感じる坊さん。

第2回 これからの軸〜南方熊楠生誕150周年の田辺より〜

2018.01.01更新

 こんにちは。四国の坊さん、ミッセイです。

 前回、発表した栄福寺の新しいロゴ・マークで、名刺やハガキ、看板の案などをデザイナーに依頼して制作中だ。これで「どうなる」わけではなく、「スタート地点」でしかないなんだけど、なんだかうれしい。

 「お坊さん」は、誰かの死と関わったり、その家族の話を聞いたりすることが多いので、僕たち夫婦もふたりでこんな話になることがあった。

「生死に関わる大きな病気になることもあるから、告知するかどうか、今のうちにお互い聞いておいたほうがいいかな?」
(実際は、「大きな病気になることもあるけん、告知するか、今のうちに聞いておいた方がよかろうか」という伊予弁で発せられている)

「そうやな(関西弁)。密成さんはどう?」

「そうだなー。僕はお医者さんの知り合いが何人かいるから、セカンドオピニオン、サードオピニオンを聞いて検討したいから、言ってほしいな」

「私も言ってほしい。死ぬ前にきちんと自分の荷物を整理整頓したいから」

「・・・」

 妻は、何度もお伝えしていますが、僧侶でもあり、また書類の上では僕の「弟子」ということになっていますが、なんだか「生にしがみついている人(僕)」と「生死に対して落ち着いている人(妻)」をクリアに突きつけられたようで、ちょっと哀しかった、自分が。

* * *

 高野山の勧学会(かんがくえ)という修行のことは前回、書いたけれど、平成29年と28年、僕は毎年1カ月ほど高野山に滞在して、時間をすごした。
 偶然、その2回の期間の後に、印象的な役割を与えられることになった。最初の平成28年は、全国の真言宗の若いお坊さんが大阪に集まって一堂に会する「結集(けつじゅう)」で、高野山の誇る両巨頭とも言われることの多い、松長有慶(まつながゆうけい)先生と高木訷元(たかぎしんげん)先生の対談の進行役を依頼された
 大いに恐縮しながらも、せっかくの機会なので、がんばって臨んだ。対談の中で松長先生が、「若い人は、怒られたらシュンとなる人が多い。"怒られてもやる"ぐらいの気概を見せてほしい」と話されたこと、高木先生が「偉い大先生がその場にいなくても、近くの仲間と腹を割って弘法大師を読むような、地道な勉強を続けてほしい」という意味のお話しをされたのが、今でも心に強く残っている。

 昨年、平成29年の勧学会の後には、僕が高野山大学密教学科の卒業論文のテーマに選んだ、「南方熊楠(みなかたくまぐす)の生誕150周年を記念するシンポジウム(中沢新一さんコーディネート)」に招かれ和歌山県の田辺市でお話しする機会があった。その記録映像を観ていると不思議と自分の「これからの軸」にしたいことが、いくつか散りばめられた内容だったな、と感じた。
 南方熊楠という希有な人物をひとことで、語ることは、とてもできないけれど、「密教と現代生活」という論文テーマを掲げていた僕にとって、生物学者や民俗学者という生の生命を素材にした多彩な側面を持っているのは、魅力的だった。またロンドンで学問の最先端と伝統に触れ、日本に戻っては、粘菌という生命体と対峙しながら、土宜法龍(ときほうりゅう)という真言僧と長い書簡を交わし、「南方マンダラ」と後に呼ばれる思想を、その書簡の中で生み出したことに対しても「未来の仏教の可能性」を僕は感じている。

「ずっと卒業論文で書きたいことは決めてあって、僕は真言宗のお坊さんなので、密教という教えを修行したり勉強したりしたんですけれど、<密教と現代生活>というのをやりたかったんですね。その時に、南方熊楠というお坊さんではないけれども、自由闊達に思想した方の中心思想が土宜法龍という密教僧との往復書簡の中で、しかも明治時代というわりと最近、既成概念の中での仏教という枠も密教という枠も全部飛び越えるような物が発生したというのを知った時に、"ああ、これだな"と思たんです」(以後、青地の部分はトークセッションでの僕の発言)


