いささか私的すぎる取材後記

第53回 HANG TIME

2016.08.12更新


 

 「追いつめられているのは羽生さんの方です」
 8月1日の夕方、新潟市内にある老舗旅館「高島屋」に設えられた第87期棋聖戦五番勝負最終局の控室で、立会人の屋敷伸之九段はモニターで対局室の映像を見つめながら言った。
 ちょうどインターネット生放送の視聴者アンケートで「どちらが優勢だと思うか?」との質問が画面上に映し出され、71%が羽生善治棋聖を支持し、挑戦者の永瀬拓矢六段を推す割合は8%にとどまっていることが表示されていた時だった。
 ところが、追いつめられているのは羽生なのだと屋敷は語っている。

 屋敷の横顔に視線を送りながら、私が想っていたのは26年前のことだった。1990年、やはり高島屋で行われた棋聖戦最終局で中原誠棋聖からタイトルを奪ったのが屋敷だった。18歳6か月のタイトル獲得は現在も塗り替えられていない史上最年少記録である。
 当時の記憶について尋ねてみたいと思ったが、四半世紀前の思い出を語ってもらうには局面が佳境に入りすぎていたし、控室は静かすぎた。モニターに映し出される羽生と永瀬の姿を、ただ凝視するより他になかった。


 読み終えたばかりの本を、新潟へ向かう新幹線の中でもう一度広げた。
 ボブ・グリーンの「マイケル・ジョーダン物語」集英社文庫版。市井の人々の営みや人生の機微を優しい眼差しで見つめるアメリカの人気コラムニストが90年代最高のスーパースターを追ったノンフィクションである。
 私にとっては、中学2年のバスケットボール部員だった1993年の秋、発売日に書店へと走り、夢中になって読み耽った思い出深い本でもある。600ページ超のゴツい単行本を久しぶりに捲ってみようかと思い立って書棚を捜索したが、どうにもこうにも見当たらなかったので、やむなくamazonで購入した。絶版だったが、付加価値など皆無で価格は1円だった。

 シカゴを拠点とする書き手でありながら、世界一の人気を誇るバスケットボールチームにもプレイヤーにも興味を抱かずにいたグリーンは1990年のある日、偶然に導かれてダウンタウンの外れにあるブルズのホームコート「シカゴスタジアム」を初めて訪れる。そしてジョーダンと会話を交わす機会を得て、感情を揺さぶられる体験をする。
 翌日から本拠地で開催される全ての試合に足を運ぶようになるグリーンは、眩しい光と高揚に満ちた時を過ごすようになる。1929年に建設され、すっかり老朽化したシカゴスタジアムの中を歩き、見聞きし、感じたこと、記者席で試合を見ながら考えたこと、古い建物の天井や壁に響き渡る歓声、拍手、喧騒、交錯する感情、人生に特別な事情を抱えたファンの思い、課せられた仕事を真っすぐに果たそうとする職員、同僚であり友人でもある記者たち、ロッカールームで顔を合わせ、言葉を交わすようになる12人のブルズたちの個性、そして何よりマイケル・ジョーダンという史上最高のアスリートの魅力をありのままに伝えていく。彼の視線はスポーツライターのものではなく、ジャーナリストのものでもなく、心に夢を抱いた少年と似ている。どこか憧れの気配があるのだ。
 2年の月日を追う中で、グリーンはジョーダンの優しさと美しさ、未熟や孤独を完璧に描き切っていた。毎日のようにロッカールームで交わす会話は時折、実に他愛もないものにもなるのだが、スポーツジャーナリズムの取材に慣れたスーパースターは逆に新鮮さを覚え、素直に語り始める。大切な人のためにクリスマスプレゼントを買う時、どうやって人の目から離れてショッピングをするのか―。ジョーダンという一個人の輪郭が少しずつ形になっていく。
 物語の最後、ジョーダンは孤独を救ってくれる存在としてグリーンを求めるようにさえなる。逆にグリーンは、信頼を構築すればするほど伏せておこうと思ってしまいがちな取材対象者の心の内奥の声を真正面から書く。書き手の使命として、世界に伝えるのである。

