これからの建築スケッチ

第2信 音楽のある部屋

2013.12.26更新

 伝説のジャズ喫茶「ベイシー」に行くという念願の夢が叶った。その薄暗い店内に一歩足を踏み入れると、そこには別世界が広がっていた。耳ではなく、体全体で大音量が鳴り響く音楽がジンジンと伝わってきて、腹に応える。体中の細胞に染み込んでいくような、たしかな皮膚感覚としてこれほどまでにダイレクトに音楽に包み込まれるのは、初めての体験だ。 圧倒的なサウンドの世界に押し寄せられたのか、眼から入ってくる視覚情報が逆に何だかあまり意味をなさないかのようで、随分と長くその場に立ちすくんでいたように思う。すると、白髪をオールバックにしたマスターの菅原正二さんが静かに現れた。格好いい。ベイシーの濃厚な空間のなかに浮かび上がる、その佇まいにすっかり魅せられてしまった。

 そもそも私がなぜベイシーに来たかというと、山形で畳をつくっている畳屋さんと一緒に「これからの畳の可能性について」と題した対談を小冊子にまとめるという仕事のためである。せっかく東北まで足を運ぶのであれば、対談の場所をぜひベイシーにしてもらえないか、という私の無謀な提案が受け入れられた。このベイシーという店には、窓がひとつもない。どこか光沢のある暗闇が辺り一面に広がっていて、艶っぽい。今ではすっかり見なくなってしまった昔ながらのジャズ喫茶が健在だ。心地よいジャズに酔いしれながら、机のセッティングなどの準備が整うも、クルーのみなさんは「はて、この爆音のなかで対談などできるのだろうか」と心配そうにしていたが、無常にも針はレコード板から離れ、深い静寂が訪れた。音楽が消えると、スッと空気の密度が薄くなったようだ。そして、対談は無事行われていった。

 店主の菅原さんは、ご自身でも言われるように自他ともに認める「筋金入りの時代遅れ」なマスターだ。私の師である石山修武が二十年以上前に『現代の職人』という本の中でそう書かれているのだから、間違いない。一関の駅前にある「ベイシー」というジャズ喫茶は、43年も前からずっと営まれている。まるで半世紀弱ものあいだ時間が止まっているかのようで、どこか異質な空間として磨きがかかっている。最高の音楽を客に提供すべく、幾多のバージョンチェンジを重ねたJBLのスピーカーと真空管アンプが奥の壁の前に置かれている。 崇高なまでの存在感だ。そこからミュージシャンが楽器でライブ演奏をするように、菅原さんはまさに「レコードを演奏」しているのである。店の名前にもなっている伝説のジャズ・ドラマー、カウント・ベイシーも生前二度ほどこの場所に来ているらしい。
 何が時代遅れかというと、レコードという音楽メディアが流通においてその座をCDに取って代わられた(今では、更に音源ダウンロードにシフトしつつあるが)にもかかわらず、彼はレコードの魅力を「音楽をそのまま保存・再生することにおいて最も優秀なメディア」であると語り、疑わないことだ。強い確信をもって化石のようなレコードから豊潤な音楽の世界をJBLのスピーカーから日々鳴り響かせている。
 しっとりしたビル・エヴァンスのピアノからジョン・コルトレーンのサックス、マイルス・デイヴィスのトランペットまで自在にベイシーの空間は、あまりにも濃密な生の音楽でいつも満たされている。しかし、暗がりに目が慣れてきて、ふと室内空間に目をやると、あたかも、菅原さんの部屋にお邪魔させてもらっているかのような気持ちになる。あらゆる物がそこここに配置されている。珈琲が飲めるテーブルと椅子があることから、そこがジャズ喫茶であることは、かろうじて認識できるが、壁に飾られた往年の名プレーヤーとのサイン入り記念写真から始まって、棚には無骨に置かれたカメラや書類と本の山、空になったモンブランのインクタンクが数珠つなぎのように陳列されていたりする。それはまるで、小説家の書斎の様相を呈している。綺麗に百枚ほど重ねられた四百字詰めの原稿用紙の上に、いかにも書き易そうなモンブランの万年筆がそっと置かれていたのも目に留まった。

 わずかな光量の中で浮かび上がる、ベイシーの不思議な風景を見ながら、私は遠くロンドンにあるジョン・ソーン美術館へと思いを馳せていた。ジョン・ソーンは、一八世紀末に活躍したイギリスの古典主義建築家だが、彼は自宅兼事務所を晩年、自身のコレクションを展示する美術館へと改修していったのである。ターナーの絵画やピラネージの銅版画があるかと思えば、自身の建築作品を弟子のガンディーにコラージュして描かせた魅惑的な絵などが展示されている。また、設計の参考資料としてギリシャやローマの廃墟から集められた発掘品である柱やレリーフの断片の数々が、所狭しと壁に掛けられている。立錐の余地もない、とはこのことだ。その過剰な風景は、ジョン・ソーンという建築家の人となりをよく表しているように思う。
 小さなロンドン市内のアパートメントを最大限にいかすためにドームやトップライトなどの光の取り入れ方に対する建築的な実験が行われ、思考錯誤の末に、ゆっくりと美術館へと改修していった希有な空間が実現されている。自邸でもあったので、まさに「ソーンの部屋」が美術館になり、今でも彼の息づかいを空間の佇まいからビシバシ感じることができるのだ。ソーンが、この建物を丸ごと国に寄贈したことで、二十一世紀の今も我々は、この貴重なコレクションを実際に体験することができる。ひとりの建築家から後世にバトンがたしかに渡された。大英博物館などの大きな美術館が収蔵しないであろう美術品が、個人の情熱によってひとつの空間として真空パックされていることに、ただただ言葉を失うのである。

