石井光太&寺子屋ミシマ社

2009年12月12日に始動した「石井光太&寺子屋ミシマ社プロジェクト」。
この連載は『戦争文化』をテーマとするノンフィクションが、今までになかった試みによってできあがっていくまでのノンフィクション・レポートです。今回は、いよいよ動き出したプロジェクトの一端を前回につづいてご紹介します。
(まとめ:三島邦弘)

第5回 プロジェクト始動!(2)――大学生参加者によるレポート

2010.03.09更新

今回のレポートは、大学生参加者の二人からです。
なかなかの力作ですよ!

一人目は、京都の大学生O.K.さん(女性)。

「とりあえず調べたものを列挙してみました。
他の方々に比べれば小粒かもしれませんが・・・」
と一言そえられていましたが、なにがなにが。
O.K.さん、かなりの力作ですよ!

≪O.K.さんによるレポート≫

●正露丸は戦争から生まれた!

日露大戦中に大陸へと進軍した大日本帝国陸軍の胃腸薬として開発された。発売当初の製品名は「忠勇征露丸」。まさに露を征する忠実な勇者のための薬だった。
(大幸薬品のHPより)

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●電子レンジは戦争から生まれた!

電子レンジは1945年頃アメリカのレイセオン社によるレーダー研究の副産物として発明された。(レイセオン社は世界第一位のミサイル会社。)
第二次世界大戦中、飛来する飛行機の早期発見を実現するためにレーダーが開発された。
→この性能をあげていく過程で、マイクロ波発生装置(マグネトロン)の開発が進む
→レイセオン社のパーシー・スペンサが偶然マイクロ波による急速な加熱現象を発見
→これが元で電子レンジが製造される

発売当時はあまり売れなかった。(値段が高い、使い勝手が悪いetc・・・)
→1948年にレイセオン社は電子レンジの生産を中止、1960年代の中頃には冷蔵庫メーカーのAmana社に生産設備を売却

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●戦争から缶詰とレトルトパックは生まれた。 (社)日本缶詰協会HP参照
 
・1795、フランスではナポレオンが戦に走り回っている。
 →でも当時はまだ食料保存技術が発達していないので、栄養失調・壊血 病などで困る
 →兵士の士気を保つためにも、栄養豊富で新鮮な食料が必要だった。
 →缶詰の原理生まれる
*このころはまだ缶ではなく、瓶(1804、フランス)

・その後瓶詰め製法はアメリカへ。
→南北戦争における兵士の携行食料として爆発的にヒット

・日本は1841年から製造始める。(フランスから伝来)
→1877年、北海道でシャケ缶製造工場営業開始→専ら欧米への輸出。(10月10日は缶詰の日!)
→日清戦争をきっかけに国内での消費規模拡大。

・缶詰製造からレトルトへ(1950〜、アメリカ)
1950年から、アメリカ軍が缶詰のオルタナティブを求めて研究をはじめる。
→戦時の携行品として普及
(缶詰よりもかさばらない、缶切りがいらない、軽い、調理時間早い=食べたらポイ捨てできる)

・レトルトの一般向け普及(1969、日本)
日本の「ボンカレー」のほうがアメリカでの一般普及より少ない。
1969年のアポロ計画時にも宇宙飛行士の食事となっていたためか、ブームになったとか。

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●ブラスバンドは南北戦争から生まれた。

ブラスバンドとは中学生や高校生の部活でよくある吹奏楽のことではなく、ニューオーリンズなどで盛んな黒人音楽の一種のこと。
これは1880年代にアメリカ南部で生まれたらしい。
1800年代後半といえばアメリカ南北戦争。アメリカの国土で行われた最初で最後の戦争。
この戦いで負けた南軍の軍楽隊が使用していた楽器が安い値段で市場に出回ったことから、貧しい黒人(ニグロ)やクレオールも楽器を手にいれることができた。
これがブラスバンドの発祥らしい。
また、ブラスバンドがジャズバンドのはしりらしい。
ブラスバンドもジャズバンドも南北戦争から生まれた

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●回覧板は第二次世界大戦から生まれた。

1940年、町内会の下部組織として「隣組」が全国に設置された。これは伝統的な五人組や住人組みといった制度に基づいて組織され、この隣組を単位として回覧板を回すことが義務づけられた。

