチローは脚力を鍛えることの重要性を誰よりも知っとる。
 よーく見てみてごらん。あの子はね、外野での守備の合間でもいつも脚を動かしている子なの。決して体の動きを止めることがない。故障もなくやってこられたことの源泉は、怠らない準備で脚力を守ってきたことなんじゃろうな。努力と節制はもちろん。これもワシと同じ。
 そして打席では独特の『間』を持ってる。メジャーの投手は力で来るけど、イチローをタイミングでかわす技術のある投手は少ないんじゃないかな。だからカモられる。王の一本足もだけど、タイミングを外さないとダメ。ワシは外す技術を持っていたけど、イチローと対戦していれば、それなりに打たれただろうな。
 ONはすごかった。松井もいい。みんな素晴らしい選手だけど、4000安打を打つ選手なんて、もう絶対に出てこないよ。ワシもそう。2度と生まれない。4000と言えば、ワシの4490奪三振もすごいよね~。メチャクチャすごいのに、みんな忘れちゃってるのは誰も近づいてこない記録だからよ。
 ヤンキースには、ちょっとだけ縁がある。1955年の日米野球では(翌年の三冠王)ミッキー・マントルから3打席連続三振を奪った。みんな長嶋の4打席連続三振ばっかり言うけどさ・・・。62年にはワールドシリーズに招待されてヤンキースタジアムに行ったよ。ケーシー・ステンゲル監督は会見で『日本人で唯一メジャーに通用するのは彼だ』と言ってくれた。巨人時代なら一面ネタだったけど、国鉄にいたから誰も書きゃしない・・・。巨人、大鵬、卵焼きの時代さ。まあ、ロッカールームで(ヤ軍史上最高の左腕と称される)ホワイティー・フォードと撮った写真は大切にとってあるよ。
 あとな、自分で言うのもなんだけど、ワシならメジャーなんて屁でもなかったわい! んなもん、400ぐらいは勝ってましたよ。ダルや黒田、岩隈にできてワシにできないことなんてない!と声を大にして言いたいわ。ま・・・トシは謙虚に取っていかないといかんな。ワハハハッ!!」

 電話を切る前、感謝を告げると、巨人軍の永久欠番となった通算400勝投手はガハハハッと笑いながら言った。「なーになーに。報知は家族みたいなモンだからなっ。いつでも連絡くれよ。じゃあなっ」


 51年前のあの日、金田正一はヤンキースタジアムのマウンドに上がり、18メートル44センチ先にあるホームベースを見据えながら、少し笑った。
「なーんだ、距離は一緒じゃねえかよ。オレならここでも勝てるな」
 ユニホームは着ていない。グラブもボールもない。それでも、打席にミッキー・マントルやロジャー・マリスの残像を描いて、ゆっくりと始動した。
 高々と上げるワインドアップからのシャドウピッチング。歓声を待つ無音のフィールドに、風を斬る小さな音が立った。

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北野新太(きたの・あらた)

1980年、石川県生まれ。学習院大学在学時に雑誌「SWITCH」で編集を学び、2002年に報知新聞社入社。以来、記者として編集局勤務。運動第一部読売巨人軍担当などを経て、文化社会部に在籍。2010年より主催棋戦の女流名人戦を担当。2014年、NHK将棋講座テキスト「第63回NHK杯テレビ将棋トーナメント準々決勝 丸山忠久九段 対 三浦弘行九段『疾駆する馬』」で第26回将棋ペンクラブ大賞観戦記部門大賞受賞。シリーズ「コーヒーと一冊」にて初となる単著『透明の棋士』を著す。

透明の棋士

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