石井光太&寺子屋ミシマ社

2009年12月12日に始動した「石井光太&寺子屋ミシマ社プロジェクト」。
この連載は『戦争文化』をテーマとするノンフィクションが、今までになかった試みによってできあがっていくまでのノンフィクション・レポートです。
開始から半年がたち、メンバーは日に日に成熟し、いいチームへと進化を遂げております。最終形として「一冊の本」とはまるで違う、完成形からはほど遠い、中途報告をここではお送りしていきます。一冊ができる本の過程をまる裸に――。
(まとめ:三島邦弘)

第9回 プロジェクト始動!(6)

2010.05.18更新

ずいぶんとご無沙汰をして失礼いたしました。
戦争文化プロジェクト、水面下で粛々と進行しております。二度目のレポートもぞくぞくと入ってきています。がその前に、第1回レポートのラストを紹介いたします。

一人目は、U.M.さん(男性、出版社勤務)。
スポーツ熱あふれる調査をしてくださいました。「戦争とスポーツ」。国威発揚とスポーツとの関係までレポートくださいましたが、今回は前半部分の「戦争文化」により関係深いところを中心に掲載いたします。

≪U.M.さん(男性、出版社勤務)のレポート≫

●サッカー(フットボール)も戦争によって生まれた?

サッカーの発祥については、文献が少なく、まだ解明されていないことが多い。しかし、古代ローマ人が「ハルパストウム」として、またギリシア人も「フォリス」としてこれを楽しんだとする説がある。しかし、フットボールがイギリス発祥とするのならば、この競技の発祥は1042年とされている。それは1016年から1042年までのあいだ、デンマーク人のイギリス侵攻が続き、彼らが撤退したとの戦場で、あちこちにされたデンマーク人の頭蓋骨をけって憂さ晴らしをしているうちに、あるものが牛の膀胱を膨らまして蹴り始めた。これこそがフットボールの発祥だとされている。

また、イギリスには伝統的に無防備で乱暴な古いタイプの球技が古来より行われており、現在では「民族フットボール」と呼ばれている。その大半は教会歴でいる「告解火曜日」に行われていた。試合時には、街の街路で縦横無尽に繰り広げられ、数百人という群衆によって行われていたという。一定のゴールにボールを持ち込めば勝利というルール以外は、大きな取り決めがなく、これこそが乱暴で無防備だと評価される所以である。これもサッカーのルーツの一つだと考えられている。

この「民族フットボール」は、中世フランスにおいて、城塞をめぐる攻防戦をモデルとした「パダルム」という競技に発展した。「様式化された戦争」ともいえるパダルムをさらに追体験するために「スール」と呼ばれるフランスの民族フットボールやテニスが考案されたといわれている。

一定のゴールにボールを持ち込めば勝利というフットボールの重要なルールは、「パダルム」の試合でもっともエキサイティングな城門を奪取するという場面をなぞらえたものだったという。これがイギリスに北上して、「フットボール」に。イタリアに南下して「カルチョ」(イタリアのサッカーの呼称、トトカルチョとはイタリアのサッカーくじの名称。日本のtotoという名称は、ここからきている)。

このパラルムという競技は、そもそも「武装しての陣地防備競技」であり、ヨーロッパ中世の騎士が、鎧や剣で武装しせめてと守り手に分かれて橋や上城門といった狭い通路の支配権をめぐって戦った競技である。この競技は、イタリアにおいて形を変えて盛んに行われることとなる。異なる地域の住民がこん棒と盾をもって特定の場所を奪取しようと戦う「マッザスクド」という競技だ。地域住民の意識や感情が集団競技を通じて昇華されていくのである。サッカーが、集団競技として国家、民族、地域意識を高揚させ、幾度か国家的な争いにまで発展させた要因は、こうしたルーツに由縁するのかもしれない。

●相撲も戦争が生み出した?
 
古代日本の神話から伝わるとされ日本の国技とされている相撲。これもまた戦争とは無縁ではない。そもそも相撲が国技とされた由縁は、天皇の始祖が国を広げていく過程において併呑した国の者を裸にすることで武装解除、抵抗をしませんという意思表示をさせ、天皇の統治権を象徴的に再演する国家プロジェクトパフォーマンスであったからである。皇室において、この相撲は神々を祀る司祭へとして今日まで続いているのである。

●マラソンが戦争から生まれたのは有名な話

紀元前450年、アテナイ(現在のアテネ)を落とすことを目標にマラトンに上陸したペルシャの大軍を、アテナイの名将ミルティアデスが奇策で撃退したマラトンの戦いにおいて、とある兵士がアテナイ軍の勝利を伝えるために伝令となったのだが、アテナイの城門で勝利を告げると同時に力尽きて息を引き取ったという故事が残されている。この故事を偲び1896年にアテネで開かれた第1回オリンピックにおいて、マラトンからアテネ競技場までの競走が種目に取り入れられた。これが初のマラソン競走となった。

●体操競技も戦争の産物(戦争が生み出した体操、ラジオ体操も戦争が編み出した?)