ちなみにこのような歌が当時流行した。

「隣組」岡本一平作詞、飯田信夫作曲

とん とん とんからりと 隣組
格子を開ければ顔なじみ
廻して頂戴 回覧板
知らせられたり知らせたり

とん とん とんからりと 隣組
あれこれ面倒 味噌醤油
ご飯の炊き方 垣根越し
教えられたり教えたり

とん とん とんからりと 隣組
地震やかみなり 火事どろぼう
互いに役立つ 用心棒
助けられたり助けたり

とん とん とんからりと 隣組
何軒あろうと 一所帯
こころは一つの 屋根の月
纏められたり纏めたり

現代からすれば地域コミュニティの鑑のようなこの歌だが、その裏には戦時下の相互監視があったようだ。
作詞を手がけた岡本一平は岡本太郎の父


石井光太さんからは、このようなコメントをいただきました。

「いやー、面白いネタ満載ですね! 私たちの日常生活の多くは、戦争から生まれているんですね。改めて戦争が生み出すもののすごさを知りました。
缶詰やレトルトは戦争から生まれて民需品になっていったようですが、逆に民需品として普及させるために軍需品にしたようなものもあるようです。
たとえば、安全カミソリの「ジレット」ってありますよね。当時、安全カミソリは、替え刃ではなく、切れ味が悪くなるたびに自分で研ぐタイプのものでした。しかし、このビジネスモデルだと、一本カミソリを買ったら、次に買うまで何年もの期間があいてしまい、メーカーは儲かりません。
そこで、ジレット社は替え刃用の安全カミソリをつくりました。そして、まずそれを軍の兵士に無料で配布しました。兵士たちは戦場で安全カミソリと替え刃をつかい、その便利さを知ります。すると、除隊した後も、つかいたがる。カミソリ本体は軍からもらっている。となると、替え刃さえ買えばいい。こうして、元兵士たちが替え刃タイプを買っていき、結果として替え刃タイプの安全カミソリが普及したのです。
戦争によって生まれた商品がある一方で、メーカーが戦争を利用して普及させたものもあるんですよね。」


つづいて、東京の大学生M.R.さん(男性)のレポートです。
きっと彼はサッカー好き!?

≪M.R.さん(男性)によるレポート≫

●戦争から宝くじは生まれた。

日本の宝くじのルーツは江戸時代の「富くじ」につながるとされているが、1842年の天保の改革によって富くじは禁止された。
約100年後の昭和20年7月、政府が国民の浮動購買力を吸収して軍事費の調達をはかるために、戦時国債に変わって「勝札」という
宝くじが日本勧業銀行(現みずほ銀行)から発売された。宝くじの元祖と言われる。
発売後に終戦し、日本が敗戦したため「負札」と呼ばれるようになる。
現金だけでなく、懐中時計や化粧石けんなどのもあたりくじの景品とされた。
※昭和20年以前にも、「くじ付きの債券」という形では「戦時貯蓄債券」や「福券」なども発売されていた。

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●戦争からアーセナル(世界的なサッカークラブ)は生まれた。

第一次大戦中、軍備競争の真っ只中にあったイギリスのロイヤルアーセナルという軍需工場(王立兵器工場)の労働者たちによってダイアル・スクエアという名称のもとチームは創設された。
その後いくつか名称が変わるが、1919年に現在の「アーセナルFC」(Arsenal=兵器工場)に名称が変更された。アーセナルの愛称「ガンナーズ」(=砲撃隊)はこういった歴史からきている。

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●戦争からスキューバダイビングは生まれた。

1920年代・1930年代は技術の進歩によって新しい兵器システムが多く誕生した。スキューバダイビングの装置もこの頃に誕生し、潜水突撃隊や人間魚雷などはこの装置の開発によって生まれた。第二次大戦後、スキューバダイビングの技術を持った軍人たちが、退役後にスキューバダイビングのインストラクターとして活躍し広まったといわれている。

