いささか私的すぎる取材後記

第15回 死闘の果て 群青の海

2013.10.20更新

羽生善治王座


 しなやかな指先でクルッと裏返され、盤上に音を鳴らした駒はキラキラと光を放っている。比喩ではない。羽生が中村玉の鼻先を襲った△6七歩成は、駒の表面に彫られた「と」の文字が見えなくなるほど輝いている。

 おそらく千日手(※同一局面が続いて勝負がつかなくなる状態。先手、後手を替えて初手から指し直す)になったとき、先後の反転に対応するために天井のカメラ位置を動かしたせいだろう。指し直し局まで30分しかない中での作業で微妙な角度のズレが生じ、駒の表面にライトが反射した・・・と一応の説明はつく。しかし、だとするならば盤上のいくつかの駒が同じように光ってもおかしくはないはずだ。ただ、眩しい光彩を放っているのは唯一、羽生が指した駒だけなのだ。なぜなのだろう。

 私が抱いた疑問は、それから少し経って意識から遠ざかっていった。そんなことを考える余地などない激闘が盤上に展開され始めたからだ。


 中村太地六段が羽生善治王座を相手に2勝1敗とリードし、初タイトルに王手を掛けた第61期王座戦5番勝負の第4局は、思わぬ進行を見せる。横歩取りから中盤戦、後手番の中村が放った△5四角打の積極手に、羽生は手を止めた。そして、千日手を選択。25歳の挑戦者は願ってもない形で先手番を手にすることになった。

 両者による過去8度の対戦は先手が7勝1敗と大きく差を付けており、今シリーズも第3局まで先手番が制している。もともと将棋は先手がわずかに有利とされる競技だが、超一流同士によるタイトル戦では一手先に相手玉に迫る権利はなおさら強い意味を持つ。最近では「後手番ブレーク」なる業界用語が使われることもある。つまり、テニスのサービスゲームのように、先手番は「キープするもの」であり、後手番は「ブレークするもの」と捉えられる。しかし、よくよく考えてみたら異様なことだ。100手前後を指していくのに、たった一手だけ先に指すことが大きなアドバンテージになってしまうのだから。棋士たちは、そんな紙一重の世界で戦っている。
 羽生は後手番を嫌って千日手を回避することも可能だった。しかし、既にペースを握られ、千日手の打開によってさらに形勢を損ねると判断したのだろう。たとえ条件を悪くしても、勝負をやり直すことを選択した。

 予期せず訪れた休憩時間に、初対面の近藤正和六段(※振り飛車党の主流戦法「ゴキゲン中飛車」を考案し、現代将棋に革命を起こした)と控室で話をする。なるほど「ゴキゲン流」の看板に偽りのない人柄だ。なんだか、陽だまりの公園を散歩しているような空気を常に醸し出している。およそ勝負師には見えない。幼い頃から将棋が好きで、夢だった棋士になり、将棋界で生きることが嬉しくてしょうがない、という顔だ。こちらも楽しくなってしまうような。40歳を超えているはずなのに、盤面を検討する表情は少年みたいだ。
 ところが、ふとした会話の流れの中で彼は言う。
「棋士はみんな根性があるものなんですよ。そうですね。みんな根性がある」
 根性・・・。もっとも近藤に似つかわしくない言葉だな、と思ったが、彼は続けた。
「でも、集中力と精神力に差があるんです。強い棋士は常に集中し続けるだけの精神力がある。だから、夜になると強くなる」
 夜になると強くなる・・・。強い棋士は夜になると強くなる。印象深い言葉だった。そして、さっそく数時間後、言葉の意味を痛いほど思い知らされることになる。

 
 後手の一手損角換わりから腰掛け銀の戦型となった指し直し局。中村は果敢に攻めた。自玉の囲いは最小限にし、駒を前へ前へと進撃させた。端歩を▲1四歩と突いた手には、純真な意志のようなものを感じた。攻める。攻め続けるんだと。前進への武器は策略ではなく勇気だった。

 夕食休憩の後、羽生が選んだ再開の一手△5五銀直により、勝負は後戻りの利かない斬り合いへと突入していく。近藤は感心しながら笑う。
「羽生さんが指したから『おお~』の一手。僕なら『コンちゃん大丈夫かぁ~?』の一手」

 互いに薄い玉頭を攻め合い、早い終盤戦に。中村は攻める手を止めなかった。馬と角で羽生玉を挟撃する。若者は時折、盤の向こうにいる王者を鋭い視線で見据える。相手の表情から何かを読み取ろうという目ではなかった。戦う男の目だった。リング上で相手を追うボクサーの目だった。