 これから仏教を、僕たちが意味のあるものとして、捉えようとする中で、「自由闊達」というのは、大きな態度になると僕は思う。しかも、それが「仏教」、「密教」の中で、留まるものではなく、僕たちの生活を舞台に「放たれる」ものではなければならないと考えるのだ。

「熊楠は自分が抱えている問題意識、生命観というものが、既存の学問とか専門性の中で十分に収まりきらないという思いを、ずっと持ち続けていた人だと思います。その中で密教、あるいは仏教というものの宇宙的な広がり、サイズの巨大さというものをみた時に、"あ、やっと自分が思い描いている思想と対峙できるだけの広さを持ったものを見つけた"という思いがあったのだと感じます」


 なぜ仏教には、現代を生きる僕たちにとって大きな意味があるのか。
 それはその守備範囲やサイズの大きさ、そしてそのサイズでなければ受け止めることができないものが、あるからではないかと思う。例えば、人の「生死」ひとつとっても、分野や学問領域の専門性から、「大きなこと」を考えにくいような現状があると思う。それを収めてしまうような大きさが仏教にはあると思う。

(熊楠が書簡に描いた猫の絵を示しながら)
「僕のとらえ方ですけれど、熊楠は『華厳経』という仏教経典にも、すごく影響を受けていたと思うので、すごく小さな<部分>の中にも、世界全体が含まれていて、そのまた部分の、ずっと小さいところにも世界が含まれていて、宇宙の全体性が含まれているという<連なり>をこの猫の中で描こうと思ったと僕は捉えています」


 密教や弘法大師の思想の大きな特徴は、この「連なり」にあると思う。それを実感的に快復することに関わることが、これからお坊さんやお寺の役割のひとつになりそうだ。

「僕らは修行の中で、仏教思想や仏教経典の内容を、知識としてある程度知ったうえで、修行していくことも多いのですが、熊楠の場合はまず現実ありきというか、粘菌という生命体と対峙することによって、大きな思想が生まれてくる。熊楠が意図的だったかどうかは置いておいて、すごく理想的な<修行者>というか、そういう<世界の真実に触れたい>という思いに対して、すごくいい<接近>の仕方をされたと思います。だから修行者の理想型として僕は見てしまうんです」


 仏教は、経典の中だけに留まるものではなく、僕たちの生の生命や環境世界を舞台にしている。そのことをいつも、頭に置いておきたい。

「熊楠と土宜の生命観のやりとりをみていると、ひとつ<深いところ>に潜ってしまえば、<他者>とか<自分>とか、<生>と<死>、現代という時代は色々な物を<分けて>きた側面があると思うのですが、熊楠の見ている一歩もぐった世界というのは、いろんなものを、<くっつける>。ひっつけあって、結びついている。そして、それは熊楠が<見つけた>ものではなくて、元々世界は、そういう風にもできて<ある>」


 宗教とは、新しいものを創造するものではない。僕たちが囲まれているこの世界とその動きについて、「正確に知ろうとする」営みでもあると思う。それを垣間見るために、どのように<もぐっていくのか>そのチャレンジを続けなければならない。

「熊楠の言葉を借りれば、科学は真言のごく一部、仏教のごく一部のことしかまだ扱っていないんだ、という意味のことを言っている。ただ大事なのは、土宜にしても熊楠にしても、現状の仏教に対して誇りと同じぐらい問題意識というか不満感を持っているんですね。熊楠は、なぜ僧侶達は唐の時代の経典を読んで、今すごく使い道のあるものなのに、ほったらかしにしているんだ、とも言っている。このあたりの熊楠の問題提議が、お坊さんとか研究者だけじゃなくて、ここに集まっているような田辺の人だとか、普通に生活をしている人たちに対して、すごく大きなものを投げかけていると思うんです」


 仏教はすばらしさをたっぷり含んでいると思うけれど、現状に甘んじて、それを誇るだけでは話にならない、というのが熊楠の視座だ。そして、僕はそれに共鳴する。「今」を生きるための仏教を見つめなかればならない。