近代国家形成にイギリス・フランスから遅れをとったデンマーク、スウェーデンでは、近代的国民国家の形成を急いだ。その形成手段として富国強兵を選んだ両国は、強健な身体を有する国民によって祖国防衛と国家経済を豊かにする道を選択し、国民体育が国家プロジェクトとなった。デンマークのナクテガル、スウェーデンのリングが、国民体育の推進としてデンマーク体操とスウェーデン体操を編み出した。この二つの体操は、他諸外国に影響を与え、軍事鍛錬などに多く取り入れられている。日本のラジオ体操もこの流れを汲むといわれている。


戦争と相撲という着眼点は面白いですねー。なるほど、だから「国技」と呼ばれるのですね。

石井さんコメント
「戦場へ行くと、実はかなり牧歌的な光景が広がっていたりします。
戦争というのは、絶えず撃ち合いをしているわけではなく、数分銃撃戦があったと思ったらすぐにやみ、あとはずっと静かなのです。
で、兵士たちは何をしているかというと、暇をつぶしたり、遊んだりしている。
そうした遊びの中から、スポーツが生まれるということはよくあったのでしょう。いわば、「戦争におけるゆとり」がスポーツを生んだということですよね。
こういう視点は、僕たちがもっている戦争のイメージを覆すものだと思います。だからこそ、面白いんですけどね。」


つづいてN.H.さん(男性・大学院生)のレポートです。
「社会制度」から「医療」まで、おもしろいところに目をつけてくれています。はたしては、瞬間接着剤は戦争が生んだ文化なのでしょうか?

≪N.H.さん(男性・大学院生)のレポート≫

●日本における税金の「源泉徴収」制度は戦争から生まれた。

日中戦争が長引き、戦費の欠乏に苦慮した日本は、戦費を効率的に集める目的で源泉徴収制度の適用対象を給与にまで拡大した。直接にはナチス・ドイツの制度を模範にしたとされる。
☆源泉徴収制度それ自体の発端は1799年のイギリス。日本でも給与以外(公債の利子など)に対しては日中戦争以前から源泉徴収制度があったので、若干インパクトには欠ける。
出典:サラリーマンよ、税金を取り戻そう!

●日本の光学機器製造業は戦争で技術発展した。

ニコンカメラで有名な日本光学工業は、戦争中に戦艦用の大型測距儀を制作していた。第2次世界大戦以前の軍艦は大砲の弾を敵艦に命中させるため、高性能の光学測距儀を必要としていた。中でも当時世界最大の戦艦であった日本海軍の大和・武蔵には左右の対物レンズ間の距離が約15メートルの巨大な測距儀が搭載されていた。日本光学工業は戦後にこの技術を活かして双眼鏡などの民生用光学機器を制作して有名になった。
☆この技術の系譜が天体望遠鏡や、宇宙望遠鏡などの有名な光学技術にもつながっていたら印象的な記述ができる。(要継続調査)
出典:wikipedia レンジファインダー

●医学分野としてのリハビリテーションは戦争から生まれた。

第1次世界大戦は数多くの戦傷者を発生させた。その約20年後に起こった第2次世界大戦は軍人だけでなく国家全体を戦争へと動員する総力戦の様相を呈し、第1次世界大戦で戦傷者となった障害者たちもできる限り労働力を提供することが求められた。彼ら戦傷者の戦線復帰、もしくは労働力としての活用を促進するため、身体障害者を社会復帰させることが医療の役割として認識されるようになり、リハビリテーションという医学の分野が生まれた。
出典:リハビリテーションと障害概念
  :KAZZ BLOG

●最初の抗がん剤は戦争から生まれた。

第1次世界大戦でドイツ軍はマスタードガスという毒ガスを使用した。1943年、マスタードガスに人間の白血球を減らす効果があることに着目したアメリカ陸軍が、白血病の治療にこのガスが使えないかと考えた。白血病になると、患者の白血球が異常増殖するからである。マウスを用いた実験の結果、末期がんの腫瘍に対して効果が認められた。日本人医師による改良を経て、マスタードガスに由来する抗がん剤が今も用いられている。
出典:wikipedia ナイトロジェンマスタード

