いささか私的すぎる取材後記

第30回 時には見出しなど忘れて(前編)

2014.08.08更新

芥川賞受賞会見に臨む柴崎友香さん

 スポーツ新聞と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは駅の売店のカゴからワサッとハミ出た姿ではないだろうか。在京朝刊6紙は、どれも四つ折りにされ、一面の題字の下にデカデカとした見出しが躍っている。6紙もあれば例外のひとつもあって然るべきという気もするが、かれこれ30年は足並みを揃えている。

 あの勇姿?が象徴するように、スポーツ紙の絶対的編集方針のひとつに「見出し主義」がある。何か秀逸なダジャレがないかとレイアウターが頭をひねり続ける一方、我々記者はレイアウターが見出しを付けやすい記事を執筆すべしと新人時代から徹底的に叩き込まれる。

 取材段階から「この記事の見出しは何になるだろうか」と考えながら相手の話を聞き、取材後のデスクへの報告は、自分なりに考えた見出しを告げる。「えー、音楽を流すことを市の条例で禁止された逗子海岸の海の家組合なんですけど、今夏はとりあえず条例に従うらしいです。『夏をあきらめて』って感じです」

 一般紙のようにマジメでファジーな見出しなど正直許されない。常に派手さとエンターテインメント性が求められる。結果、提出した原稿を読んだデスクに「おい! こんな原稿じゃ見出しが付かねえよ!」などと言われようものなら、もはや死刑宣告に等しい。

 ...と威勢良く書いてきたが、最近になって抱くようになったのは「見出しがどうの、ではない記事だって存在するはずだ」という思いである。先日、まさにそのことを痛感する取材があった。第151回芥川賞の受賞が決まった柴崎友香さんへのインタビューである。見出しなど謳わずに、徹底的に問答を記したい。


――吉報から2週間。実感が湧いてきた頃では。
「そうですね。候補4回目で、1回目からだいぶ経っているので妙な感じです。実際に受賞することがあるんだな~という感じで。実感があるようなないような。仕事関係の方もすごく喜んで下さっているのですが、地元(大阪)は大変そうです。テレビ出てた、とか新聞の一面に載ってた、みたいな。母から電話で様子を聞くと」
――よく自宅が胡蝶蘭で埋まるとか言いますよね。
 「そうなんです。最初の一週間くらいはお花が次々に来て。ちょっとどこに置いたらいいかと。やっと落ち着いてきましたけど」
――受賞エッセイにも追われつつ。
 「昨日やっと全部書き終えて、ちょっとホッとしたところです。芥川賞を取った友人の作家に大変と聞いていて、具体的にどう大変なんだろうなと思っていたのですが、あーこれかと。受賞エッセイは結構大変だと思いましたね。ハイ」
――同じこと書くわけにもいかないですもんね。
 「そうなんですそうなんです。違うものを書かないといけないんですけど、昨日クリアできたのでホッとしているところです」
――取材も殺到していると思いますが、ユルい媒体ですので、休憩だと思って適当にお答えいただければと思います。
 「は、はい」

――待ち会は浅草の「アンヂェラス」と「サンボア」でされて。
 「過去3回とは違うパターンの方がいいかなと。芥川賞が4回目で、他の賞も全部入れたら待ち会をやるのは9回目だったので。これまで大人数で待つとか1人で待つとかいろんなパターンをやったので、結局ギリギリまで決められず」
――結局は。
 「担当編集の方と2人で待っていました」
――お酒なんか傾けつつ。
 「最初はアンヂェラスでプリン・ア・ラ・モードを食べてました。アンヂェラスはケーキがおいしーんです。とってもいい喫茶店なんですけど。浅草なら好きなお店がいくつかあるので移動したり出来るなと。(選考会は)何時までって決まっているわけではないので。たまにすごい長い時があるんですよ」
――会見では「受賞の一報の電話を切っちゃった」と。
 「iPhoneに掛かってきて、受話器を置いているマークと上げているマークが出たんですけど、置いているマークの方が赤で目立つんですよ。で、つい押してしまい...。拒否の方で(笑)。もしかしてこのまま掛かってこなかったらどうしようと。拒否していないことをどう伝えたらいいんだろうと思いました。で、結構間が開いたんですよね、もう一回掛かってくるまで。2回目は気持ちを落ち着けてから受話器を上げている方のマークを押せました。
――受賞すると日本文学振興会の方から掛かってくるんですよね。最初の着信でおっ、みたいなのはあったんですか?
 「えっと、いちおう知らない番号だったので、あるのかな~とは思ったんですけど、とりあえず考えないようにしました。ダメな時は知っている方から掛かってくるんですよね」
――その瞬間の感慨というのは。編集さんとハイタッチ的な。
 「ハイタッチではないですけど、バー(「サンボア」)だったからシャンパンで乾杯をして、でも緊張して飲めませんでした」