「熊楠の書簡とかを読むと、ものすごく猥談もでてきますね(笑)。今日来ている研究者の先生には、怒られるかも知れませんが、僕は田舎のお坊さんなので言ってしまいますけれど、手紙の中で性の話なんかを、なにも隠すことなく、当たり前だろ、という雰囲気でぽっと出すんですね。その<おおらかさ>といのうでしょうか...、密教というのもインドの農耕儀礼や民間信仰、王位継承の儀礼などをどんどん取りいれて、発生した教えでもあるのですが、そういう中では、人間の持っている本質的な<恐さ>だとか<恥ずかしさ>のようなものをタブーにしないで、"これです"という感じで、出している側面があります。それは小さな話ではなくて、生命のダイナミズムのようなものに対峙しようとすれば、避けて通れるはずはないんですよね。その部分は今の日本人がすごく<下手>になっているところだと思います」


 これは「スケベな話をどんどんしようぜ!」ということではなくて、人間の持っている、一般的な宗教が避けることも多い「恐さ」「暴力」「性」などから目を逸らさないことも、僕たちの密教の大きな特徴だ。そこを「避ける」のではなく、じっと対峙するような態度を保ちたい。

「そこで一番苦しんでいるのは、気づいていなくても、今生きている僕たちではないでしょうか。もちろん今の性の話だけではなく、先ほどの華厳経や密教からヒントを得たとも言われる<すべてが繋がっている生命観>などにしてもそうです。繋がりを失った中で、一番苦しんでいるのは僕たちの精神だと思います。そういう意味では、今生きている自分達、日本人や世界の人たちが、"何に苦しんでいるのだろう"ということに対して、すごく示唆のある視野というのを熊楠や土宜の生命観というのは、僕たちに投げかける」


 あるチベット僧が「まずは何に苦しんでいるか知ってください。苦しんでいない、というのは見当違いです」とことを語っていたことがある。僕たちが、「何に苦しんでいるのか?」それにも生命やその連なりは関連している。

「熊楠は、東洋のことを褒めたと思うと、"調子に乗るなよ"と西洋科学の素晴らしさを説いたり、"西洋科学ってすごいですね"と言うとーそういう風潮は当時大きかったと思うのですがー"なんだよ、足下ちゃんと見ろよ、仏教や密教がどんなだけ大きなものか"となる。どっちにも振れないんですよね」


 今、自分の周りを見渡しても、自分の住んでいる場所や国を、手放しで称賛したり、そうでなければ一方的に非難しているような言葉が多い。世界はもっと複雑で、内も外も一筋縄ではいかない。

「<日本>というのも熊楠にとって、"地元"のような感覚があったのかな、と僕は思っていて、だから熊楠が突然変異的にすごい人物が生まれてきたというよりは、南方マンダラなどで想起される生物も無生物も、一歩潜ってしまえば、多くのものが繋がっているという生命観のようなものは、古代の日本人がすごく大切にしてきた考え方であると思うんです」


 僕たちは、「今」から未来を生きる。しかしそこには、後ろ向きの視点も必要だ。過去を振り返り「僕たちはどのように生きてきたのか」感じる。そのインターフェイスとして仏教は「テコ」のようになり得る存在でもある。

* * *

 以上、抜粋ながらトークセッションでの自分の発言を振り返り追ってみると(こういう作業をしたのは生まれて初めてだ)、不思議と僕や栄福寺というお寺が、どういう役割を担っていきたいか、大切な要素があると感じた。
 これから現実の世界で、それをどう着地していくか、そのことが大事なことだけど、そのためにも、ひとつの旗印としてここに記しておきたい。そしてみなさんの生活や人生でも響く部分があれば、うれしい。

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白川密成(しらかわ・みっせい)

1977年愛媛県生まれ。栄福寺住職。高校を卒業後、高野山大学密教学科に入学。大学卒業後、地元の書店で社員として働くが、2001年、先代住職の遷化をうけて、24歳で四国八十八ヶ所霊場第五十七番札所、栄福寺の住職に就任する。同年、『ほぼ日刊イトイ新聞』において、「坊さん——57番札所24歳住職7転8起の日々——」の連載を開始し2008年まで231回の文章を寄稿。2010年、『ボクは坊さん。』(ミシマ社)を出版。2015年10月映画化。他の著書に『空海さんに聞いてみよう。』(徳間書店)、『坊さん、父になる。』がある。

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