いささか私的すぎる取材後記

第52回 果

2016.07.08更新

 昭和47年3月。
 明日への不安に支配された東京・三宿の安アパートで、喜和は小さなテレビに映されるワイドショーを眺めていた。
 参院議員になったばかりの野末陳平が得意の姓名判断を披露するコーナーだった。
 野末は、ある出演者の名前を占いながら言った。
 「あなたの名前は漢字が左右対称なので、運勢は~」
 喜和は面白いものだな、と思った。
 名前について考えるのに、左右対称とか非対称とかいう概念が存在するのだと。


 物心ついた頃から、喜和は自分の名前が好きではなかった。
 姓が「伊藤」のため、2文字目の「藤」という画数の多い文字を書いた直後に、再び「喜」なる一字が続くのは均衡を欠いていると思えた。
 名前の2文字の中に「口」が3つも含まれているのも嫌だったし、読み方からして「よしかず」と濁って締めくくられる語感が好きにはなれなかった。
 何より、将棋という勝負の世界で生きるようになってからは「喜び和む」という文字は自分にはそぐわないのではないか、と思うようになった。


 喜和は、将棋の棋士養成機関「奨励会」に在籍する会員だった。
 13歳で6級として入会し、17歳の時には四段(棋士)へのラストステップである三段まで昇段していた。
 特別な何かを持っている者にしか走れない速度だ。
 退会しなくてはならない年齢制限は25歳(現在は原則26歳)だったため、己の夢が叶わないことなど微塵も考えなかった。
 ところが、三段で戦うようになる多くの者と同じように、停滞を始めた。
 勝てなくなった。
 盤上であがいて、もがいても今までのようにはいかなくなった。
 理由は明白だった。
 他人以上に将棋の研究に励み、努力することが一切なかったからだ。
 喜和が何より好きだったのは、詰将棋を創作することだった。
 練習将棋を指す時間があるなら、美しい詰み手順を探していたかった。
 棋士を目指している立場として、常軌を逸していることとは分かっている。
 ただ、止めることは出来なかった。
 喜和にとって、詰将棋は幸福な病だった。
 誰にも邪魔されない、あるいは誰にも邪魔させない聖域だった。

 気が付くと21歳になっていた。
 遥か遠くと思っていたデッドラインが確かに近づいていることを、毎日どこかで感じながら生きるようになった。
 
 
 生まれ育った京都を出て、東京へ行こうと思った。
 何かを変えなくてはならない。
 前の師匠に別れを告げ、新しい師匠を求めるという禁じ手まで放ち、半年間の休会処分も受けた。
 でも、夢を叶えたい。
 夢を叶えるための努力なら...いや、人並み以上の努力は詰将棋を作ることに捧げるけれども、夢は叶えたいという自己矛盾を抱えながら、日々を過ごしていた。
 ワイドショーを見たのは、そんな頃だった。
 

 野末は「左右対称の漢字による名前」を、いくつか紹介し始めた。
 喜和が最初に惹かれたのは「央」だった。
 美しい文字だと思ったが、読み方の例として示されたのは「なかば」だった。道半ば。縁起でもない。
 さらにいくつかの例が並べられる中、ある一文字を見て、体の中を何かが突き抜けるような思いになった。
 「果」
 喜和は瞬時に、これだと思った。
 「俺は夢を果たすことができるのだろうか、あるいは、夢に向かう道の途中で、果ててしまうのだろうか」
 「果」の名に賭けてみようと思った。
 自分の名前を気に入ってはいなかったが、さすがに考えたことはなかった改名という手段に討って出ようと初めて思った。

 翌日、日本将棋連盟に出向き「今日から僕は伊藤果です。果実の果と書いて、はたす、と読みます」と言った。
 まだ一人前でもない立場で師匠を変えるという大胆すぎる行動に出た男は、再び酔狂なことを言い始めた。
 しかし、どのような経緯であれ、誰にも奪えない尊さが名前というものにある限り、本人の意思を尊重しなくてはならない。
 直後、三段リーグの表に見慣れない名前が躍るようになる。

 
 伊藤果四段が誕生したのは3年後のことだった。
 24歳の伊藤は、道の途中で果てることなく、夢を果たしたのだ。


 平成28年5月18日。
 東京・六本木のレストランで多くの棋士や弟子たちに囲まれ、伊藤果は笑っていた。
 パーティーは、5年前に現役を引退した伊藤の八段昇段と詰将棋創作50周年記念作品集の出版を祝うものだった。
 箱入り、布張りという美しい装丁の詰将棋作品集の表紙には、弟子の上田初美による美しい揮毫によって「果し状」と刻まれている。熟慮の末、一般的な「果たし状」という表記にしなかったのは、今も変わらぬ美意識の産物だ。

 果し状とは本来、何者かが何者かに決闘を求める書状である。
 ただ、パーティーの片隅にいた私は全く正反対のことを思っていた。
 「果し状」とは、棋士になる夢を果たした後、最も愛してやまない詰将棋を生涯を通じて創作し続けるという夢を現在進行形で果たしている著者本人に贈られた、美しい献辞なのだと。

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北野新太(きたの・あらた)

1980年、石川県生まれ。学習院大学在学時に雑誌「SWITCH」で編集を学び、2002年に報知新聞社入社。以来、記者として編集局勤務。運動第一部読売巨人軍担当などを経て、文化社会部に在籍。2010年より主催棋戦の女流名人戦を担当。2014年、NHK将棋講座テキスト「第63回NHK杯テレビ将棋トーナメント準々決勝 丸山忠久九段 対 三浦弘行九段『疾駆する馬』」で第26回将棋ペンクラブ大賞観戦記部門大賞受賞。シリーズ「コーヒーと一冊」にて初となる単著『透明の棋士』を著す。

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