石井光太&寺子屋ミシマ社

新しいノンフィクションをこれまでにない作り方によって生み出そう。
その掛け声のもと、石井光太さんと寺子屋ミシマ社がタッグを組んで進めている「戦争文化プロジェクト」。これまで15名ほどのメンバーから、「下調べ」をしてもらい、「とりあえず」のレポートをここに掲載してきました。
本プロジェクトでは、実際に一冊のノンフィクションができる過程を「丸裸」にして、それすらもお見せしようと考えています。通常、「完成形」でしか知ることのない、一冊の側面を楽しんでくださいませ。
これからは、その下調べレポートの第2弾です。
各メンバー、そして新メンバーのレポートの充実ぶり、成長ぶりもあわせてご覧いただければ幸いです。

第10回 メンバーからのレポート第2弾(1)―ファッションの巻

2010.06.01更新

今回は、新メンバーのO.M.さん(女性)。他の出版社に勤務している現役編集者による「とりあえず」レポートです。

≪O.M.さん(女性、出版社勤務)のレポート≫

もし自分が戦地へ行くことになった場合、どうするだろうか。

精神と肉体を鍛えることしができないのだろうか。身を守るための備え。命を守ってくれる機能性が整っている服装もまた大切な要素のひとつだろう。戦争シーズンというものは存在しない。戦争はいつどこで勃発するのかわからない。となると服装は重要なポイントとなる。命がけの実用性と機能性と耐久性を求められる場が戦地なのだ。

防寒性、防水性、耐久性があり、すぐに脱げるよう着脱しやすい服装がいい。戦争はファッションと強く結びついているように思う。素材、色、デザインを進化させたものが戦争である言っても過言ではない。

というわけで、戦争からうまれたファッションに焦点をあてて考えてみました。

●トレンチコートは戦争から生まれた

防水性の高い木綿のコートだが、もともとは第1次大戦に英国陸軍が塹壕戦用に開発したコート。(塹壕:戦争で歩兵が砲撃や銃撃から身を守るために使う穴または溝。(フィレッシュアイペディアより))

■バーバリー
イギリスのファッションブランド「バーバリー」は1895年南アフリカ戦争時トレンチコートの前身となる「タイロッケンコート」をつくりだした。
第1次世界大戦時の1914年には塹壕(トレンチ)での戦闘に合わせてタイロッケンコートに修正を加え、手榴弾や剣・水筒をぶら下げるD字型リングをコートに止め金として取り付けたトレンチコートを製造して英国陸海軍に正式採用され、大戦中に50万着以上着用された後ジョージ5世からコート・ジャケット部門の英国王室御用達(ロイヤルワラント)を受けた。
出典:wikipedia バーバリー

■アクアスキュータム
高級被服老舗ブランド、「アクアスキュータム」は クリミア戦争(1854年から1856年の間、クリミア半島(ウクライナ領有)などを舞台として行われた戦争)時にイギリス軍が将校用のコートにこの防水布で作ったコートを採用したことから知名度が飛躍的に上がった。
ちなみに、1990年に日本企業のレナウンが買収し、現在は同社の傘下。
出典:wikipedia アクアスキュータム

せっかくなのでコートつながりでいってみよー。

●Pコートは戦争から生まれた

参考サイト:wikipedia Pコート

●ダッフルコートは戦争から生まれた

もともとは北欧の漁師が着ていたものが、軍服として使用されるようになったそうです。
参考サイト:wikipedia ダッフルコート

●セーラー服は戦争から生まれた

中学高校の制服、定番学生服「セーラー服」そもそもそれは軍隊や海軍の服であった。
セーラーカラーは今でも世界中の海軍の服。
出典:wikipedia セーラー服

●ブレザーは戦争から生まれた

前合わせがダブルの上着の起源はポーランド騎兵の服装であり、乗馬の際に風が入らないように前合わせがダブルとなったと言われており、18世紀には広く軍服に使われるようになった。19世紀初頭にはプロイセン軍の軍服であったプルシアンブルーのフロックコートがイギリスに広まり、色が更に濃い色調となった。そして、イギリス海軍の将校用制服にも開襟でネービーブルーのフロックコートが採用された。イギリス海軍で水兵の制服が定められたのは1850年代である。

