いささか私的すぎる取材後記

第39回 表現者

2015.04.07更新

 
 乾杯を交わした後で、3日前の挑戦者決定戦での戦型選択の意表について行方尚史に尋ねた。
 なぜ相振り飛車を選んだのか。大一番こそ普段通り戦うというのが勝負事の常識と言われているのでは、と。
 彼は柔らかな口調で言った。
 「今ひとつしっくり来ていなかったので、全てを変えなくちゃいけないと思ったんです。ちょっと飛びたいな、と。うん。飛びたいなと思った。僕の将棋は地味なので、飛びたいと思ったんです」
 ちょっと飛びたい――。
 ゾクゾクして、思わずニヤついてしまった。行方が選ぶ言葉は時々、鮮やかに生きることへの憧憬を漂わせている。

 行方尚史は表現者である。もちろん盤上技術で、勝つことへあらゆる死力を尽くすことで表現する者。さらには生きる姿勢や流儀によって、自分とは何者かを伝え続けている存在だと思っている。棋士としての在り方、佇まいだけではない。彼の書いた文章を初めて読んだ時、心底そう思った。
 現代将棋に革命を起こした戦型「藤井システム」を武器に藤井猛が竜王となった直後の対藤井戦の自戦記には、何度読み返しても損なわれない輝きがある。
「『一応おめでとう』。第4局の打ち上げの席で新竜王にビールをつがせながら、おざなりな祝福の言葉を僕は言い、グラスをガチャンと合わせた。素直に祝ってやれ、彼も進んでいくが、僕も進んでいくのだからと思っていた。進んでいく、その一点への信頼で藤井猛との友人関係は成り立っていると僕は思っている」(『将棋世界』1999年2月号)
 彼も進んでいくが、僕も進んでいくのだから...という一文に震えますね、などと伝えたら、彼は笑った。
「完全にロッキンオンジャパンの世界ですね(笑)。でも、記した時の感情に嘘はないです」

 8日、第73期名人戦七番勝負が開幕する。現在も四冠を保持し、疑いの余地のない最強者である羽生善治名人に行方尚史八段が挑む。
 棋界の頂点に立つ十人の棋士が名人への挑戦権を争うA級順位戦、6勝3敗で並んだ四人によるプレーオフを制した。パラマス方式のトーナメントで広瀬章人八段、渡辺明二冠(現棋王)を破ってきた久保利明九段との挑戦者決定戦では、居飛車党ながら後手番で相振り飛車を選択。一進一退の攻防から最後は一気に抜け出し、完璧な寄せで勝利をさらった。四十代での名人初挑戦は1970年の灘蓮照八段以来45年ぶりと聞く。

「名人戦に出るような人間だと思っていなかった部分があるので、自分でも驚いています。やっぱり名人戦は特別なので。でも去年、順位戦で2位になって初めて意識するようになりました。せざるを得なかった。まあ、羽生さんも1年前は僕と翌年戦うことになるとは思ってなかったと思いますけど」
 一昨年、行方は第54期王位戦七番勝負で悲願のタイトル戦初登場を果たした。羽生に挑み、1勝4敗で敗れている。
「あの時は無邪気でした。調子に乗っていたと思います。調子に乗るのはいいんですけど、乗りっ放しで行って突き落とされました」
 意識的なのか無意識なのか分からないが、彼は「無邪気」という言葉を度々用いる。実に無邪気な顔をして「無邪気」と発するのである。
 

 1973年、行方は青森県弘前市で生まれた。小4年で将棋を始め、棋士を志す。5年生になると、将棋会館での研修会に通うため、週末になる度に夜行列車で上京し、夜行列車で帰郷する生活を繰り返す。小学校卒業と同時に単身上京し、大山康晴十五世名人門下で奨励会に入会。そして93年、19歳の時に四段昇段を果たす。
 直後の第7期竜王戦での活躍は今も語り草になっている。20歳の新四段が郷田真隆、深浦康市、森内俊之、南芳一、米長邦雄という将棋界を代表する男たちをなぎ倒す快進撃を見せるのである。
「あの時、何を思っていたのかは覚えていないんです。正直、リアリティーはない。一瞬でも自分の力に疑念が走ったらダメだったんでしょうけど、無我夢中で突き進んでいたら挑決まで勝っていた」
 挑戦者決定三番勝負では23歳の若き名人・羽生善治と激闘を演じるが、2連敗で屈した。「20歳だったからしょうがないのかもしれないけど、今、僕の中に残っていないのは当時、葛藤を抱えなかったからなのかもしれないですね」