――で、会見に向かわれて。受賞エッセイで「車の中でも私は街を、人を見ていた」と書かれていましたが、見ながら何を思っていたんですか。
 「浅草から銀座であんまり通らない道だったので、へえ~こういう道を通るんだと思っていました。私、世田谷なので、だいたい仕事の行き先も新宿とか西側が多いので、浅草から銀座へ行くとしても電車なので。とにかく乗り物に乗って移動しながら外を見ているのが好きなので、知らない道を通るのは楽しいです」
――当然、高揚感も。
 「現実感のないような。メールがすっごくたくさん来て。今、みんなニコ生の中継を見ているし、ツイッターもあるから発表の直後からダーッと来て、それにビックリしていました。前回候補になったのが4年前なので、4年の間に世の中は変わったんだなーと感心したりしていました」
――で、その会見なんですけど、最近は田中慎弥さんに始まり、前回も姫野カオルコさんがジャージで現れたり...。
 「そうですね、キャラが立った感じで」 
――今回は誰がやらかしてくれるのかと報道陣が期待する空気も感じたのですが、おしとやかに。
 「緊張してそれどころじゃなく。ずっと、受賞したら直木三十五の高校の後輩なんですって言おうと決めていたんですけど、それもキレイサッパリ忘れてしまって。言う間もなく、真面目に答えてしまいました。気持ち的にキャラを出すほどの余裕はありませんでした」
――沈着冷静に見えましたが、実はけっこう...。
 「焦ってました。あの会見場にいらした方の中で普段、仕事を一緒にしている方は『いつもと違う』『緊張してるー』と思われていたようです。ハイ」

――講評については。
 「こんなに汲み取ってもらえるのかと思って、本当に感動しました。書きたいなと思ったことを全て拾ってくれている、というような。今回4回目で、これまでも回を重ねるごとに伝わってきているのかなという思いはあったんですね。特に3回目の時は選評を読んで、あ、これは自分の小説を読み込んでもらえているんだと。で、少し何かまだ足りないんだな、もう一回頑張ろうとずっと思っていたので、本当に感動しました」
――今まであんまりないような体験に。
 「7年間で4回目と時間が掛かっているっていうこともありますし、芥川賞は選考委員が多いので、それだけの作家の方に読んでもらえていたということがうれしかったです」
――当然、選ばれなければ残念、というのはあると思うんですけど、過去3回は落ち込んだりもしたんですかね。
 「もちろんそれはありますね。賞のためというわけではなく、もっと読者の方に伝えるためにはどうしたらいいんだろうと考えましたし、選評に書かれていたことが参考になりました」
――芥川賞が成長させてくれたというような。
 「励まされてきたということはあると思います。それに、これを機会に新しい読者と出会えるのはとても楽しみですし、それが賞が持つ大きな意味だと思ってます」

――受賞作についてですが、まず伺いたかったのが作中の写真集にモデルがあるかどうかということなのですが...。
 「はい。荒木経惟さんが奥さんの陽子さんを撮られた一連の写真と、藤代冥砂さんが奥さんの田辺あゆみさんを撮られた『もう、家に帰ろう』という写真集があって、どちらも名作なんですけど。たまたまどちらのお宅も世田谷区にあって、引っ越してきて、あ、近いんだなと。東京って、東京以外から来た人にとってはフィクションとか、テレビで先に見て知っていた場所が実際にある...イメージが実際の街と混ざり合っている、重なり合っている面白さがすごくあって。自分が実際に世田谷区に住んで、人の家を見ながら散歩するのが好きなんですけど、最初に住んだ家は荒木経惟さんのお宅のすぐ近くで、あの辺らしいと聞いていたので。あのベランダの広い家が見つからないかなと思って歩くのが楽しみで、結局見つからなかったんですけど、そういうことが実際にあったとき、人の家なのに中をよく知っているというのは何か不思議な感じがするんじゃないかな、入ってみたいと思うんじゃないかなと考えて、その辺からだんだん(作品への)考えが広がっていった感じです」
――亡くされた奥さんをアラーキーが撮った作品は僕も好きですけど、あれ、世田谷だったんですか。
 「おうちは世田谷なんです。去年取り壊されちゃったみたいで。なぜ見つからなかったかというと、一戸建てだと思いこんでいたのが、実はマンションだったそうなんです」
――あれマンションぽくないですよね。
 「そうなんです! あんなに広いバルコニーがあるので一軒家だと思っていたんです。で、後からあのマンション取り壊しになるんだよと話を聞いて、え、マンションだったの、それは気付かないはずだと」
――藤代さんのは子どもさんが生まれてからのもたしか...
 「そうなんですそうなんです。時間を経て、あれは鎌倉かどこかに移られてからなんですよね。お子さんが生まれてからのは」

