いささか私的すぎる取材後記

第54回 生まれながらの

2016.09.09更新

 午前中の対局に敗れたという一報が記者室に舞い込んでも、彼が昇段を逸することはないだろうな、という思いは変わらなかった。根拠はない。ただ、世の中にはそのような種類の人がいるのだ。

 9月3日、将棋の棋士養成機関「三段リーグ」最終日。29人の三段がわずか2枠の四段(棋士)昇段を目指し、半年間にわたって続けた戦いに決着が着く一日だった。
 普段は見知った人しかいない将棋会館が見知らぬ人々で埋め尽くされていた。今期からリーグに参加した藤井聡太三段が即昇段するかどうか、という注目は、もはや将棋界の範疇を超えていた。理由は単純で、彼がまだ14歳になったばかりの少年だからだ。
 
 1954年、加藤一二三・現九段が史上最年少棋士となり「神武以来の天才」と言われたのは14歳7か月だった。藤井が昇段を果たせば、14歳2か月。62年ぶりに最年少記録を更新することになる。年少記録で続くのは谷川浩司九段(14歳8か月)、羽生善治三冠(15歳2か月)、渡辺明竜王(15歳11か月)。いずれも後に時代の頂点を極める棋士ばかりだ。将棋の神は、晩成ではなく早熟に寄り添うのである。ちょっと偏りすぎじゃないですか、と愚痴をこぼしたくなるくらいに。

 「例会」と称される奨励会の対局日は、午前と午後に一局ずつ指される。前節まで12勝4敗で首位を走っていた藤井だが、一局目を落としたことで状況は極めて厳しくなったはずだった。同じ勝ち星で並ぶライバルが多く、今期初参加の藤井は、前期成績が反映される「順位」が低く、同星では昇段できないからだ。
 ところが、ライバルたちは勝負の一局を軒並み落とす。自力突破が復活した藤井は最終局に勝ち、昇段した。間違いなく奇跡的な、劇的な幕切れだったが、不思議と現場にはドラマティカルな空気は生まれず、緩やかに吹く風のように、いつの間にか「藤井三段の勝ちです。研修室で会見やります」という流れに移行した。はい、テレビカメラのみなさん、設営してくださーい...、あー、スチールとカブるから記者のみなさんの机は下げましょうか...はい、昇段を決めた藤井聡太新四段です、ご質問よろしくお願いします、と。

 会見当初、藤井の声は全然聞こえなかった。
緊張なのか、声が小さかったことに加え、手に持ったマイクと口元が50センチくらい離れていたからだ。ふと、今までマイクを握った経験がなかったのかもしれない、と思った。生徒会役員か、周囲にカラオケ好きな先輩でもいなければ、14歳2か月とは、そのような年齢なのかもしれない。

 昇段できたことは素直に嬉しいです。
 勝った瞬間は実感がなかったですけど、だんだん実感が沸いてきています。
 自分の将棋を指すことだけを考えていました。
 今後の目標はこれから考えたいです。
 支えてくれた人に一刻も早く報告したいです。
 過去の中学生棋士の先生方は偉大な方ばかりなので自分も並べるように頑張りたいです。
 今日は午前の対局で敗れてしまいましたが、最後は自力だったので、気持ちを切り替えて自分の実力を出し切れたらと思いました。
 終盤が好きなので、終盤を見ていただきたいです。
 将棋を始めたころから詰将棋を解いてきたので終盤が強くなったんだと思います。
 最近は将棋しかやっていません。
 まだまだ実力が足りないので、実力をつけてタイトル狙える位置に来れば。
 毎日してきたことなので、将棋は自分の一部みたいな感じです。
 名人はいちばん格式のあるタイトルなので、絶対に取りたいと思います。
 谷川先生の「光速の寄せ」のような寄せを自分も出来たらと思います。
 羽生先生は僕が生まれるずっと前から棋士であられてすごいと思いますし、対戦したい思いは強いです。

 会見を見つめていた父の正史さんによると、普段の彼は、ただただ将棋を指しているらしい。他に熱中するものはなく、テレビも見ず、愛知県民だけどドラゴンズにもグランパスにも興味を示さず、ただ将棋盤に向かっている。

 「将棋は自分の一部みたいな感じです」
 5年後、19歳の彼はどこにいるのだろう。
 期待という言葉は軽すぎる。
 私が抱いているのは、畏怖である。

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北野新太(きたの・あらた)

1980年、石川県生まれ。学習院大学在学時に雑誌「SWITCH」で編集を学び、2002年に報知新聞社入社。以来、記者として編集局勤務。運動第一部読売巨人軍担当などを経て、文化社会部に在籍。2010年より主催棋戦の女流名人戦を担当。2014年、NHK将棋講座テキスト「第63回NHK杯テレビ将棋トーナメント準々決勝 丸山忠久九段 対 三浦弘行九段『疾駆する馬』」で第26回将棋ペンクラブ大賞観戦記部門大賞受賞。シリーズ「コーヒーと一冊」にて初となる単著『透明の棋士』を著す。

透明の棋士

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