いささか私的すぎる取材後記

第50回 人工知能について語る時に羽生の語ること

2016.05.13更新

「人工知能と対戦してみたい思いはありますか?」
 いつもの質問だ。
 私は思った。
 何度も繰り返された問いは、どこにも行き着かずに彷徨うことになるだろう。今までと同じように。
 ところが、壇上の羽生善治は、照れ笑いと苦笑いを足して2で割ったような微笑を浮かべ、言った。
 「えーっとですね。ちょっとタイミング的な問題が少しありまして、番組が放送されるのが5月15日なんですけど、その段階ではちょっとそのことについてはまだ何も言えないということなんです。まあ、あの...近々のうちに何かしらのアナウンスはあると思います。申し訳ありませんが、それ以上はまだ言えないんです」
 解釈に幅はあるが、含みを持たせる言葉であることは間違いなかった。
 羽生と人工知能(あるいはコンピュータ)の勝負という将棋界にとって極めて大きなテーマが動き始めていた。

 5月9日、NHKスペシャル「天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る」の試写会でのことだった。
 終了後、番組ナビゲーターを務めた羽生に質疑応答の時間があり、羽生の発言は最初の質問に対してのものだった。
 関係各所に取材をした上、私も記事にしたが、羽生の談話は予想以上の反響を巻き起こした。弊紙のライバル紙が芸能面(!)のトップ記事で扱うなど多くの媒体が採り上げ、将棋ファンの間に瞬く間に広がった。
 ただ、あの会見で羽生が口にしたのは、もちろんあの言葉だけではない。実は人工知能に対して興味深い発言をいくつもしている。
 最大のキーワードのみを屹立させ、取材対象が本来伝えようとした全体像や細部を闇に葬るというのは、ジャーナリズムが抱える宿痾である。
 自戒を込めて、当連載に書き残しておきたい。特に「羽生と人工知能」というテーマは、将来のためにも記録しておく必要があるように思えるのだ。
 
