これからの建築スケッチ

第4信 街の見た目

2014.02.27更新

 外国から遊びに来た友人に、東京を案内してほしいと言われると、必ずお勧めするのが、山手線を一周すること。方向はどっち周りでも構わない。とにかく山手線の一番前の車両に乗って、車掌さんの背中越しの特等席で臨場感あふれるスリリングな体験をしてもらうのである。一時間ちょっとで東京という街がもつ万華鏡のように多様な表情が見られて大変面白い。
 ある街に初めて訪れると、一番高い場所に行って俯瞰するというのが旅の鉄則だが、東京という都市には、水平連続移動でもって見えてくる不思議なカオスが宿っている。電車の線路が引かれる論理は、それまでの街ができあがる都市計画のそれとは違うものであるため、まさに都市の中を切り裂くようにして、たくさんの街の断面が豊かな表情として拮抗する状態を至近離感で見られるのは、まるで一本の映画を観ているようだ。
 たとえば表参道という道を歩くと、次から次へと現代建築がショーケースの如く建ち並ぶ光景が美しい。白く透明な軽い建築からストイックで重いコンクリートの建築、メタリックな箱を重ねたようなデザインからけやき並木をモチーフにした有機的なデザインまで、日本を代表する建築家のオンパレードである。外国人スター建築家による黒くうねるような建築や、彫刻的なフォルムのガラス建築など、世界でも珍しいくらいの現代建築のミュージアムといった様相を呈している。こうした街の見た目について考えてみたい。

 そもそも、街の見た目は、誰のものなのだろうか。
 それぞれの建物には、所有者が存在するが、どのような外観をしているかについての責任は、誰にあるのだろうか。

 建築空間というものを、仮に壁や床、天井に囲われたものだと定義すると、建築にとっては、人間が入ることができる内部空間が何より大切になってくる。それが、構造的に強くて地震や豪雨、強風から人の命を守り、生活を営むための機能を合理的に成立させることが求められる。さらにその空間が美しいことで、豊かさが獲得されていく。
 がしかし、建築がどのような装いで街に対して建てられているかは、内部での営みとは別次元の問題である。外部に対して、いかなる表情をしているかは、街の景観に深く関係する。内部空間における天井が無くなり、青空に替われば、それは都市空間になるのである。単体の建築の連続が、街の見た目を決定するという意識をいかにして市民がもつことができるかを考えるうえで、ファッションは参考になるように思う。
 私たちは一人ひとり違った顔をもち、身体をもつ。その特性をいかしながら、服を纏うことで他者とのコミュニケーションを図っている。男性であれば、スーツを着たり、デニムを履いたりすることで、自分がどのような人間であるか、もしくは、ありたいかを少なからず示している。自分の美学が問われているとも言えるだろう。腕時計や靴からも少なくない情報量がごく自然と発信されているのである。
 建築もまた街に対して大事なメッセージを発している。そのとき、建築の所有者は、街に対して、具体的には通りすがりの人々も含む、つまり社会に対して情報発信をしているのだ。それを自覚し、責任をもたなければならない。
 物語はすべて、関係性のなかで生み出される。再度ファッションで考えると、制服のように「型」がある衣服は、自分の職業を他人に伝える。学生であるとか、警察であることは、そのユニフォームを見ればわかるように、建築もまたその外観によって、住宅であるとか、タワーマンションである、オフィスである、学校であるといったことを伝えている。表参道の風景は、まるで仮装大会のような派手さと魅力があるが、商業施設であることや、表参道というけやき並木と道路の広さを考えるとそれでも充分に街の雰囲気をつくり上げている。