――街があり、風景があるということを語るという柴崎さんらしいモチーフが今回も、というところがあると思うんですけど、あのアパートはご自身の住居空間が投影されているところはあるんでしょうか。
 「前に住んだところが比較的投影されているんです。東京に来てから2年ごとに引っ越して今、4軒目なんですけど、同じ世田谷区内ですけど、ちょっと違う。駅に近かったりとか、ちょっと住宅地だったりとか。東京の街って入り交じってますよね。路地一本入ると変わるのが東京の面白さでもあるかと」
――で、隣人と交流したり。
 「あーないですないです。ウチ、全然ないんです。だから私にとって『春の庭』はファンタジーなんです。性格にもよるのかもしれないですけど、今の東京だとあんまり交流はないですよね。友だちなんて、公団の団地に引っ越した時にお隣に挨拶に行ったら『ここはそういう所じゃないから』って」
――それキツいですね。
 「初日にそんなことになって暮らしていけない、と言ってたことがありました(笑)。私も今まで近所付き合いはほぼなくて、見掛けると挨拶をするくらいで。名前も、どういう人かも知らない、ということばっかりでした。でも、小説の中で起こったことって現実でも起きる可能性があると思っていて、小説の中で何か面白いことが起きればいいなと思いながら書いています」
――ある種の憧れというか。
 「そうですね。同じアパートに住んでいる子どもが廊下ですごく泣いていたので心配して、大丈夫?って声掛けたら逃げられたっていうことはありましたけど(笑)。怖がられた(笑)。けっこうショックでした」
――そういう世界観で、ご自分の好きなものがたくさん入ってて、これまでの集大成じゃないですけど、書けたなっていう感覚はあったんですか?
 「書いた直後は距離を取って見られないところがあるんですけど、いろんな人がいろんな感想を、あそこがよかったとか気になったとか、それぞれちょっとずつ違うことを言って下さるので、へ~、その視点は面白いなあ、とか思っているところです」

――私などが感想を言ってもしょうがないのですが、いち読者としては、133ページの宇宙から俯瞰した光だとか、飛行機から眺める光というところのためにあった小説なのかなあなどと思いました。たぶんそうじゃないとは思いますけど。それまでの狭い世界からぶわーっと飛んでいくような。
 「ありがとうございます。そう思っていただけたのならうれしいです。今回の作品はアパートのある区画の中だけで展開する作品なのですが、東京の一部であり、世界の一部ということがあの場面で伝わればいいなと思いました。みなさんがいろんなところを拾って下さっているので、何かしらいい作品が書けたんじゃないかと思っています」

――デビュー以来、作風を「何も起こらない小説」と評されてきましたけど、そういう世界観に惹かれるのはどうしてなんですか。純文学には人間の業を描くような小説も数多くあると思いますけど。
 「でも、何もないことを書こうとか、何もない日常が大切だとか思っていることでは全然なくて、日常って変なものだと思うんですね。よく分からないのにみんな普通の顔をして過ごしていて、面白いこととか気になることはいっぱいあるので、他の人が書かないなら自分で書こうかなと。このまま消えていくのはもったいないというところがあって。人間の業を描いたものでも何でも、いろんなタイプの小説を読むのが好きなんですけど、でもそれはもう書く人がいるので。私は私が書かないと無くなってしまうようなことを書きたいなと思っています」

――タイトルに「街」とつくものが多いと思うんですけど。単純に街というものが好きなんでしょうか。
 「街は人の思いが形になって積み重なってきている場所なので。全然知らないような人の思いをふと感じるような。同じ道を同じような思いをして歩いてるようなことをふと感じる瞬間があるんです。自分の中では書きたいと思う大きなテーマですね」


*明日に続きます

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北野新太(きたの・あらた)

1980年、石川県生まれ。学習院大学在学時に雑誌「SWITCH」で編集を学び、2002年に報知新聞社入社。以来、記者として編集局勤務。運動第一部読売巨人軍担当などを経て、文化社会部に在籍。2010年より主催棋戦の女流名人戦を担当。2014年、NHK将棋講座テキスト「第63回NHK杯テレビ将棋トーナメント準々決勝 丸山忠久九段 対 三浦弘行九段『疾駆する馬』」で第26回将棋ペンクラブ大賞観戦記部門大賞受賞。シリーズ「コーヒーと一冊」にて初となる単著『透明の棋士』を著す。

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