 熱狂的に面白い本なのだが、あえて不満を挙げるとするならば「マイケル・ジョーダン物語」なる邦題である。伝記のタイトルとして最も凡庸であるし、第一に本書は伝記ですらない。シカゴ・ブルズの1990-91、1991-92の2シーズンの記録である。売り上げ増を意図したものなのか何なのか不明だが、猛省を促したくなる意訳だ。
 原題は「HANG TIME」。滞空時間、という意味である。「エアー」と呼ばれたジョーダンの代名詞でもあるが、筆者がタイトルに込めたのは取材対象の跳躍力への羨望ではないだろう。地上を離れて滞空しているのは、むしろ書き手なのだ。グリーンはジョーダンと共に過ごす時間、シカゴスタジアムという古い劇場で過ごす夜に、かつて体験したことのないような心の震えを感じていた。足を一歩踏み入れた瞬間、日常を離れて空高く舞い上がっていけるような、かけがえのない時間だった。
 一方で、グリーンは知っていた。滞空する幸福な時間は永続的なものではなく、生涯においてほんのわずかな一瞬の煌めきをもたらす奇跡に過ぎないということを。渦中にある時から深く理解していた。
 
 中高生の頃、ご多分に漏れず、私はジョーダンに憧れていた。周りの部員と好きなプレイヤーについて語る時は、無意識に他の選手を挙げたりしていたが、今にして思えば、絶対的に好きだったのはジョーダンだった。23番は強さと美しさの象徴だった。90年代にバスケットボールをプレーしている人間が「ジョーダンが好きだ」と宣言することは、1964年のリヴァプールで「誰よりもビートルズが好きなのだ」と広言するくらいの滑稽さを秘めていたが、心の底ではみんな思っていた。ジョーダンが最高なんだと。

 当時から、誰かに会って、話を聞いて、何かを書くという仕事に憧れていた私にとって、夢想する取材対象とは、馬鹿みたいな話だが、ジョーダンだった。シカゴスタジアムの狂騒の熱を記者席で一身に浴びながら、第4ピリオドの土壇場でフェイドアウェイジャンプショットを沈めたジョーダンに、試合後も歓声が鳴り響き続けるロッカールームの中で何かを尋ねてみたかった。何かを書いて、誰かに伝えることが出来たなら、どんなに素晴らしいだろうと思った。

 20年以上が経過した今、もう叶うことのない夢になってしまった。老朽化が進んだシカゴスタジアムは95年に取り壊され、真新しいホームコートに姿を変えたし、ジョーダンは6度目の優勝を飾った98年にブルズを去り、03年に現役を引退した。グリーンもまた、人生の辛酸を舐める。
 十代の頃に抱いた願望は、もう永遠に叶わない。ブルズのユニフォームを着たジョーダンに、何かを尋ねることは出来ない。当たり前で、馬鹿みたいな話だけど、出来ないのだ。絶対に。永久に。

 2016年、ちょっと下腹部の目立つ「神」がチャリティーイベントで子供たちに囲まれて往年のシュート力を披露している映像などを見ることは、微笑ましい充足を与えてはくれるが、本当に見たいのは獣の目をしたジョーダンなのだ。1点ビハインド、残り15秒のシチュエーションでドリブルを始め、アイソレーションに臨む23番なのだ。


