いささか私的すぎる取材後記

第41回 台風下の棋士

2015.07.10更新


 夜は深くなり、雨は激しくなった。

 台風6号は勢力を弱めて温帯低気圧に変わりましたと、さっき会社で観たばかりのニュースは伝えていたはずだが、改札口を抜けると22時の千駄ヶ谷は豪雨の街だった。品川で山手線に乗った時より格段に雨脚が強くなっている。駅前は家路を急ぐ人々ばかりで、これから街へ出ていこうという物好きは私くらいのものだった。
 川と化した横断歩道を渡る。向こう岸に着いた時には靴下の中まで水浸しになっていた。横殴りの雨が襲えば、小さな折り畳み傘など形だけの代物だった。決死の覚悟で歩道を進むものの、五叉路を折れて鳩森八幡神社を回り込む頃にはシャツもファイブポケットパンツもズブ濡れになっていた。珍しく早い時間に仕事が終わった夜だ。おとなしく帰宅するのが最善だったか、と少し思った。
 闇に包まれた坂を見下ろす。電灯看板には「将棋会館」の4文字が浮かんでいる。守衛に挨拶をして、誰もいない記者会室に荷物を置き、タオルで顔やら服やらを拭いてから4階に上がる。静かな高揚を覚える刻だ。

 広さ18畳の特別対局室には、7人の男たちがいた。
 観戦記者、記録係、解説担当の飯塚祐紀七段が盤側に座り、中継記者と専門紙記者が少し離れてカメラを構えている。そして羽生善治四冠と阿久津主税八段が盤を挟み、感想戦は進んでいる。
 小さく澄んだ駒音に、2人の声が重なっていく。中盤の分岐点での難解な変化について、解釈不能な意見が交わされる。10分前までスマートフォンの画面上で記号化されていた盤上や、文字化されていた両対局者の息遣いが今は目の前にあった。
 おそらく何十年も前から変わらず、何十年後も変わらないであろう対局室の風景だった。不要なものなど何一つなかった。不思議と雨音は聞こえず、年季の入った畳の匂いがするだけだった。押し入れ下部の床板には、永遠に鳴ることのないような黒電話が取り残され、佇んでいる。

 5月12日、第27期竜王戦1組決勝は羽生が2年連続優勝を飾り、決勝トーナメント第1シードを手にした。感想戦は1時間ほどで終わり、阿久津が先に退出する。足早に立ち去る横顔を見送りながら、私は2週間ほど前にタクシーの後部座席から見た助手席の彼の後ろ姿を思い出していた。
 
 今春行われた棋士とコンピュータによる団体戦「電王戦FINAL」の最終第5局で阿久津はソフト「AWAKE」に勝ち、棋士を初めての団体戦勝利へと導いた。対コンピュータ戦の歴史において極めて重要で、価値ある一勝に違いなかったが、ソフトの欠陥を突く一手を指したことが不可解な論議を呼んだ。
 様々な人々による様々な意見があり、いずれも尊重されるべきだったとは思うが、少なくとも私には論議自体がナンセンスに思えた。阿久津は勝つための最高の一手を指し、勝った。ただそれだけのことだった。アマチュアが指した一手だったとか、いつ欠陥に気付いたのか、などどうでもいい話だった。棋士の美しさとは第一に、勝つことへの絶対的な追求にある。だから、勝つための最高の選択であることを放棄した上での美しい一手など、あり得ないのである。
 電王戦から2週間ほど経った後、夜遅くに対局を終えた阿久津に声を掛け、胸の内を尋ねた。
 彼はなんとか答えようとしてくれたが、同時に、明らかに答えにくそうにもしていた。たしかに当時は、Aという意見を語ればBという異論が生まれ、Cという考えを述べればDという反発を招いてしまう、というような状況にあった。私が何をどのように書いても、阿久津にとっては結果的に迷惑なものになると悟り、尋ねることを中断した。
 ただ、数人の関係者で一杯飲んでからタクシーで帰途に就く途中、助手席の阿久津はふと独り言のように言った。
 「ずっと、電王戦だって普段の対局と同じなんだって思ってやってました。でも...違った。実際に近づいてくると、やっぱりいつもの対局とは全然違いました。やっぱり、すごく重圧はありました...」
 あのクールなポーカーフェイスの裏側で、阿久津は震えるような思いを抱えながら大勝負に立ち向かっていた。FINALと銘打った団体戦でのタイスコアでの最終局に、棋士の威信を懸けて盤上に臨んだのだ。そのような勝負で、そのような思いを抱きながら、勝つための最高の一手を指した男のことをいったい誰が否定できるというのだろう。