●エンバーミング(遺体の防腐処理技術)は戦争によって発展した。

アメリカ南北戦争のとき、戦死者の遺体を輸送するためにエンバーミングが行われた。その後も朝鮮戦争、ベトナム戦争などアメリカ本土から離れた場所での戦死者の遺体を輸送する際に(在日米軍基地で)エンバーミングが行われてきた。
☆湾岸戦争・イラク戦争でも同様の事例が確認できるはず。(継続調査)
出典:wikipedia エンバーミング
  :BPnet (碑文谷 創氏のコラム)

●RIMOWAのトランクケースはドイツ空軍の航空機デザインの意匠を採用している。

「第二次大戦中、ドイツ軍向け金属コンテナを開発したが、この際、当時としては最先端の技術だった全金属製航空機のデザインを採用した。ドイツの航空機メーカー、ユンカース社の製造した旅客機ユンカースJu52の機体や主翼に施されたウネ状の構造である。これがあるためにJu52は金属製でありながら軽く強靱とされ、後の大戦でも爆撃機、輸送機として最後まで大活躍した。〔...〕リモワのケースにはすべて、このドイツ空軍機ゆずりのウネ状構造が施されている。軽くて、衝撃にも中身を損なわない。いかにもドイツ的な製品である。」 (辻本よしふみ『スーツ=軍服!?ーースーツ・ファッションはミリタリー・ファッションの末裔だった!!』240~241頁より)

瞬間接着剤のアロンアルファが戦場での応急治療のために発明されたものではないか、という発想が医療技術の調査を始めたきっかけでしたが、残念ながら無関係でした・・・

▼瞬間接着剤

瞬間接着剤といえば何を思い出すだろうか? 有名なものは皆さん良く知っている「アロンアルファ」である。これは1963年に東亜化成工業が工業用としてアロンアルファ♯201、♯202を発売したのが始まりで、現在でも改良され使われている。

瞬間接着剤の誕生は1955年に、EastMan Kodak社で新製品をテスト中のある技術者がシアノアクリレートという物質の屈折率測定を行うために屈折計にかけたら、屈折計のプリズムがくっついて取れなくなってしまったということからこの物質には強い接着力があることを発見し、それを1958年に製品化して「Eastman910」として発売したことから始まった。

しかし、始めはこのすばらしい接着剤も用途が見つからず、指輪に宝石をつけることぐらいにしか役に立たなかったが、東大医学部の木本教授が盲腸の切り口の縫合に瞬間接着剤を使ったことで話題になり、医療用接着剤としても1965年に国産化され発売された(アロンアルファA「三共」、三共(株))。
出典:有機って面白いよね!!


リハビリも抗がん剤も・・・。なるほど、医療と戦争はきってもきれない関係にあるのがよくわかりました。
瞬間接着剤は、戦争時の応急治療のために生み出されたものじゃないの、とプロジェクトメンバーで話し合っていたのですが、予想は外れたようです。目的があって生まれたのではなく、技術先行型商品だったのですね。

石井さんコメント
「今回はどれも面白かったです! 特にリハビリが「へぇー」でした。
そうそうエンバーミングで思い出したのですが、先日エンバーミング会社の方と話をしました。
そしたら、最初日本にエンバーミング技術が渡ってきた時、エンバーミングの教師はみんな外国人だったそうです。外国人が戦争によって身に付けた技術を日本に教えに来ていたということです。おかげで、今はエンバーミングの学校までできています。
ちなみに、エンバーミングに必要な道具というのがあるのですが、これもすべて海外からの輸入品です。
戦争は「死体の扱い」までも変えるんですね。喜んでいいのやら、呆れていいのやら(笑)」


今後も、このように、参加者からのレポートをどんどん掲載していきます。
これを読んだ方で、「これも戦争が生んだものだよ」という情報があれば、一つや二つでも構わないので、ぜひお送りくださいませ!
また、途中参加のメンバーもひきつづき募集しているので、どしどしご応募いただければうれしいです。
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石井光太(いしい・こうた)

プロジェクト主催者

1977年生まれ。東京都出身。日本大学芸術学部文藝学科卒業。
海外ルポを初めとして、国内外の文化、歴史、医療についての文章を多数執筆。
また、本や映画などについてのコラムや批評も手掛ける。執筆以外では、TVドキュメンタリの製作、写真活動、漫画やラジオ番組のシナリオなども手掛けている。

主な作品に、
『神の棄てた裸体−イスラームの夜を歩く』(新潮社)
『物乞う仏陀』(文藝春秋)
『絶対貧困−世界最貧民の目線』(光文社)
その他、共著に『ベストエッセー2007 老いたるいたち』(光村図書)などがある。
ペンネームでの著書は多数。

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