いささか私的すぎる取材後記

第35回 ソロクライマーの声

2014.11.14更新


 奥多摩の渓谷を一望する橋の上から多摩川を見下ろす。靄のかかった幻想的な風景を見つめたまま、山野井泰史は穏やかな笑顔を浮かべている。「すごく綺麗ですね。こうして見ると奥多摩も綺麗なんだなあ・・・」
 欄干から身を乗り出してみる。足がすくむほどではないが、落ちたら死んでしまうだろうなという感覚の高度はある。「50メートルくらいですか?」と尋ねると、山野井は「いや、50はないですね。30ちょっとぐらいですか」と答えた。
 ふと頭の中で計算をして、身震いがした。目の前にいる人は、私が今感じている高度の250倍もの標高にそびえる垂直の岩壁を登り続けて来たのだ。世界の果てで、酸素の薄い中を、氷点下の寒さに耐えながら、わずかな装備で、たった一人。
 誰も挑んでこなかったようなクライミングを続けて「天国にいちばん近いクライマー」と呼ばれながら、なぜ山野井は生還し続けることが出来たのか。テーマは「死」。世界最強と称されたソロクライマーに聞いた。



 他のスポーツでもよく「限界に挑む」という言葉が使われますけど、クライミングでは限界にばかり挑んでいたら命がいくらあっても足りません。
 ギリギリの状態になって、面白くなってきたな、山っぽくなってきたなと思えるものですが、限界を超えてはいけないんです。ギャチュンカンで遭難した時も限界まではいっていません。吹雪に遭って凍傷にはなりましたけど、自分の能力の限界を超えたとは思っていないんです。もちろん全て計算通りではないですけど、全て克服できる範囲の状況にはいたと思うんです。
 普段、奥多摩で生活している時は非常に冴えない人間で、コタツに入ってお菓子をポロポロこぼしながらテレビを見てアハハハって笑っているような人間なんですけど、ふと前に行ったヒマラヤのことを思い出して、ああやってこうやって登ったんだよな・・・ああ、あんなことが俺に本当に出来たのか? ウソだろ? って信じられなくなることがあるんです。年がら年中あります。
 限界以上のことをやったんじゃないのかって町に下りている時は思うんですけど、山にいる時は自分の持つ潜在能力を引き出して、常に発揮できるようになっているんだと思うんです。だからどんな時でもパニックにはなりません。視野は広がっているし、頭はクリアなままです。
 岩壁で腕に乳酸がたまってくると、普通なら恐怖から視野が狭くなってレッドゾーンに入ります。でも、僕は指が開いちゃう瞬間まで視野を保っていられるような気がするんです。危険を招き入れるのは山ではなく我々です。山を把握出来ず、自分を理解していないと危険に陥る。山はただそこにあるだけ。雪崩も吹雪も山のサイクルの一部ですからね。

 自分ではどうにも対応出来なかったのは、マナスルで雪崩に遭って生き埋めになった時くらいです。あんな恐怖のまま死んでいくのはちょっとたまらないですね。しばらく寝袋に入るのも布団を掛けるのも怖かった。
 20代から友人を山でたくさん亡くして、ずっとは生きられないとどこかで思って来ましたし、だからこそ一生懸命登っていきたいなと思い続けて来ました。友人が亡くなれば、もちろん悲しいですけど、ずっと悲しみ続けるようなことはありません。僕は彼らがどれだけ輝いたかを知っていますから。人生の全てを賭けた頂を踏んだ後、還れなかったとしても、もしかしたら幸せなのかもしれない。
 でも、輝き始めた人には生きていてほしいと思うんです。だから野田君が亡くなったのは悲しかったし、ショックでした。2人で登ったアンデスは久しぶりに完璧なスタイルで成功して、こんなにうまくいくことがあるのか、と思うような最高の登山でした。彼は登りたくて登りたくてしょうがないって目をキラキラさせていて。若い頃の自分を見ているような気持ちでした。ここ4、5年くらいで一気に吸収していて、すごいトレーニングをして体力もありましたし。
 本当は小さなステップで少しずつ身に付けていった方がいいんですけど、野田君は大きなステップでレベルを上げていたから、本当は僕からいろんなことを言葉で伝えた方が良かったと思うんです。でも、キラキラ輝いている彼に僕は伝えられなかった。僕は今まで、自分が感じて独学で身に付けてきたものを人に伝えたり、教えたりということをして来なかった。苦手だったんです。