 特別対局室を出て下駄箱から靴を取り出し、いざ帰ろうとする羽生に4階玄関で声を掛けた。竜王というタイトルについて尋ねてみようと思った。
 竜王獲得通算6期の羽生は、残り1期を手中にすると永世竜王の資格を得て、7大タイトルの永世称号を全て制することになる。初代永世竜王の座を巡って渡辺明竜王(当時)と死闘を繰り広げた2008年度から特に将棋界の関心事で在り続けているテーマだ。
 「あ~。えーとまあ、そうですね。昨年は挑決(挑戦者決定3番勝負)まで行って大きなチャンスだと思ったんですけど、結果的には残念な形になってしまったので。でも糸谷(哲郎竜王)さんは強かったですからね。3局目などは感心させられる指し回しで、至らなかったなあと率直に思いました(1勝2敗で敗れる)。なので、今年また新たに臨むというところですね。ただ本戦のメンバーがまだ決まっていないので、これからが佳境かなと思っています」
 永世七冠を、やり残した仕事だと思っているのだろうか。
 「言われることは多いですけど、なかなか7番勝負に出る機会もなかったので、そういう意味では近づいているという感じはなかったですからね。まあでも、ひとつの目標として目指していくというところはもちろんあります」

 短い取材を終え、ありがとうございましたと告げると、羽生は鞄と傘を持って「これから雨が強くなりそうですね」と言った。仕事上の会話を終えた時、何かひとつ言葉を加えようと気遣って、人が振る舞う時のあの感じだ。私が「横断歩道が川みたいになってました」と言うと、再び気遣うように小さく声を上げて笑った。
 そして「それではお疲れ様でした」と言い残し、暗い静寂に包まれた階段を下りていく。雨に濡れたら致命的に目立ってしまいそうなライトグレーのスーツを着て、台風下の街へと向かった。
 靴音だけが響いていた。羽生は一人きりだった。
 お疲れ様でした、と出迎えるマネージャーや秘書はいなかった。黒塗りの高級車を横付けにして後部座席のドアを厳かに開ける運転手はいなかった。本業不明の広告代理店社員も、宴席に誘い込む後援会会長もタニマチもいなかった。
 おそらく、棋士になった15歳の時と何も変わらないまま、誰にも頼らず、誰にも媚びず、誰とも群れず、不必要に拒んだりもせず、一人きりで戦い続けているのだ。将棋を始めた日から今日まで重ねてきた経験や、積んできた努力や、磨いてきた才能を武器に。
 ふと、3年前に聞いた先崎学の言葉を思い出した。
 「20代の始めの頃、羽生君と一緒に酒を飲みましてね。珍しく彼が酔っぱらったんです。帰り道、ちょうど雪が降っていて歩道の路面が凍結しているんで、羽生君は何度も滑って転びそうになるんですよ。で、私は手を貸そうとするんですけど、なぜか絶対に借りようとしない。自分で立って歩こうとするんです。無意識なのかなんなのか分かりませんけど、何かを見たような気がしました」
 後日、羽生に「なぜ手を借りなかったんですか」と尋ねると、彼は「あ~。そうですね~。そんなことが札幌であったような...」と前置きし、続けた。「そうですね。路面が凍結していて転びそうでしたね。でも、自力でなんとかするのが私の基本的な考え方なので。どうしようもなくなったら助けを借りますけど、そうでない限りは自分でなんとかするものだと思っていますから」
 ずっと笑いながら応じてくれていた取材の中、あの時だけ羽生は真顔だった。

 少し経ってから将棋会館を出ると、先程までの豪雨は和らいでいた。
 舞い戻った千駄ヶ谷駅で総武線に乗り込む。服や靴は濡れたままで、車内に湿気は充満し、酔いすぎた乗客からの酒の匂いも漂っていたが、なぜか不快ではなかった。心の中を何かが浮遊するような奇妙な感覚に囚われていた。
 私はごくありふれたシーンに立ち会ったに過ぎなかった。特別な言葉を聞いたわけでもなかった。それでも、今この瞬間、台風下の街にいて、一人きりの帰途に就いているであろう阿久津や羽生の姿を思った。


 5月に出版した拙書『透明の棋士』を読んで下さった先輩の観戦記者から最近「将棋や棋士の何にそんなに惹かれるんですか?」と尋ねられた。
 どんな競技よりも真剣勝負だからですよ、とか、けっこういろんな世界を見てきましたけど、ああいう人たちはなかなかいないもんですよ、などと、ああだこうだと答えてはみたものの、どうにもしっくりこなかった。
 だから、あの台風の夜の話をした。見たこと、聞いたこと、感じたことをそのままに。すると、いつも心の奥に抱えている思いを少しだけ伝えられたような気がした。

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北野新太(きたの・あらた)

1980年、石川県生まれ。学習院大学在学時に雑誌「SWITCH」で編集を学び、2002年に報知新聞社入社。以来、記者として編集局勤務。運動第一部読売巨人軍担当などを経て、文化社会部に在籍。2010年より主催棋戦の女流名人戦を担当。2014年、NHK将棋講座テキスト「第63回NHK杯テレビ将棋トーナメント準々決勝 丸山忠久九段 対 三浦弘行九段『疾駆する馬』」で第26回将棋ペンクラブ大賞観戦記部門大賞受賞。シリーズ「コーヒーと一冊」にて初となる単著『透明の棋士』を著す。

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