1837 年にイギリス海軍の軍艦ブレザー号(HMS Blazer)がヴィクトリア女王の観閲を受ける際にネイビーブルーのダブルの金属ボタンが付いたジャケットを揃え、全乗組員が着用した。そして、これを見た他の艦でも制服として採用し始めた。ダブルタイプの語源とされる説である。また、乗組員の制服を揃えたのは1845年であったとする説もあり、上記のように水兵の制服が正式に導入されたのが1850年代であることから、この方が説得力があるとする意見もある。
出典:wikipedia ブレザー

●カーキ色は戦争から生まれた

軍服としてのカーキ色は、19世紀半ばに植民地であるインドに駐留していた英国軍が、白い夏服の汚れを嫌って当地の土を用いて服を染め、それを現地語でカーキと称したのが始まりであると言われている。その後、「軍服色」という意味において、森林地帯を想定して作られた米軍のくすんだ緑色(オリーブドラブ)のこともカーキと呼ばれるようになり、英語圏においても色の定義が混同されるようになっていった。しかしながら、主にヨーロッパ諸国で用いられる灰緑色など青やグレー系統の色は、軍装色であってもカーキと呼ばれることはない。
出典:wikipedia カーキ色

1899年に南アフリカ戦争(ボーア戦争)が起こって依頼、イギリス人は熱い国に駐屯する部隊にはカーキ色の服を着させていたそうだ。アメリカ人実用的な服装を本国部隊の"夏服"として取り入れたそうです。それから世界に夏服が広まったとか。

カーキが戦争生まれならやっぱり・・・

●チノ・パンは戦争から生まれた

「チノ・クロス」と呼ばれる綿の生地で出来たズボンの一種。
インドに駐屯していたイギリス陸軍のカーキ生地の軍装が起源で、その後アメリカ陸軍にも採用された。米西戦争の戦地であったフィリピンから帰国した兵士より1900年代にアメリカ国内に広まった。
出典:wikipedia チノ・パンツ

ここでふと思った。当たり前ではあるが、みんな同じ服なのだ。ということは?
ユニフォームは戦争から生まれたのではなかろうか?

●ユニフォームは戦争から生まれた

イギリスでは、1941年から衣料品の制限がはじまる。どの階層の女性も衣服を長持ちさせなくてはならなくなり、買い物は繕うための付属品に限られるようになる。その結果、数年後にはあらゆる社会階層の背服装にある種のユニフォーム化が見られるようになる。 アメリカの軍も同様であり、第二次世界大戦は空軍を援護する看護婦の全てが作業用のオーバーオールを着用した。(「20世紀モード史」(平凡社)より)

●ミニスカートは戦争から生まれた

1914年の第一次大戦より、大きく女性のファッションは変化します。 ヨーロッパの歴史を振り返ると、床に引きずるほどの長いスカートをはいていましたが、脚を見せるようになったのは、大きな変化です。その理由のひとつに女性が外で働かなければならなくなったからです。男性は戦地、女性は兵器などをつくるため、軍事工場で働くこととなりました。長かったスカートは短くなり、ズボンとなり、作業しやすいスタイルとなります。(『世界ふくそうの歴史④』(リブリオ出版)より)

ちょっとおもしろい文があったので抜粋しておきます。

第二次世界大戦下、パリの企業はすべてドイツ軍の掌中にあった。そのため、活動を続ける企業が少なく、物資の調達は困難であった。統制が敷かれた中での生活、女性の服装は男性モノへと変化する。多くの女性の夫は捕虜として捕らえられていたため、着るものがなくなると彼女たちは夫の服を着た。戦時下の女性は男性のズボンをはくことで、家主としての新たな自分の役割を外部へ示すこととなった。そした行為が女性と男性の対等な立場を置いたのだ。(『20世紀モード史』(平凡社)より)

ファッションは女性の地位を対等なものにするきっかけであるようにも思えます。

<ハミダシ小ネタ的なよーなもの①>

・ファッション(服装)→気温に左右される→天気予報ってどうだったんだろう?
参考サイト:気象情報の小ネタ
・戦時中、気象情報はトップシークレットだったんですねぇ。
参考サイト:バイオウェザーサービス・お天気豆知識
・天気図をかくのも一苦労ですねぇ。
参考サイト:戦争が生んだ天気予報とカーディガン(excite bit コネタ)

・・・ということはカーティガン!

●カーディガンは戦争から生まれた

英国陸軍軽騎兵旅団長の第7代カーディガン伯爵ジェイムズ・ブルデネルが考案、その名前の由来となっている。
けがをした者が着易いように、保温のための重ね着として着られていたVネックのセーターを前開きにしてボタンでとめられる様にしたのがそのはじまりと言われている。
出典:wikipedia カーティガン

<ハミダシ小ネタ的なよーなもの②> ~同性愛者って戦争で増加?!