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●戦争からサランラップは生まれた。

20世紀初頭から合成樹脂の研究が進められてきたアメリカで、ポリ塩化ビニデリンが作り出された。
アメリカはこの合成樹脂を太平洋戦争中、軍事用に開発し、戦線で兵士を蚊から守る蚊帳、兵士の水虫を防ぐための中敷き、銃や砲弾の湿気を防ぐための包装などに使用した。
戦後、フィルム製造メーカーなどにより様々な改良がなされたが用途は見つからなかった。
が、ある日この製造メーカーの職員の夫人が、ピクニックに行った際にレタスをフィルムに包んで持って行ったところ、夫人の友人が興味を持ち、ここから人に伝わり広まった。


M.R.さんは、「戦争から○○が生まれた」というネタ以外にも、「戦争文化かも」と思われるネタを送ってくれました。

・入営した恋人の除隊を待たずに、他の男性と付き合ってしまうことを「ゴムシンを反対に履く」という。
※ゴムシンとは、ゴムでできた韓国古来のデザインの靴のこと。韓国の若い恋人同士とって、約2年間離ればなれになる徴兵制は大きな山場とされる。

・ベトナム戦争時、韓国から戦地へ派兵される将兵たちの中には銀の指輪を身につけて行く人が多かった。
銀は毒物に反応して変色するため、何かを口にするときに毒が入っていないか確認するため。

・大統領選挙や国会議員選挙では、本人あるいは直系家族が兵役を果たしていない候補者は落選する。

韓国の男子は健康であればほぼすべての者が兵役の義務を課される。軍隊での訓練は一般社会とは別世界で過酷だが、それを乗り越え無事除隊となれば「大人になった」と認められる。一方、兵役免除者は社会的に認められない風潮がある。兵役は、就職において必須条件とする企業が多い。

・軍服務期間中は、一人一宗教を持つことになっている。プロテスタント、カトリック、仏教等自らが望む宗教を選択する。
無神論者の兵士も、礼拝にいくとチョコなどのお菓子がもらえたり、寺にいくとすいとんなどが食べられるため、日曜の午前中は宗教活動に勤しむ。

・北朝鮮が南侵用に掘ったトンネル(現在までに4つ見つかっている)は修学旅行のコースとして定着。

・フランスの外人部隊では道路工事などを日常的な業務にしている。


石井さんコメント
「戦争と恋愛というくくりでは、いろんなドラマがありそうですね。
昔、従軍慰安婦の証言を読んでいたら、<自分を犯す男たちは嫌いだったが、特攻隊へいく若い兵士だけは好きだった。本気で一晩だけの恋をしたこともある>という一説があったのを覚えています。
特攻であと24時間後に死んでいく若い男性が現れ、最後の夜を過ごしたいと言われる。女性にとって、そのシチュエーションはやはり「盛り上がる」のでしょう。
(「死ぬわけではないただの兵士」に対してはロマンを感じないという点が、人間の面白いところでもあります)
今回ちょっと触れていただいた「兵役」の場合、死ぬわけじゃありませんよね。そうなると、ドラマが生まれる余地はなく、むしろ「別れ」につながってしまう。人間というのは難しい生き物です」


今後も、参加者からのレポートをどんどん掲載していきます。
これを読んだ方で、「これも戦争が生んだものだよ」という情報があれば、一つや二つでも構わないので、ぜひお送りくださいませ!
また、途中参加のメンバーもひきつづき募集しているので、どしどし応募いただければうれしいです。
詳しくはこちらを!

次週も、参加者による途中経過レポートをお送りします。

お便りはこちら

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石井光太(いしい・こうた)

プロジェクト主催者

1977年生まれ。東京都出身。日本大学芸術学部文藝学科卒業。
海外ルポを初めとして、国内外の文化、歴史、医療についての文章を多数執筆。
また、本や映画などについてのコラムや批評も手掛ける。執筆以外では、TVドキュメンタリの製作、写真活動、漫画やラジオ番組のシナリオなども手掛けている。

主な作品に、
『神の棄てた裸体−イスラームの夜を歩く』(新潮社)
『物乞う仏陀』(文藝春秋)
『絶対貧困−世界最貧民の目線』(光文社)
その他、共著に『ベストエッセー2007 老いたるいたち』(光村図書)などがある。
ペンネームでの著書は多数。

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