 いつも羽生や、彼の世代の光り輝く棋士たちの背中を追い、走ってきた。
「20歳の時、自分はすごいんだと思ってました。だから向こう見ずに戦えた。戦って、彼らにも勝つことが出来ていた。でも、自分の手の内を見透かされるようになってやられるようになりました。彼らが自分の何倍も何十倍も深く考えていることに全く思いが至らなかったんです。彼らは皆、ものすごく将棋に自覚的に取り組んでいた。そんなことが若い頃の自分には分からなかった。羽生さんすごいな、佐藤(康光)さんすごいな、森内さんすごいなって、ただ、ああなれればいいと無邪気に思っていました。僕も(各棋戦の)ベスト4くらいには残っていたので、いつかは自分の順番も来るんじゃないかと思って過ごしてしまっていたけど、思っているだけじゃ来なかった。僕には20代後半から十年間くらい自分を追い込めなかった歴史があるけど、彼らにはギリギリまで追い込むことが日常だった。そういう人たちと生きるようになってからは、自分はすごいんだと思えたことは一度もないです」

 追い掛け続けた立場にとって「羽生世代」とは、どんな存在に見えていたのだろうか。
 「日本中の他の世界と照らし合わせても稀だと思えるくらい芳醇なものがあると思うんです。あんな世代はもう二度と現れない。将棋に答えを出してしまった世代だと思うので。(羽生世代が将棋界に持ち込んだ思想として)ジャスト・ア・ゲームという言葉がありますよね。日本的な情緒なんて関係なくて、あくまでゲームはゲームであるっていう。でも、彼らはただジャスト・ア・ゲームで語れるような存在じゃないんです。それぞれがものすごく魅力的な人たちなので。羽生さんも佐藤さんも森内さんも郷田さんも」

 転機のひとつとして挙げるのは2006年5月、羽生と藤井による朝日オープン選手権五番勝負の第4局の現場に、解説者として立ち会ったこと。
 「盤上の光景がすごく美しかったんです。あの将棋を見ていなかったらやばかった。たぶんあの年、A級には上がれてなかったと思います。あの時の感覚は常に覚えています」
 美しい将棋は強い将棋と同義か、と尋ねると、彼は決然と「将棋に美しさを感じていない人は将棋には勝てない」と言った。
 「藤井さんは丸山(忠久)さんと同じスペシャリストの括りで、羽生世代の括りとはちょっと違うんです。藤井さんは羽生世代とは全く別のマグマを起こして爆発させた。あんな形でブレイクするとは思いませんでしたけど、自分を突き詰めることで昇っていった。僕が恵まれていたと思うのは、藤井さんとずっと長い間、一緒に将棋を指してきたことですね。棋士人生でいちばんの悪友だし、今でもバカばっかりしか言い合ってないけど、藤井さんなくして今の僕はないです」


 記事を書く仕事を13年間もやっていると、世の中のあらゆる言葉を、好きなものとそうでないものに分けて見るようになる。そして自然と、文章を書く時くらい自分の好きな言葉を選び取りながら書きたいと思うようになるものだ。
 どういうわけか、私は昔から「行方」という単語が好きだった。行く方向と書いて「ゆくえ」。意味も響きも文字面も美しい言葉だと思う。
 真実の―、告発の―、評決の―。頭に何か言葉をくっつければ、たちまち映画の題名になってしまう叙情性のようなものがある。
 でも、今は「行方」という活字を目にする時、常に「なめかた」と読むようになった。読み方が「ゆくえ」である時も、必ず一瞬だけ立ち止まる。
 なめかた。四つの音が喚起するイメージは、繊細と無頼の間を揺れ動く情熱である。宵口の一杯の酒であり、ミッシェル・ガン・エレファントの叫びである。ファッショナブルさの中に隠し込んだ圧倒的なストイシズムである。心のどこかに触れる正体不明な何かである。
 棋士・行方尚史。今、2年前の、そして21年前の借りを返すため、最高峰の舞台へと上がる名人挑戦者である。


 【取材後記の追記】発売中の雑誌「将棋講座」に筆者が担当した「第64回NHK杯テレビ将棋トーナメント準々決勝 佐々木勇気五段対行方尚史八段戦」の観戦記「二十歳、二十年」を掲載していただいています。併せてお読みいただけたら幸いです。

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北野新太(きたの・あらた)

1980年、石川県生まれ。学習院大学在学時に雑誌「SWITCH」で編集を学び、2002年に報知新聞社入社。以来、記者として編集局勤務。運動第一部読売巨人軍担当などを経て、文化社会部に在籍。2010年より主催棋戦の女流名人戦を担当。2014年、NHK将棋講座テキスト「第63回NHK杯テレビ将棋トーナメント準々決勝 丸山忠久九段 対 三浦弘行九段『疾駆する馬』」で第26回将棋ペンクラブ大賞観戦記部門大賞受賞。シリーズ「コーヒーと一冊」にて初となる単著『透明の棋士』を著す。

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