いささか私的すぎる取材後記

第32回 雀荘の2人

2014.09.12更新


 1968年のある日、京都市立芸術大学の近くに一軒の雀荘が出来た。
 時間と暇を持て余した彫刻科1年の男子学生がためしに行ってみた。
 ジャラジャラジャラジャラ...。
 牌の音、煙草の匂い、鬱屈とした空気、小さな高揚と落胆。
 気がつくと常連になっていた。

 ある日の午後、見慣れない女の子が部屋の隅の卓に座っていた。
 髪を染めて、足を組んで、花柄のワンピースを着て、真っ黄っ黄のマニキュア塗って、もちろん煙草を吸っていた。
 ごっつい子おるな~。
 どこのホステスやろか。
 ねえ。
 あ、そーなん?
 日本画科なん?
 オレ彫刻やけど。
 19歳の2人は意気投合した。
 一緒に卓を囲むようになった。
 毎日一緒に過ごすようになった。
 23歳の時、学生結婚した。

 卒業の日、彫刻科の同級生は9人だった。
 彼だけたったひとり、まともに就職した。
 だってオレは夫やから。
 よめはんを食わせなあかんから。

 でも、職場は合わなかった。
 上司と折り合いが悪くなって、半年もしたら辞めたくなった。
 おなか壊したとか言って何度も会社を休んで、大学に戻って教職免許を取った。
 
 ようやくなれた高校の美術教師は、彼に合っていた。
 人間相手の仕事だから。
 彼女も中学教師から高校教師に変わった。
 同じ時間で一日を、一年を過ごせるのが何より嬉しかった。
 
 でも、夏休みの退屈はいかんともしがたい。
 暇つぶしに小説でも書いてみよか。
 ミステリーなら国内外の名作をほとんど読んだから、オレでも書けるんちゃうかな。
 ...あかん。
 ダメや、全然書けへん。
 実際に書くゆうんは難しいもんやな。
 もう辞めたわ。
 あほらし。
 珍しく、彼女が怒った。
 男が一度やると決めたことは絶対にやり通さないとあかんよ。

 第1回サントリーミステリー大賞佳作。
 彼は思った。
 佳作なら次は大賞取らなあかん。
 3年の時が必要だった。
 
 毎日、学校から帰ってきた後、真夜中に原稿用紙に向かった。
 何年か経つと限界が来た。
 38歳、退職。
 600万あった年収は200万に届かなくなった。
 すぐ後悔した。
 あれだけ苦労して教師になったのに、なんで辞めてしまったんやろ。
 彼女は気づいていた。
 彼の後悔を。
 でも、何も言わなかった。
 何も言わず、教師を続けた。
 彼が本当の職業作家になるまで、もう3年の時が必要だった。

 2014年7月17日、夜。
 65歳になった彼はやっぱり雀荘にいた。
 勝ち始めた時、彼女から借りて首から提げていたケータイが鳴った。
 初候補から17年、6回待って、ようやく届けられた吉報だった。
 電話を切った後、今度は自宅にコールする。
 彼女は驚き、祝福してくれた。
 良かったねえ、おめでとう。

 8月上旬、黒川博行は私に言った。
 「よめはんが喜んでくれたのがやっぱりいちばん嬉しかったです。よめはんがいなかったら今の僕はない。というか小説書いてないです」

 8月下旬、第151回直木賞贈呈式。
 壇上の脇に置かれた椅子に腰掛けた2人を、私は見ていた。
 そして思っていた。
 あの雀荘の日を。
 花柄のワンピースのことを。
 
 受賞作「破門」の表紙には艶やかなザクロの静物画が描かれている。
 表紙をめくった扉の頁には「装画・黒川雅子」と記されている。
 小説家と日本画家。
 46年間、一緒に歩いて、歩いて、歩いて、辿り着いた幸福だった。


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北野新太(きたの・あらた)

1980年、石川県生まれ。学習院大学在学時に雑誌「SWITCH」で編集を学び、2002年に報知新聞社入社。以来、記者として編集局勤務。運動第一部読売巨人軍担当などを経て、文化社会部に在籍。2010年より主催棋戦の女流名人戦を担当。2014年、NHK将棋講座テキスト「第63回NHK杯テレビ将棋トーナメント準々決勝 丸山忠久九段 対 三浦弘行九段『疾駆する馬』」で第26回将棋ペンクラブ大賞観戦記部門大賞受賞。シリーズ「コーヒーと一冊」にて初となる単著『透明の棋士』を著す。

透明の棋士

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