いささか私的すぎる取材後記

第22回 雨の交差点

2014.02.05更新


 最後の夜、校了を終えた社内は静かだった。創刊の頃から使われているような旧式のストーブは、じりじりと声を上げている。僕は最後の訪問者を待っていた。
 七時を過ぎた頃、ノックの音に気づく。
「こんばんは」
 沢木耕太郎がドアを開けた。
 
 写真集「天涯第一」にサインをする仕事だった。僕は、彼が名前を記していく扉のページに、インクが滲まないように一枚ずつ半紙を挟んでいった。
 署名の側に言葉がある。
「酒杯を乾して」
 僕は、酒杯を乾した後に彼が何を語り始めるのかを知りたかった。酒杯を乾して...。言葉を見つめ、反芻した。

 彼が急いで出て行く。
「さようなら」
 音を立ててドアが閉じられたとき、破裂するような衝動が胸を襲った。
 気がつくと、僕は外へ飛び出して走り始めていた。仙台坂の方向に見える彼もまた、なんと走っている。
「沢木さん」
 何事かという顔で、彼は振り返った。
「どうしたの」
「あの...僕、実は今日で辞めるんです。ありがとうございました」
「ああ、そうなんだ...辞めちゃうのか」
「あの、でもやっぱり僕の夢は文章を書くことなので、これからも頑張ります」
「そっか...。ねえ、君は僕の仕事場の連絡先わかる?」
「は、はい」
「じゃ、年が明けたら電話してきてよ。どっかでコーヒーでも飲みながら話をしようよ」
 
 彼は流れてきたタクシーに乗り込んだ。広尾に向かう車は詰まっている。ヘッドライトの列が眩しかった。
 会社まで夢中になって走った。長い夜になれば、と思った。

 昭和四十五年七月一日、東京には梅雨の終わりの雨が降っていた。丸ノ内の交差点では、会社へと向かう群衆が傘を差し、嬉しいでも悲しいでもない表情を浮かべている。ありふれた光景の中に、沢木耕太郎は佇んでいた。
 信号が青に変わり、人々が歩き始めたとき、彼は一歩も動くことが出来なかった。自分を飲み込んでいく人の群れの中で思っていた。
「ここは私の生きていく場所ではない」
 就職の日は退職の日でもあった。
 
 自分が生まれる十年も前の光景を、僕は何度も何度も思い描いた。そして思った。人には誰にでも、それぞれの交差点があるのだと。自分に背いていく者と、自分を追いかけていく者。交差点を渡るか渡らないか、なのだと。

 四年後、彼は旅に出る。二十六歳だった。
 丸ノ内で同級生が交差点を渡っているとき、彼は異国の国境を渡っていた。バスに乗り、街を歩いて、人という名の海へ漕ぎ出していった。

 あんなふうに鮮やかに生きることが出来たら。僕は願った。幻想と知っていても。願いながら、やがて来る雨の交差点に立つ日を怯えていた。
 そして、SWITCHで働こうと決めた。

「君も渋谷まで出るの?」
 切符を買おうとする僕に、沢木耕太郎が聞いた。頷くと「こんなものがあるよ」と微笑んで、回数券を一枚渡してくれた。
 喫茶店で話をさせてもらった後、駒沢大学駅のホームで彼と電車を待つ。偶然、2人とも黒いコートの襟を立てていた。小さな子どもの頃のような無邪気な興奮を覚えた。
 電車がホームに滑り込む。いつもと変わらない風景も、やがて彼の文章の一部になる可能性を内包しているように見えた。
 吊革を手に彼は言う。
「昨日、部屋の整理をしていたら、僕のいちばん初めの取材ノートが出てきたんだ。で、読んでみると意外としっかり調べられていて驚いてね。当たり前だけど、二十五歳と五十歳の文章では同じ人でもまったく違う。基本的には成長するし、僕も円熟していっているとは思うけど、もう絶対に二十二のときに書いた文章は書けないんだ」
 
 写真の受け取りの使いとして初めて会ったとき、僕は彼に文章を渡した。彼への想いを綴った手紙のような文章だった。
 翌日会うと「読んだよ。ありがとう」と言ってくれた。
「ありがとう」という言葉に鮮烈な響きを感じたのは初めてだった。
 文章を読んでもらうなんて、無礼だとはわかっていた。でも、僕には想いを伝える術が他になかった。
 
 半年後、就職先が決まったことを電話で告げると「決まったのか。おめでとう」という祝福と共に、また会う約束をしてくれた。
 当日、待ち合わせの喫茶店で「敗れざる者たち」を読む。中学生の頃、夢中になって読んだ文庫本にはラインが引いてあった。


「人間には、燃え尽きる人間と、そうでない人間と、いつか燃え尽きたいと望み続ける三つのタイプがある。望みつづけ、望みつづけ、しかし、いつかはやってこない。内藤にも、あいつにも、あいつにも、そしてこの俺にも...」

「クレイになれなかった男」

 灼熱のソウルのリングサイドで、いつか燃え尽きたいと望んだ書き手が今、目の前に現れようとしていることが、どうしても信じられなかった。
 約束の時間を少し過ぎた頃、店内の電話が鳴る。マスターから名前を呼ばれ、受話器を耳に当てる。あの声が聞こえた。
「こんにちは。沢木です。ごめんなさい。少し遅れます」

 SWITCHでの日々と沢木耕太郎との時間は、僕に微かな自信を与えた。頼りなく揺れる灯のような自信ではあったが、自分にとって大切な意味を持った。
 これから何が起きるか、自分がどんな人になるかなんてわからない。でも、脳裏に浮かぶ地図を辿るだけなんて、僕には出来ないんだ。
 先のことなんて何もわからないけど、たったひとつだけ確かに言えることがある。僕ももう、自分に背いて、雨の交差点を渡ることはないと。
 あの日の青年のように。

二〇〇一年九月七日


※ 大学4年のとき、米同時多発テロが起きる数日前に書いた文章である。取材後記でもなんでもなく、ただの若者の決意表明にすぎない。書いているときは「こんなどうしようもないセンチメンタリズムは今だけだろう。30も過ぎればスマートな大人になっているはずだ」と思ったものだが、34歳になった今も一向に成長を見せない内面に愕然としたりもする。だから今は「40も過ぎればスマートな大人になっているはずだ」と思っている。
 見知らぬ若者の極私的な決意表明など読まされる方はたまったものではないと思うが、タイトルに「私的」と題していることもあり許していただければと思う。
 
 ただ、自分にとっては大切な文章でもある。時折読み返しては自問自答する。今の自分は、雨の交差点を渡ってはいないだろうかと。


【編集部注:沢木耕太郎さんとのエピソードが書かれた「実録!ブンヤ日誌」の第48回も合わせてお楽しみください】

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

北野新太(きたの・あらた)

1980年、石川県生まれ。学習院大学在学時に雑誌「SWITCH」で編集を学び、2002年に報知新聞社入社。以来、記者として編集局勤務。運動第一部読売巨人軍担当などを経て、文化社会部に在籍。2010年より主催棋戦の女流名人戦を担当。2014年、NHK将棋講座テキスト「第63回NHK杯テレビ将棋トーナメント準々決勝 丸山忠久九段 対 三浦弘行九段『疾駆する馬』」で第26回将棋ペンクラブ大賞観戦記部門大賞受賞。シリーズ「コーヒーと一冊」にて初となる単著『透明の棋士』を著す。

透明の棋士

バックナンバー