 ただ、羽生が中村を見ることはない。視線は常に盤上にある。「将棋に闘志は必要ない」。そんな言葉を読んだことがある。珍しい緑色の扇子をパタパタと扇ぎ、こちらも珍しい群青色の羽織を揺らしている。美しい色だと思った。表面は鮮やかなブルーなのだが、陰になる部分は深海の闇を思わせる。

 羽生が揺らぐことはなかった。完全な守勢の中での△6三金打に控室が沸く。誰も予想していなかった手だ。ひとつでもミスをすれば、自らの指定席とも言えるタイトルを若者に奪われる局面である。「世代交代」と言われてしまう局面である。それでも、羽生の表情には焦り、恐れ、戸惑いといった要素が微塵もなかった。私は、かつて聞いた高橋道雄九段(※獲得タイトル通算5期を誇り、50歳を超えても昨期までA級で活躍)の言葉を思い出す。

「盤を挟んでいる時、ひょっとしたら羽生君は人間ではないんじゃないかと思う時があります。他のどんな名棋士でも必ず、ああ人間だと思える瞬間はあるものですが、羽生君は本当に人間じゃないのかも、と思ってしまう」

 一分将棋に突入しても、羽生は59秒まで読んでから何食わぬ顔でスッと指したりする。一切の熱を感じさせずに。高橋はこうも言っていた。
「きっと、羽生君は将棋が好きなんです。最高の勝負をしている瞬間が好きなんですよ。勝つか負けるかというギリギリの状況で戦うことに喜びを感じているんだと思います」

 中村は、極限の世界に苦悶しながら戦っていた。両手で自らの口元を覆う。過呼吸症候群に陥った者が酸素の摂取を遮断するように。頭をかきむしったり、一手を指してからうずくまったり。羽生が退室すると、深いため息をついたりする。今、彼の瞳に映っているのは何なのだろう。夢に見続けたタイトルの頂か、それとも魔術によって生み出された迷宮の回廊か。

 追いかけても追いかけても、中村は羽生玉を寄せ切ることが出来ない。詰んでいるのか、詰んでいないのか? 控室でも中継でも、誰も解読できない局面が続く。羽生玉はスルスルと中村陣への逃走を図り、相手が打ち歩詰め(持ち駒の歩を打つことで相手玉を詰ます反則)となる順に呼び込んで自玉の詰みを逃れる奇跡のような指し手を見せた。
 人間ではないのかもしれない? だったら何なんだろう。将棋の神の化身なのか。羽生は中村が張り巡らせた網をかいくぐり、ついに盤上の海を泳ぎ切った。

 中村投了。
 時刻は、もう新しい日を迎えようとしていた。

 21日、最終局が行われる。王座防衛か、新王座誕生か。
「泣いても笑っても次がラスト。最終局、精一杯指したいと思います」
 中村からの丁寧なメールに、私は立ち止まる。「泣いても」の部分に。もう「泣いても」なんて言う必要はないだろう。どんな結果になったとしても、棋史に残るような最高のシリーズを戦っているのだから。そんな返信をしようと一瞬思ってやめた。将棋への、勝負への冒讀だと思ったからだ。
 将棋には勝者と敗者しかいない。善戦も惨敗もない。勝つか負けるか。殺すか殺されるかの決闘なのだ。だからこそ、こんなにも胸が震えるんだ。だからこそ、こんなにも胸が苦しくなるんだ。
 取材者としては、あるいは愚かな感情なのかも知れない。ただ、私は取材者である前に人間である。人間が心に強く願うことは誰にも止められない。
 だから祈る。願う。
 中村、勝て。勝ってくれと。

中村太地六段


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北野新太(きたの・あらた)

1980年、石川県生まれ。学習院大学在学時に雑誌「SWITCH」で編集を学び、2002年に報知新聞社入社。以来、記者として編集局勤務。運動第一部読売巨人軍担当などを経て、文化社会部に在籍。2010年より主催棋戦の女流名人戦を担当。2014年、NHK将棋講座テキスト「第63回NHK杯テレビ将棋トーナメント準々決勝 丸山忠久九段 対 三浦弘行九段『疾駆する馬』」で第26回将棋ペンクラブ大賞観戦記部門大賞受賞。シリーズ「コーヒーと一冊」にて初となる単著『透明の棋士』を著す。

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