 同じ年代で同じような志向の人はたくさんいて、筋力や体力が僕より優れているクライマーもたくさんいましたけど、僕には生き残ることについての才能はあるんだろうなという気がしているんです。山は運ではないと思います。少なくとも僕が生き残ってきたのは運じゃないと思う。年がら年中ギリギリのことをやりながら今も生きている、ということは運では説明できないです。
 事故現場にも何度も遭遇しているけれど、山では登山映画のように綺麗に死ぬことは出来ません。美しいものではないんです。僕らがやっている登山では、人のかたちをしないで死んでしまう可能性が高い。そんなふうに死にたくはないという思いはあります。
 でも、もし永遠の命を与えられていたとしたら、舞い上がる雪煙を美しいとは思わないと思うんです。命があるからこそ、雪のきらめきであったり、雪崩のグオオオーッていう音に感動するんだと思うんですよね。命があるから植物を綺麗と感じる、というのと同じで、命に限りがあるから、落石のこだまの音を美しいと感じるんだと思うんです。

 高校生の頃から死を意識しながら谷川岳の岩場に通っていました。今でこそ孤独や恐怖は山の要素だと思えるようになりましたけど、昔は気持ち悪くなるくらい、胸が苦しくなるくらい怖かった。今でも、小さな山に向かう時でも、吹雪の中にいる自分とかスリップしそうな自分を想像して怖いと思います。怖くて眠れない時もある。でも、怖いと思うことを保っていないといけないんです。そんなに簡単に人間が生き残れる場所じゃないんですよ。怖いと思わないこと自体が不自然なんです。
 毎週のように登山をしていると怖いと思わなくなるのが普通ですけど、僕は10代の頃から怖いという感覚を失ったり、怖さに鈍感になったことは一度もないです。だから生き残って来られたのかもしれません。奥多摩の岩場に行って、自分の技術では全く問題がないと思う場所でも怖さは感じます。
 それでも山に行くのは、すっごく面白いことがたくさんあると知っちゃってるからです。人生を謳歌できるものが待っていると、もう知ってしまっているんです。残念ながら僕には山が全てなんです。山があるから生きている。山登りが嫌なものになった瞬間は一度もないです。山で体験する全てが素晴らしいものなんですよ、僕にとっては。だから山で何が起きても受け入れられる。今、腰を痛めていてクライミングを3日間していないんですけど、もうダメなんですよね。岩を登って、腕に乳酸をためたくなってしまう。

 クライミングを知った時から、何歳ぐらいであの山を登って、何歳ではこの山を登ってって、ずっと焦ってきました。登りたい山はものすごくたくさんあるけど、ずっとは生きられないと知っていましたから。
 そして・・・理想には追いつかなかった。10代の時の理想のクライマーからはどんどん離れていって、最終的には到達せずに終わりました。本当に。以前はトップレベルにいたのかもしれないですけど、もう今では登れない山があるんだ、ということが単純に悲しいです。他のクライマーがどうかは知らないですけど、僕にとってクライミングは対人(たいひと)ではないので、トップレベルともう肩を並べられないということに関しては何も感じないですね。全く何も。単純に、あの山のあの岩壁にはもう届かないんだな、というのが悲しいんです。もちろん今は自分の能力を向上させていく喜びはあるんですけど、憧れている山に行けない、ということは絶対的に悲しいんです。
 陸上競技の100メートルで9秒台を狙っていた人が13秒台からスタートして、12秒・・・11秒・・・となっても喜びを得られるかということです。9秒台で走ろうとする人は、もちろん誰かと争うのかもしれないですけど、自分が9秒の世界を体感したいという思いもあるはずなんです。でも指を切ってしまったら、もう9秒台には到達できない。
 指を失ってからも登ってきたことは自分でもすごいなと思いますし、まだ俺の方がうまいな、まだ俺の方が体力はあるなと思ったりもしますけど、今は困っちゃっています。次の山へのいいアイデアが浮かばない。アイデアが浮かばないのは致命的ですね。行きたいと思う山はありますけど、本当に行きたいのか、と自問自答しています。目標がないから適当に選んでいるんじゃないのかって、自分に。本当に行きたい山じゃなければ、楽しめない。楽しめないし生き残れないかもしれない。だから一生懸命考えています。

