いささか私的すぎる取材後記

第12回 不器用な練達士

2013.10.02更新

 「自分、不器用ですから」。1984年、高倉健が日本生命のCMでつぶやいたコピーは、名優を象徴するフレーズとして今も語り継がれている。本来はマイナスの意味である「不器用」という単語に肯定的なニュアンスが加わった発端だったのかもしれない。

 名声、巨額の報酬、スポーツカー、女子アナとの結婚・・・。きらびやかな野球界で出会った人々の中に、唯一「自分、不器用ですから」という言葉が似合う小坂誠という男がいた。私は初めて会った日から彼に惹かれた。腰をかがめ、しっかりと両手で名刺を受け取り「こちらこそ宜しくお願いします」と一礼した立ち振る舞いは全くプロ野球選手らしくなく、親近感を抱いた。もしかしたら、極めて庶民的な性格にもかかわらず、キラキラと光り輝いている世界に何とかフィットしようと試みている自分自身を、彼の姿に重ねようとしたのかも知れない。

 小坂は超一流のプレイヤーだった。ロッテに入団した1997年、ドラフト5位ながらいきなりスタメンに定着し、プロ野球新人記録の56盗塁を記録。新人王を獲得した。後に2度の盗塁王に輝く走力はもちろん、特筆すべきは守備力だった。ゴールデングラブ賞4度受賞の遊撃守備は、当時のコーチいわく「プロ野球の歴史の中でも頂点のレベル」にあった。何しろ、本来ならセンター前とかレフト前ヒットになるはずの打球を捕ってしまうのである。打球が飛んでくると、シュタタタッと忍者のように駆け寄り、グラブに収めてしまうのだ。広すぎる守備範囲は「小坂ゾーン」と呼ばれ、バラエティ番組で芸人が「そこ拾う!? ロッテの小坂か!」とツッコむ現象すら発生した。担当時代、何人もの投手から「小坂さんの守備はマジでヤバイッす。ホント助けられます」と聞かされた練達の技術だった。

 06年1月、ロッテから巨人に移籍してきた小坂に初めて話を聞いた。千葉マリンスタジアムでの練習後、二言三言のコメントを発すると、真冬の海岸線に走りに出てしまった。なりたての担当としてもっと話を聞きたいと思った私は、背後から追走した。砂地でのランニングは不摂生の肉体には堪えたが、私には打算があった。ずっと走ってついていけば、走り終えたときに「え? 一緒に走ってたんですか?」などといったリアクションをもらい、会話に転ずるのではないかと経験則から考えたのだ。ところが、1キロばかり走ってゼエゼエと息も絶え絶えになった私を見た小坂は、無表情のまま「それでは、こちらで失礼します」と帰ってしまった。

 あの日から、ひたすら接近を試みる日々が始まった。空気を読みつつ「一杯ご一緒させてください!」とおねだりしまくり、無類のマイケル・ジョーダンファンであることを聞きつけると、バスケに青春を捧げた身として知り得た全情報をトークで披露し続けた。
 そんな甲斐もあってか、少しずつ関係は近づいていった。7つ年下の私に対してさえ貫いていた敬語は、あるときから後輩に対するものに変化した。遠征先で日本そば屋などに入り(焼肉屋ではないところが、いかにも小坂らしい)、あれこれと語り合う時間は至福のときだった。

 結局、小坂は怪我もあって巨人では目立った活躍ができないまま、3年後に地元仙台の楽天に移籍した。私も野球担当を離れたが、これにてサヨウナラという気にはならず、仙台まで会いに行ったりもした。

 そして、彼が引退し、楽天のコーチに就任した直後に東日本大震災が発生した。甚大な被害を受けた山元町にある自宅が被災した小坂は、避難所での生活を余儀なくされた。発生から2週間、被災地の現実を目の当たりにし、身も心もボロボロになった私は、ふと彼に連絡を取った。物資が足りておらず、ガソリンも不足して移動さえできない窮状を聞いた私は、仙台市内で仕入れた食料などを車に積み、山元町へ向かった。もはや、仕事がどうこうという状況ではなく、ただ会って話をしたかった。
 避難所の小学校の暗がりで、彼と話をした。震災のこと、家族のこと、野球のこと。受け取った物資を手に、何度も何度も頭を下げる小坂は「東京に行ったら、またゴハン食べに行こう」と言ってくれた。


 9月、カウントダウンとなった楽天の初優勝に添える記事を書くために、私はやはり小坂に会いに行った。地元で生まれ育ち、野球を選び、現役を終え、避難所生活も経験した彼こそ、楽天初の栄冠を語るべき人だと思ったからだ。
 利府球場での2軍戦が終わり、勝負の熱が残るベンチに腰掛けて、語り合った。
「娘を小学校に送るときも、イーグルスの帽子をかぶった子供たちがものすごく増えたように感じますよ。買い物をしていても、いよいよ優勝ですねと声を掛けていただいたり。地域に密着していたチームが、もっともっとファンの方々とひとつになりました。野球というスポーツの力であり、ファンの方々が下さった力でもありますね」
辺りを覆う夕映えの中、私は40歳になった小坂の横顔を見ながら、かつて32歳だった彼と冬の海岸を走ったことを思い出していた。
 
 数日後、楽天はリーグ制覇を成し遂げた。「おめでとうございます」とメールを送ると、すぐに「ありがとうございます」と返ってきた。あ、また敬語に戻っちゃってるな、と私は思った。

いささか私的すぎる取材後記

楽天・小坂誠2軍内野守備走塁コーチ

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北野新太(きたの・あらた)

1980年、石川県生まれ。学習院大学在学時に雑誌「SWITCH」で編集を学び、2002年に報知新聞社入社。以来、記者として編集局勤務。運動第一部読売巨人軍担当などを経て、文化社会部に在籍。2010年より主催棋戦の女流名人戦を担当。2014年、NHK将棋講座テキスト「第63回NHK杯テレビ将棋トーナメント準々決勝 丸山忠久九段 対 三浦弘行九段『疾駆する馬』」で第26回将棋ペンクラブ大賞観戦記部門大賞受賞。シリーズ「コーヒーと一冊」にて初となる単著『透明の棋士』を著す。

透明の棋士

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