 ―番組に出演しての感想を。
 「人工知能はホットな分野なので以前から関心を持っていましたので昨年、お話をいただいた時に願ってもないチャンスだと思いました。実際に、本当に、何が今起きているのかというのを最前線の現場で見ることが出来て、自分自身にとって非常に得難い経験になりました。また、様々な情報がある中、現状でこんなところまで進んでいるんだ、ということがたくさんの人に伝われば、番組としての価値、意義がより大きなものになるんじゃないかなと思っています」
 ―「アルファ碁」(今年3月、世界最強囲碁棋士の一人である韓国の李セドル九段を4勝1敗で下した囲碁の人工知能)開発者のデミス・ハサビス氏とチェスと対戦して。
 「番組の中ではチェスでしたが、ハサビスさんは将棋も出来ます。脳科学が専門なので当然と言えば当然のことかもしれないですけど、マインドゲームと呼ばれている様々なゲームに関しても非常に詳しいですし、造詣の深い方だと思いました。本当にマルチな才能を持った方だと思いましたし、話してみると非常にオープンでフレンドリーな方だとも思いました。また機会があれば会って話を聞いてみたいですね」
 ―番組出演前と出演後では、何か考えに変化は生まれましたか?
 「出る前からシンギュラリティ(人間の能力を超えた人工知能を、人間が制御出来なくなる地点)という言葉は聞いていましたが、出た後に思ったのは、可能性はゼロではないですが、まだまだ先の話だということ。技術が進んでいく中で、倫理の面をどうするか、あるいはリアルの世界で活用したり、運用していく時にどういったルール作りをすればいいのか、ということがちょうど始まっている段階に来ているのかなと感じました」
 私も挙手し、尋ねてみた。
 ―かつて答えたアンケートで『棋士がコンピュータに負ける年』をほぼ的中させておられます(羽生は1996年度の将棋年鑑で『棋士がコンピュータに負ける年』との質問で『2015年』と答えている。現役棋士が初めて敗れたのは13年だった)。人工知能の世界で言われる『2045年問題』(シンギュラリティを迎える年と言われている)が来るのは何年頃だと思いますか? あるいは来ないのか」
 「番組内でソフトバンクの孫さんと話したこととも繋がると思うんですね。人間と同じか、人間以上に知性を持った人工知能が生まれてきた時に、どういった社会になるべきなのか、今の段階から考えていくことが大事なのかなというふうに思っています。いつ、そのようになるのかは、不確定要素、例えばハードの進化がどれだけ進むのかどうなのかとか、ゲノムのような倫理的な制約が掛かるのか、いろいろなことがあるので、はっきりこの時期ということは分からないと思うんですけど、技術的なことだけ言えば、(人工知能の進化を)遮るものはけっこう少なくなってきているのかなとも思っています。これから先、何をどうしていくのかは人間の社会が決めるべきことなので、どんな形で起こるか、あるいは全くそのようなことは起こらないのか...こればっかりは私、当てることはできないと思います。すいません(笑)」
 ―人工知能を家族にする、恋人にするという感覚についてはどう思いますか?
 「(ロボット型人工知能の開発者は)人間以上に人間の心が分かるようにならないか、ということをやっているんですね。もちろん、人間だって相手の人がどういうことを考えているのか、思っているのか、というようなことを推測しているんですけど、それとは違うアプローチで、違うメカニズムで、悲しいんじゃないか、怒っているんじゃないかっていうことをより深く見つけていくということなのでしょうか。様々なセンサーであったりデータを駆使していくことによって、家族のような思いやりが生まれるような...。簡単な事ではないと思いますけど、第一歩の段階は進んでいます。人工知能が思いやりを持つことも十分にあるのかなと思います」
 ―自分の家族にしたいと思いますか? 
 「シャオアイス(スマートフォンの中で恋人のように会話を交わせることで、中国で爆発的に普及しているチャット型の人工知能)のように寄り添ってくれるものが出来るのは素晴らしい面もあると思いますが、一方でプライバシーの問題もあるので、個々人の人と人との触れ合いの中でそういうものが生まれる方が自然だと思いますが、社会の中にどんどん浸透していった時、必ずしもそうではないと思う人がたくさん出てきてもおかしくはないんじゃないかとは思いました」
 ―人工知能に対して強い警告を発する人もいる。羽生さんは楽観的か、悲観的か。
 「技術的なことで私が思っているのは、サイバー空間ではほとんど(進化に)制約を受けないので、非常に早い進歩で進んでいくと思うんです。ロボットなど物理法則が働く世界で進んでいくのは大変難しく、ハードルの高いことなのではないかなと思ってます。映画のターミネーターみたいなとんでもなく強力なロボットが出現して、人類を支配してしまうっていうストーリーは、少なくとも今の段階では考えにくいです。物理法則の制約があると、ある程度の大きさにパフォーマンスが限られます。いくら技術が進んできているとはいえ、そんなに簡単なことではないというのが今回、現場を見た私の実感です。楽観はしていませんが、すぐにそのようなこと(人間に対して悪影響を及ぼすこと)になるとは思っていないです」
 ―いつ頃から人工知能に興味を抱いたのでしょう。
 「ずいぶん昔に(レイ・)カーツワイル(人工知能の分野における先駆的研究者)の本を読んだ時に、半信半疑どころか10%も信じられないと思ったんですけど。ここ数年の様々なニュースを見ていくと、とてもそんなところではなくなってきているんだなあと思っていました」
 ―人工知能は天使なのでしょうか、悪魔なのでしょうか。
 「よく分からないというのが正直なところなんですけど、ただアメリカなどでは議論は活発に進んでいます。現実的な影響はこれから出てくるでしょう。どんな技術にも言えることなんでしょうけど、使い方によると思うので、これから先の枠組次第だと思っています」

 以上の言葉を語った4日後の今日、羽生善治名人・王位・王座・棋聖は、挑戦者に佐藤天彦八段を迎えた名人戦第3局を戦っている。
 あまりにも遠い世界を行き来しているように思えて、ただ圧倒される。
 人工知能と対戦するのかどうなのかは、とりあえず置いておくとして。

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北野新太(きたの・あらた)

1980年、石川県生まれ。学習院大学在学時に雑誌「SWITCH」で編集を学び、2002年に報知新聞社入社。以来、記者として編集局勤務。運動第一部読売巨人軍担当などを経て、文化社会部に在籍。2010年より主催棋戦の女流名人戦を担当。2014年、NHK将棋講座テキスト「第63回NHK杯テレビ将棋トーナメント準々決勝 丸山忠久九段 対 三浦弘行九段『疾駆する馬』」で第26回将棋ペンクラブ大賞観戦記部門大賞受賞。シリーズ「コーヒーと一冊」にて初となる単著『透明の棋士』を著す。

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