 なぜ登るか? 自分の肉体で上昇していくのが楽しいんじゃないでしょうか。優越感とは違って。ただただ面白い。山頂から見下ろして気持ちのいいものではなくて、登っている過程が楽しいんです。K2の頂上の見晴らしよりも、K2を登っている時が面白いんです。
 僕は子どもが描くような三角錐の形が好きなのかもしれないですね。あの三角錐の頂点を目指す中腹に人がいると思うとたまらない気持ちになるんです。これはもう説明できないです。
 三角錐に1人か2人くらいがへばりついていて、他にはただ広い空間が広がっている、というのが美しいと思うんです。20人いたりとかフィックスロープが垂れ下がっている絵柄は綺麗ではないと思うんです。酸素ボンベをモゴモゴしていてもワクワクしなくて、白い息を吐いている絵が美しいと思う。
 単純に自然が好きというわけじゃなくて、クライミングはとても豊かな行為だと思うんです。目的のためにお金をためて、知らない国に旅立って、文化と宗教に触れて、わけの分からないメシを食べて、会話が通じない人と一緒に歩いて、生きるか死ぬかという行為を最終的にはして、笑って日本に無事に還ってくる。一連の行為が他ではなかなかないことだと思えるんです。
 1年中、山のことを思っていたいし、次の山のことをずっと考えていたい。なんでなんでしょうかね。理由は分からないです。悲しいくらい山のことが好きなんです。



山野井泰史(やまのい・やすし)

 単独あるいは少人数のアルパインスタイル(酸素ボンベなしの軽装備で最速の登頂を目指す岩壁登攀)で難ルートに挑み続ける世界的クライマー。1965年東京生まれ。10歳で登山を始める。高校卒業後に渡米し、フリークライミングの技術を磨く。88年バフィン島トール西壁単独初登。90年パタゴニア・フィッツロイ冬季単独初登。94年チョ・オユー南西壁単独初登。00年K2南南東リブ単独初登。同じく世界的クライマーとして知られる妻・妙子さんと挑んだ02年ギャチュンカン北壁で第2登達成後、雪崩に遭い遭難。後に手足の指10本を失う凍傷を負いながらも生還。同年、植村直己冒険賞受賞。多くの指を失っても垂直の岩壁に挑むことをやめず、05年中国・ポタラ北壁単独登攀。07年グリーンランド・オルカ初登。13年、30歳のクライマー・野田賢とパートナーを組んでペルー・アンデスのプスカントゥルパ東峰南東壁初登。両者は同年のピオレドール・アジアを受賞。14年3月、野田が北アルプス鹿島槍ヶ岳で滑落死したことを契機に執筆を開始した「アルピニズムと死」を同10月に上梓。他著書に「垂直の記憶 岩と雪の7章」。山野井を題材としたノンフィクションに「凍」(著・沢木耕太郎)、「ソロ 単独登攀者山野井泰史」(著・丸山直樹)がある。

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北野新太(きたの・あらた)

1980年、石川県生まれ。学習院大学在学時に雑誌「SWITCH」で編集を学び、2002年に報知新聞社入社。以来、記者として編集局勤務。運動第一部読売巨人軍担当などを経て、文化社会部に在籍。2010年より主催棋戦の女流名人戦を担当。2014年、NHK将棋講座テキスト「第63回NHK杯テレビ将棋トーナメント準々決勝 丸山忠久九段 対 三浦弘行九段『疾駆する馬』」で第26回将棋ペンクラブ大賞観戦記部門大賞受賞。シリーズ「コーヒーと一冊」にて初となる単著『透明の棋士』を著す。

透明の棋士

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