石井光太&寺子屋ミシマ社

2009年12月12日にスタートした、『石井光太&寺子屋ミシマ社プロジェクト』

この連載は、『戦争文化』をテーマとするノンフィクションが、今までなかった試みによってできあがっていくまでのノンフィクション・レポートです。前回に続き、参加者の方の声をお届けします。

第3回 参加者が見た「プロの根性」

2010.02.02更新

●G.T.さん(男性 会社員)のレポート、「作家・石井光太さんに会う」

ミシマ社の寺子屋を通じて、石井さんと接する機会が持てたことが、このイベントの一番の収穫であった。

石井さんは実に頭の回転が速く、豪快な語り口調をする印象であった。
「読者は本に正確性を求めていない。面白さを求めている。だから遊び心のない奴に面白い発想は出せない。ある意味、いい加減なやつが新しいものを生み出すんだ。
いやあ、今日編集者と軍服の話になってね、これを題材に何か書けないかと話したんだけど、軍服パンツとかないのかね、クイッと角度のついたね」

と言ったかと思うと、次の瞬間には、がはははは、と豪快に笑い出すのである。

まったく持っていい加減な発想なのだけど、ほとんどの本は、編集者と食事をしながら、このように突飛な発想を出し合い、盛り上がった話が正式な企画として決まるのだという。
決して硬い会議で企画が決まる訳ではなく、その時にいかに編集者と盛り上がり、勢いで、その後に原稿が書けるかどうかが大事なのだと言う。
編集者があらかじめ用意した題材などは、こういった食事の場では結局は、使われないことがほとんどなのだそうだ。

さて、作家にとって書く、ということは楽しい行為なのだろうか。

石井さんは、この問いに対し、「楽しさはまったくのゼロです」と言い切られた。 真剣に書くから苦痛を伴い、何十回も修正するし、まあ、それが後で思えば楽しいと言えなくもないかも知れないが、やはり辛い作業なのだそうだ。
それならば、なぜ書くのか。
それは、書くことが自分にとってのアイディンティティーだからだという。

もうひとつ、気になっていた問いを。
それは、僕なんかは旅行をしながら写真を撮って、かなり忙しく動き回ることもあり、それはそれで楽しかったりするのだが、石井さんの場合は、長期海外取材は楽しいものなのだろうか。

答えは「まったく楽しくない」のだそうだ。 取材はひとりで執筆目的でいくので、何も楽しくはない。 もし旅行で海外に行き楽しむなら、ひとりで行かず、女性と楽しく行きたいのだという。

うーん、予想を裏切られた気分である。僕のなかでは彼の著作を読んで、現地人との交流をある意味楽しんでいるように感じられたのだが。 作品作り、産みの苦しみというのは、僕の想像のつかない所にありそうだ。

石井さんの話でもうひとつ印象的だったのは、原稿は編集者任せずにせず、かなりの時間をかけて、自分で何十回も推敲するということであった。
石井さんからすると、いい加減な手抜きの文章の本というものが世には沢山出ていて、それに腹が立ち、自分は手抜きのものは絶対に出さない、という強い想いがあるのだという。
だから原稿には時間をかけるし、著名作家がよくやるように、しゃべったことを書いて貰ったり、取材部隊が仕入れた情報にちょっと手を加えて自分の作品にすることはないのだという。


仕事に対する妥協のない姿勢、これは作家に留まらず、僕を含めたサラリーマンにはとても参考になることであった。
作家は一度でもいい加減なもの、つまらないものを書いてしまえば、次回からは依頼は来ない。一回一回が契約のなかで動く勝負なのだ。それに比べれば、サラリーマンは継続的な時間の流れのなかで仕事をしている。そんな環境では真のプロフェッショナルは育ちにくいのかもしれない。

なぜなら、人間はさぼりたい生き物であり、周りの環境が緩ければ緩い程、それにあわせてさぼる生き物だからである。
今回、石井さんとお話し、組織に所属しない自由闊達な作家の豪快性と共に、サラリーマンも見習うべきプロの根性を垣間見ることができたのである。


●M.R.さんのレポート(男性 学生)


「あぁ、半端な気持ちで参加しなければ良かった」が半分、何もできなくて悔しい気持ちが半分、「自分どんだけできると思ってたんだよ」が半分で、気持ちが半分以上余ってしまうほど、僕は自分の不甲斐なさを帰宅中も嘆き続けた。