 ベイシーの空間とジョン・ソーン美術館の空間は、実際に似ている訳ではない。その場所に注ぎ込まれた情熱の熱量らしきものがそっくりなのだ。つまり、これらの空間は、その主である菅原さんとソーンにしか制御できないほどに独自に発展していったものである。他を寄せ付けない雰囲気さえある。繊細な時間の蓄積がたしかな痕跡として壁に、床に、天井に、そして何よりそこに置かれた物に対して宿っているのだ。そこに私は、モダニズムを超える何かを感じ取ってやまない。あるいは、情報として私は、その独特な気配を空間から知覚し、自分の中の想像力をかき立てられたと言い換えてもよい。
 どういうことかというと、二十世紀に発展した「国際様式」とも呼ばれたモダニズム建築は、あらゆる人間のための普遍的な空間を求めた結果、綺麗で美しい、どこにあっても機能的な白い箱を世界中に量産していった。個性ある場所から自由になったからこそ、国際様式と名付けられたのだ。このとき想定された「人間」とは、マジョリティーの健全な人間、それも西洋人であることを忘れてはならない。
 しかし、括弧にくくられた大多数の標準的な人間など実のところ、どこにもいない。みな違っているのが現実ではないか。人それぞれに多様な顔を持ち、それがその人たちの暮らす空間にも宿ると考えた方がよほど自然ではないか。顔の見えない「みんな」のための空間ではなく、特殊解のように思われるその人だけのための空間にこそ、建築が持ち得る豊かさのヒントがあると私は思っている。
 誰でものためのモダンな空間ではなく、主役となる空間の主、つまりベイシーの菅原さんやジョン・ソーン美術館のソーンが不可欠な存在であるような空間には、つねに人を圧倒する流れが生じる。綺麗に整理整頓されているとか、物で溢れかえっているとか、そうしたルールなどは存在せず、その空間に置かれた物たちが常にゆっくり変化し、この場所に配置されなければならない理由は、もはや論理を超えて、きっと彼らの身体感覚で決まってくるのだろう。その本人たちにしか制御できない特別な場所というものは、強いエネルギーを放つのだ。そのため、そこに足を踏み入れた人間の知覚した情報が、ひとつの心象風景をそれぞれの中に構築し、独自の物語を展開する。徹底的に個別な空間には人の心を捉まえる強度がある。
 ベイシーでは長い時間をかけて、そのような空間をキャンバスにしながら菅原さんがレコードによってオーディオと対峙し、代価不可能な深い音楽を描き出し続けているのである。 過去から脈々と流れる濃密な時間、あるいは歴史と、これからくる未来を予感させてくれるような、その場所の豊穣さにこそ、私は、建築のひとつの理想を見た。

 次こそは、仕事ではなく、純粋な客としてベイシーに行き、ジャズにどっぷり没頭したい。欲を言えば、敬愛するスタン・ゲッツの吹くテナー・サックスを菅原さんのジムラン(JBLのスピーカー)に奏でてもらえたらどれほど幸せなことだろうか、と近い将来に一関を再訪することに既に胸を膨らませている。そのときは、谷崎潤一郎の『陰影礼賛』を再読したいとひそかに思っている。

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光嶋裕介こうしま・ゆうすけ

建築家。東京・目黒と、兵庫・神戸在住。

1979年、アメリカ、ニュージャージー州生まれ。男三兄弟の次男。8歳までアメリカで育ち、「ブライアン」というミドルネームを持つ。帰国して、奈良の小学校を卒業すると、また父の転勤でトロントとマンチェスターで中学生活を送る。
1995年、単身帰国し、早稲田大学本庄高等学院に入学。大学時代は毎年夏休みに5、6週間のひとり旅。行き先はいつも憧れのヨーロッパ。
2002年、早稲田大学理工学部建築学科を卒業し、大学院は石山修武研究室へ。
2004年、大学院卒業とともにドイツの建築設計事務所で働き、ベルリン生活を満喫。4年後に帰国し、事務所を開設。一級建築士免許取得。その間、内装設計やコンペ、ドローイングに銅版画を描いたりする毎日。
2010年、思想家の内田樹氏の自宅兼道場(合気道)の設計を依頼され、翌2011年、建築家としての処女作、凱風館(がいふうかん)を神戸に完成。SDレビュー2011に入選。また、凱風館の竣工と共に内田樹師範の下、合気道を始める。凱風館の工事中、糸井重里氏の主宰する「ほぼ日刊イトイ新聞」にて『みんなの家。~建築家1年生の初仕事~』という連載を執筆し、アルテスパブリッシング社より書籍として刊行。ライフワークである「幻想都市」を描いたドローイングをまとめた『幻想都市風景』(羽鳥書店)も同年に刊行。2013年には最新作の『建築武者修行~放課後のベルリン』(イースト・プレス社)を刊行。
2010年より桑沢デザイン研究所、2011年から2012年まで日本大学短期大学部、2013年より大阪市立大学にて非常勤講師を務める。さらに2012年からは、首都大学東京・都市環境学部に助教として勤務中。

光嶋裕介建築設計事務所

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