いささか私的すぎる取材後記

第40回 完璧な瞬間

2015.05.08更新

 一足早い初夏の風が吹いている。
 昼下がりの暖かい光が射している。
 明後日からゴールデンウィークだというのに、郊外の国道は閑散としている。遠くの空は透き通るブルーだ。
 覗き込んだファインダーの背景には街路樹の新緑が映る。ゆらゆらと揺れ、きらきらと輝いている。
 ふと思う。今、フレームの真ん中にいる人なら、どんな色で描くのだろう。

 ついさっき、私はテーブルの向こうにいる安野光雅に尋ねたばかりだ。
 あなたにとって、絵とは何なのか。
 いつもの癖だ。大きすぎて答えようもないことを、つい聞いてしまう。
 89歳の画家は頬を緩ませながら言う。
 「絵を描いて生活してきたので、生活の手段としか言いようがないです。なんとかの芸術です、なんて美化するとウソをついていることになっちゃう。なかなか模範解答は言えないですねえ」
 私は思い出す。
 昔、実家にあった『旅の絵本』のこと。学生時代に毎年愛用した『文庫手帳』の表紙のこと。今、我が家の本棚の片隅にあるはずの『ヨーロッパの街から村へ』のこと。
 あの優しい絵は全て、目の前にいる人が描いたんだ。そんな当たり前のことについて思う。
 そして彼は言った。
 「でも、最後に残るのは誇りだと思います。プライドが許さない、という言葉がありますよね。あれは間違っていると思っていまして、プライドさえあれば多くのことは許せると思うんです」

 新聞記者として送る日常には時々、心が震えるような瞬間が訪れる。そのような瞬間には、大きく分けて4つの段階がある。
 まず、特別な人と出会う瞬間。
 次に、特別な人と特別な時間や場所、あるいは場面を共有したと思える瞬間。
 続いて、特別な人から特別な言葉を聞いた瞬間。
 そして最後に、特別な人と出会い、特別な時間や場所、あるいは場面を共有し、特別な言葉を聞いたことを、誰かに伝えたいと思う瞬間である。

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

北野新太(きたの・あらた)

1980年、石川県生まれ。学習院大学在学時に雑誌「SWITCH」で編集を学び、2002年に報知新聞社入社。以来、記者として編集局勤務。運動第一部読売巨人軍担当などを経て、文化社会部に在籍。2010年より主催棋戦の女流名人戦を担当。2014年、NHK将棋講座テキスト「第63回NHK杯テレビ将棋トーナメント準々決勝 丸山忠久九段 対 三浦弘行九段『疾駆する馬』」で第26回将棋ペンクラブ大賞観戦記部門大賞受賞。シリーズ「コーヒーと一冊」にて初となる単著『透明の棋士』を著す。

透明の棋士

バックナンバー