いささか私的すぎる取材後記

第55回 敗れざる者

2016.10.10更新

 50秒...、1、2、3、4...。
 対局室から記録係の秒読みの声が聞こえてくる。
 二人の一分将棋は続いている。
 将棋会館4階エレベーターホール。夜の静謐の底には、まだ勝負の熱が蠢いている。
 窓際のベンチに腰掛け、壁に架けられたデジタル時計を眺め続けていると、ついに液晶の表示は「2:00」を示した。
 夜更かしをする人さえ眠りに就くような時間に、棋士と棋士は殺すか殺されるかの勝負を続けるのである。信じる道で光り輝くため、生き残るため、報酬を得るため、誰かを守るため、己の誇りのために。
 10月6日、正確には10月6日朝から7日未明まで続いた順位戦B級1組・木村一基八段対丸山忠久九段戦は死闘となった。午前10時に始まった一局は、午後3時46分に千日手となり、先後を替えた指し直し局は、日付の境界を越えてなお終わりの見えない長い将棋になった。
 他の対局は全て終わっている。特別対局室の順位戦A級・森内俊之九段対行方尚史八段戦も、もう感想戦を終えている。木村と丸山だけが盤上という森に分け入る旅を続けていた。


 沈黙の夜から9日が過ぎていた。
 木村が羽生善治王位に挑戦した第57期王位戦7番勝負は、勝ち星を先行しては奪い返されるシーソーゲームの展開になる。木村は3勝2敗と先に王手を掛けながら第6局を落とし、最終局に命運を託した。
 木村は6度目のタイトル戦で初めての戴冠を目指した。43歳3か月での初タイトルは、有吉道夫九段が1972年度に棋聖位に就いた際の37歳6か月を超える史上最年長記録になる。将棋の神が晩成ではなく早熟に寄り添うのは真実である。現役期間の長い競技で、70年以上も実力制の棋戦が続いてきたにもかかわらず、37歳が年長記録になってしまうのだから。
 だからこそ多くの人が木村の夢を想った。そして、過去7度も「あと一局」を逃してきたことが願いを強くしたのかもしれない。
 戦型は横歩取り。後手番の挑戦者は端を攻め立て、角頭を急襲する激しい順で決着を付けようとしたが、常に正確に応じる羽生に形勢を握られると二度と取り戻すことは出来なかった。
 羽生は強かった。あの「最終局の羽生」だった。
 木村は天井を見上げ、目を瞑り、投了を告げた。
 
 終局直後のこと。
 主催社の担当者から質問を受けた木村は、いつもの淡々とした口調で応じていたが「残念ながら敗退となりましたが、シリーズを振り返って...」と問われると、声を失った。
 一瞬の間を置いて息を吸い込み、吐いた呼吸音には震えるものが含まれた。
 再び一瞬の躊躇の後、右の手のひらを質問者に向け、小さく左右に2度、振った。何か言葉を発していれば、こぼれ落ちるものを止められないと瞬時に思ったように読み取れる仕草だった。

 短いインタビューの後、両対局者は大盤解説会場に向かう。タイトル戦では別室の大広間に設けられた会場を終局後に訪れ、ファンに挨拶をするのが慣習になっている。一局面を簡単に振り返り、一言述べてから再び対局室に戻るというのが通例だが、木村は「せっかくですから」と序中盤から具体的な解説を始めた。
 「このあたりで観念しちゃいましたね」
 「ダメかなー、と思ったらホントにダメで」
 途中、マイクの調子が悪くなり、音声が途切れ途切れになった。すると木村は交換を求めるでもなく、肉声を張り上げて解説を続けた。小さな頃から追い求め続けて来た場所に、またしても到達することの出来なかった一局のことを、彼は大声で語ろうとしたのである。自分の将棋を見つめてくれた200もの人々の耳に届けようとして。