戦争により多くの男性が失われた。1918年以降、ヨーロッパ全土において、女性の数は男性の数を大幅に上回ることとなる。その結果、女性の同性愛が著しい高まりをみせる。ファッションの中に女性を若い男性と同一化させようという傾向が見られるようになった。(『20世紀モード史』(平凡社)より)

というわけで、最後までお読みいただきありがとうございました。

石井さんコメント
「今回は、出版社の方の参加者からのレポートということもあり、ちょっとここから応用して考えてみることにしましょう。

戦争から生まれたファッションを調べてみるというのは第一歩としてやるべきことですね。
この企画はそういうテーマですし、またそこから面白いものを見つけて行こうという姿勢は大切です。
今回のレポートはそういう意味では非常に面白いものでした。

ただ、これまで誰かが調べたことをそのまま集めることと、自主的に本を書くために何かを調べることはちょっと異なります。
参加者の半数以上は第2回のレポートということもあるので、一歩踏み込んで考えてみることにしましょう。

まず、自分が書き手になってみて考えてください。
現代の戦争とファッションについて書かなければならないとします。
とすると、まずやることが、現代の戦争における兵士たちの軍服を調べることでしょう。

現代の戦争の写真を手当たり次第見てみてください。
たとえば、ゲリラ兵の写真を見たとします。その時に浮かんでくるのはどういう疑問でしょう?

たとえば、アフリカのウガンダにいる「神の抵抗軍」の写真をネットで探してみ下さい。
内戦のゲリラ組織なんて全然お金がないはずなのに、なぜか軍服を着ている。大人の兵士ばかりでなく、誘拐してきた少年兵まで軍服を着ているのです。
そこまで調べたうえで、「戦争文化と軍服」と考えた場合、以下のようなことが浮かびませんか?

・ゲリラ組織が軍服を着るメリットは何なのか。
・ゲリラ組織は軍服をどこから手に入れているのか。
・軍服はいくらなのか。
・アフガンのタリバン兵と、ウガンダの神の抵抗軍とでは軍服が全然違う。なぜなのか。

素朴な疑問です。
しかし、その素朴な疑問こそ、「本にした時に必要な情報」なのです。

単純に「○○は戦争から生まれた」というだけでは面白い本にはなりません。
以下のように書かなければ、読む価値のある情報にならないのです。

「○○は戦争から生まれたんだよ。でも、それって××円もして、××から輸入しているんだ。しかも、ここの兵士とあそこの兵士の軍服とでは、××も違ってくるんだよ。
なんでお金のない軍隊がそこまでして軍服をほしがるのだろう。実際に働いていた兵士によれば『××』なんだってさ」

上記のような情報は、傭兵として働いていたことのある人へのインタビューなどによってわかりますよね。

第1回のレポートで、調べ方というのはわかってきたと思います。
第2回目、第3回目のレポートでは、もう少し踏み込んで、「本」のイメージを持ちながら、プラスαの情報として何が必要かということまで考えて調べてみるようにしてください。
このプラスαの情報こそが、どれだけ本を面白くするのかということにつながりますので」


石井さん、コメント&アドバイスありがとうございます!
プロジェクトメンバーの皆さん、石井さんの指摘をふまえ、「面白い本」にどんどん近づけていきましょうね。
レンタルチャイルド』とはまた違う味をもった、最高のノンフィクションをつくりましょう!!

これを読んだ方で、「これも戦争が生んだものだよ」という情報があれば、1つや2つでも構わないので、ぜひお送りくださいませ!
また、途中参加のメンバーもひきつづき募集しているので、どしどしご応募いただければうれしいです。
詳しくはこちらを!

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

石井光太(いしい・こうた)

プロジェクト主催者

1977年生まれ。東京都出身。日本大学芸術学部文藝学科卒業。
海外ルポを初めとして、国内外の文化、歴史、医療についての文章を多数執筆。
また、本や映画などについてのコラムや批評も手掛ける。執筆以外では、TVドキュメンタリの製作、写真活動、漫画やラジオ番組のシナリオなども手掛けている。

主な作品に、
『神の棄てた裸体−イスラームの夜を歩く』(新潮社)
『物乞う仏陀』(文藝春秋)
『絶対貧困−世界最貧民の目線』(光文社)
その他、共著に『ベストエッセー2007 老いたるいたち』(光村図書)などがある。
ペンネームでの著書は多数。

バックナンバー