 棋聖戦の控室。副立会人の三浦弘行九段がインターネット生放送の電話応答に応じ「こちら、大盤解説会場はすごい盛況で、すごい熱気です」と生真面目に受け答えしていた。デビューして20年以上経っている超一流棋士が昨日デビューした新四段のような様子で受話器を握りしめているのが、なんだかおかしかった。屋敷が最年少タイトルホルダーになった6年後の1996年、七冠を独占していた羽生から棋聖位を奪ったのは三浦である。対局場は同じ高島屋だった。
 「最近なかなかゆっくりお話しする機会がなくて申し訳ありません」といつもの調子で実直に語る男に、廊下に出たタイミングを見計らって尋ねてみた。「当時のことは、どんな記憶として刻まれているんですか?」
 「そうですね」と2度前置きした三浦は「でも、現役でいる限りは昔のことはあんまり考えないようにしています。いつも、これからのことを考えていたいと思っていますから」と言った。三浦は今も激しい戦いの渦中にいるプレイヤーで、遠い日の栄光に頬を緩ませて過ごすには早すぎる場所にいた。しかし、つまらない答えを言ってしまったかな、と配慮でもしてくれたかのように、三浦は続けた。
 「そうですね。対局前夜、近くで花火があるということでしたので、連れていただいて見に行った記憶があります。夜空に花火が浮かび上がって...」
 闇に浮かび上がる花火を前に、決戦前夜の挑戦者は何を思ったのだろう。


 羽生の指先は二度、激しく震えた。
 屋敷が語った「追いつめられた局面」から1時間ばかりの間に、どのような経緯を辿って戦況を一変させたのか、私には何ひとつ分からなかった。
 永瀬は額に貼った冷却シートを剥がして投了を告げた。

 羽生にとっては負けられない勝負だったはずだ。
 五番勝負の開幕直前に佐藤天彦に名人位を奪われ、棋士人生で初めての6連敗も経験した。23歳の永瀬には、過去3度の対戦で一度も勝っていなかった。連続失冠すれば、羽生は衰えたのか、という容赦ない声はさらに強くなっていただろう。
 ただ、勝ったのは羽生だった。
 私にも分かることはある。いくつかの敗北が連なったくらいで「衰えた」と断じられるほど、羽生が築いてきた足跡は軽いものではないということ。

 感想戦が終わった後の対局室で「振るっている状態ではないので、ひとつ結果が出せたのはよかったなあという気持ちはいつも以上にあります」と語った羽生に、私は「重圧はなかったのでしょうか」と問い掛けた。
 羽生は言った。
 「最近は二十代で強い人がたくさんいるので大変さを実感することはあります。技術的なものが高く、勢いもある。受け止めて対局するのは毎回毎回かなりハードなことだなあと思います」

 対局室はとても静かだった。
 遠くで鳴く蝉の声しか聞こえなかった。
 1991年のシカゴスタジアムで聞こえたであろう18787人の熱狂も轟音も咆哮も、スターティングラインアップの紹介もハーフタイムショーの踊りも、眩しすぎる光も、何もなかった。

 ただ、私の目の前には羽生善治がいた。
 ジョーダンのルーキーイヤーにデビューし、31年後の今も輝きを放っている棋士がいた。激しく扇子をあおぎ、額に汗を光らせ、盤上を見つめる生身の男がいた。彼はまだ高く滞空していた。いつ地上に降りてくるかなんて、誰にも分からない。
 将棋盤を挟んだ向こう側には、必ず大舞台に戻ってくるであろう永瀬拓矢がいた。
 渡辺明竜王への挑戦権を目指し、大一番に臨むことになる三浦弘行がいた。
 忍者のステップを思わせる二枚銀戦法で今もファンを沸かせている屋敷伸之がいた。
 私は思っていた。
 彼らに何かを問い掛ければ、きっと何かを答えてくれるだろう。
 素晴らしいことだと思った。
 何が書けるかは分からないし、私に資格があるのかどうかも分からなかったが、彼らのことを強烈に、誰かに伝えたかった。
 HANG TIMEは、目の前にあった。

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北野新太(きたの・あらた)

1980年、石川県生まれ。学習院大学在学時に雑誌「SWITCH」で編集を学び、2002年に報知新聞社入社。以来、記者として編集局勤務。運動第一部読売巨人軍担当などを経て、文化社会部に在籍。2010年より主催棋戦の女流名人戦を担当。2014年、NHK将棋講座テキスト「第63回NHK杯テレビ将棋トーナメント準々決勝 丸山忠久九段 対 三浦弘行九段『疾駆する馬』」で第26回将棋ペンクラブ大賞観戦記部門大賞受賞。シリーズ「コーヒーと一冊」にて初となる単著『透明の棋士』を著す。

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