 午前2時19分。
 不意に秒読みの声が途絶えた。
 2局合計で16時間を超え、239手に及ぶ激闘を制したのは木村だった。
 
 感想戦が始まる。
 「電車で帰ろうと思っていたんですけどねえ」
 おどけた調子で語りながら駒を動かす木村に呼応するように、丸山も例のニコニコとした顔で、少年の無垢を思わせる笑い声を何度も上げていた。
 眺めながら思わず口元が緩んでしまう感想戦は初めてだった。
 同じ千葉県出身で同門の兄弟弟子でもある2人の間には、共に戦ってきた長い歳月があった。言葉や表情には、互いの力を認め合う敬意が満ちていた。とても静かで、美しい時間だった。
 

 終局からちょうど1時間、午前3時19分に感想戦は終わった。
 真夜中の千駄ヶ谷を共に歩きながら、木村に話を聞いた。

 ―再出発の一局になった
 「あれから、どう過ごしていいか分かりませんでした。心が弱ったと感じて、力の抜けた状態になりました。でも、今日の対局があったので、向かうしかなかった。現実に戻らなきゃいけなかったんです。しばらく対局がなければ、もうちょっとやけになっていたかもしれません。だから...今日は良かったな、と思います」

 ―王位戦最終局の終局後のこと...
 「どうしていいか分からなかったんです。思っていたことをなかなか口に出すことが出来ませんでした。出していいのかも分からなかった。6局、7局と崩れてみっともないことになっちゃいましたし。後半崩れる私の弱さが出たのだと思います。羽生さんは強い。心も強い、ということをあらためて感じました。もちろん、やるからには勝とうと思ってやりますし、やっているうちは勝ってもおかしくはないなとずっと思って戦っていました。だから、7局目を負けた時はどう思いを表現したらいいか分かりませんでした。...応援してくれた人たちのことを思い出しちゃいましてね...。言葉にならなかったです。各地の前夜祭にまで来てくれたり、ずーっと泊まり掛けで来てくれた人もいたし...。でも、そんな時に思い出すことってことは心が弱いっていうことなんでしょうけどね。こればっかりはしょうがないです...」
 
 不躾を承知で聞いた。
 棋士であることは苦しいことでしょうか、それともやはり素晴らしいことでしょうかと。
 「両方言えるんでしょうけど、正直言って、最近は苦しい度合の方が増えましたね。いつも、いつ辞めたっていいって思えるところまで精一杯やっているつもりですけど、整理はまだ付きません。きっと、これからもちゃんと努力しなくちゃいけないってことなんでしょうね」
 
 自分で口に出した「棋士」という言葉が頭の中を巡った。
 今、隣にいて、街灯が反射する舗道を歩いている男は棋士だった。
 勝負という絶対的な二元論の中でしか生きることを許されない男だった。
 激しくて、険しくて、明日の約束されない世界で闘いながら、夢を想う男だった。
 百折不撓。
 何度敗れても、何度心を折られても、立ち上がり、闘い続けるということ。
 木村が最も大切にしている言葉である。
 再び、愚かな問い掛けと分かっていても問うた。
 あの言葉について今、何を思うのかと。 
 「一生の課題でしょうね。いつも折れそうにはなりますけど、闘っていくしかないですからね」
 午前3時35分の木村は、いつもの照れ笑いを浮かべながら言った。

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北野新太(きたの・あらた)

1980年、石川県生まれ。学習院大学在学時に雑誌「SWITCH」で編集を学び、2002年に報知新聞社入社。以来、記者として編集局勤務。運動第一部読売巨人軍担当などを経て、文化社会部に在籍。2010年より主催棋戦の女流名人戦を担当。2014年、NHK将棋講座テキスト「第63回NHK杯テレビ将棋トーナメント準々決勝 丸山忠久九段 対 三浦弘行九段『疾駆する馬』」で第26回将棋ペンクラブ大賞観戦記部門大賞受賞。シリーズ「コーヒーと一冊」にて初となる単著『透明の棋士』を著す。

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