自由が丘駅に着き僕は「ミシマ社はどこじゃい!」と尋ねた僕は、ありがとうと伝えて交番を発った。

しばらく歩いたのちに見つけたミシマ社は、一目見たのに、二度見を挟んでから目をこすってみても、古民家風建物だった。いや、古民家だった。

「なるほど、ここがミシマ社か。よしゃ、革命でも起こしちゃるか」くらい大きな気持ちで足を踏み入れた僕は、すでに土佐の革命児であり、龍馬が見つめるその先はミシマ社初のミリオンセラーであった。

(中略)

それぞれのグループから次々と発表される質の高い企画たち。質の高さなんてほんとはわからない僕は全部本になるんじゃないかと思ってしまう。しかし、それは違うらしい。ミシマ社がつくりたい本というのは『10年後も変わらず手にとって買ってもらい読まれる本』である。ミシマ社の理念ともいえるこのことを全体でもう一度確認したのち、多数決(ミシマ社全社員含む)をとった。投票前に行われた石井氏による演説の強大な影響力もあり、寺子屋ミシマ社×著者という新しい形でつくられる記念すべき最初の本は『戦争文化』に決まった。

続いて行われたのは本の構成(章立て)を考える作業。先のグループメンバーにさよならを告げ、新たなメンバーと「戦争文化」から考えられるものをできる限りたくさん挙げていく。ほか2名の活躍を祈りながら、彼らがそれぞれ2、3つ挙げると僕が0.5つ言う。正確に、そして正直に約分すると僕の仕事量が彼らの5分の1だから本当に情けない。「時間よ進め!」と切に願うときほど、時は残酷な過ぎ方をする・・・。

3時間が経過したころ(約7分)各グループで挙がったものを発表していった。どのグループからもたくさん挙がり、これまで本づくりに関わってきた三島さんや石井さんの経験から、本の構成要素(章)として核になっていくだろうものがピックアップされ、本のとても大まかな構成が決まっていった。

さて、ついに、とうとう、いや、やっとやってきました最終章「仕掛け」の時間。
ミシマ社では、注文してもらった本に対して最後まで責任を持ち、販売効果を高めるためにも「仕掛け」という作業を行う。ほかの出版社にもみられるが、ミシマ社ではポップなど手作業でそれらをつくるのである。僕が書店員だったとしたら、そこまでしてくれる出版社さんの本は是非置きたいところだ。
軽く見本を見せてもらい、早速実際につくることとなった。
グループを組み、座ったところで「そんなねぇ、5分でつくれって言われてもねぇ」と言ってるそばからふたりはペンを走らせハサミを動かしノリづけを始めている。

寺子屋も終盤となったこのころ、やっと思った。
ほかの寺子屋メンバーはみな、ミシマ社の人たちが何か説明をしているときにはすでに考え始めているんじゃないか!?
ということを考えている間に我がグループの「お好み焼きポップ」は完成していた。

本日の寺子屋の最後に、5分でつくる最上級のポップたちを拝見させてもらい、「みんなすごい。今日はとってもよくできました!」と心で思う僕のスタンスはほぼ「参加者外」のものになっていた。

その後行われた懇親会、自信を持ってほかの参加者と目をあわせられない僕は、いたたまれなくなってしまい早々に切り上げてしまった。
そして、その足で僕を全肯定してくれるおばあちゃんのもとに向かいごはんをたくさん食べさせてもらった。

一種の試練として、僕が成長するきっかけとなったかもしれない寺子屋を通してとりあえず気づいたこと。僕はそうとうな人見知り。

ひきつづき、参加者を募集します!

石井光太&寺子屋ミシマ社、『戦争文化』プロジェクトでは、参加者を随時募集しています。いまからでもこのプロジェクトに参加してみたい、「本気度の高い方」、ぜひ編集部までご連絡ください。
ご希望の方は、
hatena@mishimasha.com

まで「戦争文化プロジェクト参加希望」の件名で、

・お名前と、簡単なプロフィール
・ご連絡先
・参加にあたっての思い(簡単でけっこうです)

をお送りください。おってご返信いたします。
ご参加、お待ちしております!

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石井光太(いしい・こうた)

プロジェクト主催者

1977年生まれ。東京都出身。日本大学芸術学部文藝学科卒業。
海外ルポを初めとして、国内外の文化、歴史、医療についての文章を多数執筆。
また、本や映画などについてのコラムや批評も手掛ける。執筆以外では、TVドキュメンタリの製作、写真活動、漫画やラジオ番組のシナリオなども手掛けている。

主な作品に、
『神の棄てた裸体−イスラームの夜を歩く』(新潮社)
『物乞う仏陀』(文藝春秋)
『絶対貧困−世界最貧民の目線』(光文社)
その他、共著に『ベストエッセー2007 老いたるいたち』(光村図書)などがある。
ペンネームでの著書は多数。

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