 一方、ヨーロッパの街並は統一感があって美しいとよく言われる。しかし、それを可能にしているのは、市民なのである。私が長く生活していたベルリンもレンガ造りの建築が建ち並び、石畳の道路や街灯なども風情がある。見事な調和が取られ、成熟した市民によって愛される景観は、時間と共により強度を増す。それらは、高さ制限や景観条例などのルールによってそのベースがしっかりと守られていることも忘れてはならない。制約の中で街の景観が保存されながら、たしかに受け継がれていくのである。ただ、私は統一感があれば良いと思っているわけではない。
 ベルリンの魅力は、その多様性にある。景観条例などにより、外装は念入りな修復や塗装が施されるものの、内部は比較的自在にリノベーションされたりする。外観と内部空間では、大胆なコントラストを生み出していたりする。住宅街などは、経済合理主義による大きな変化を妨げつつ、ポツダム広場などの中心地では新しい開発も進み、ガラス張りの高層ビルも林立する。この建築の新旧ミックスが街の表情をつくり、ゆっくりと更新されていく。絶対に変わらないことと、絶えず変化することが都市を上手に新陳代謝させ、時間をかけることで、市民によって愛される街に育っていく。ローマは一日にして成らず、とは言い得て妙である。魅力ある街の景観は、建築の継承と更新を適度に続けながら、保たれなければならない。

 では、日本の住宅街は、どうなっているだろうか。各々の家主が好き勝手に自分たちの家を建ててはいないだろうか。いや、好き勝手というより、街の見た目という視点をまったくもたないで、共同体としての地域というスケールにおいては、何も意識しないで建てていないだろうか。住宅街としての佇まいは、そのままそこに住む人たちの鏡であるはずである。

 まず、街の見た目を形成するのに気をつけたいのは、家の姿形。突拍子もないものは、周りとの調和を崩しかねない。次に大きさの問題がある。周辺の環境を威圧するような巨大なものは、街のバランスを悪くする。また、どのような素材を使って自分たちの家を装うかも大切だ。時間による経年変化があまりなく、ただ薄汚れていくだけの建材を使用してばかりでは、美しい見た目の統一感などは期待できない。

 上述の事項よりも大切だと私が思うのは、住宅が街に対して開かれているか、否かである。先にも述べたが、家の主にとっては、よほど内部空間の方が大事なことである。そもそも家の中にいると、外壁がレンガだろうが、漆喰だろうが、焼き杉だろうが、関係ない。日々の生活のなかで、内部から外壁が見えることはほとんどない。しかし、裏を返せば、自分から見えないということは、他人から見えているということなのだ。
 つまり、外観は、街の問題であり、公共に属する問題なのである。家が開かれているということは、いかに地域社会に対して接続する回路を持ち得るかという問題なのだ。そのためには、高い塀などで建築を閉じないで、オープンであることが望ましい。そこに何か樹木を植えたりすると、小さくても庭が街との接点となり、隣人たちとの対話を可能にする場所となる。

 私が生まれ育ったアメリカの東海岸ニュージャージー州の住宅街には、家の前にも後ろにも広い芝生の庭があった。家の前には、近所の人たちとのソフトな交流の場としての庭があり、後ろには、もう少しプライベートな遊び場所としての庭がある。前庭などは、よくお互いが芝刈りをしたりしながら、隣人とのつながりを生む場所となっていたのを思い出す。ガレージ・セールなども、こうしたプライベートとパブリックの境界線が曖昧になる瞬間である。今では、防犯上の理由からアメリカでも高級住宅地など住宅街の周囲に頑丈な塀がぐるっと立てられ、ゲーテッド・ソサエティになっていることも多い。貧富の差が広がり、階層化する社会の抱える深刻な問題となっている。
 日本のような狭い国土では、アメリカのように気持ちのいい芝生の前庭は現実的には難しいが、違った形で近隣住民とのささやかな交流の場を模索することはできるはずだ。もしくは、かつての長屋文化のように、住まいをプライベートに閉じるのではなく、玄関周辺などを一部街に開くことも可能だろう。要するに気楽に人を招き入れられる交流の場所を家の中で少し提供するということ。そうしたものを個々人でそれぞれなりに実践することで、親しみやすい街並が少しずつ築き上げられるのである。点と点が、線になり、面としての広がりをもつ。
 街に対して建築を開くためには、安全で安心な街をつくることが絶対条件となり、そのためには、各自の献身が求められる。自分の住まいが自分だけのものでなく、ひとたび建築として建ち上がることは、それすなわち地域社会のメンバーである責任を同時にもつことを意味するのである。
 緑豊かな街をつくるには、自分の前庭からスタートしなければならない。それは、植木鉢に朝顔を植えることから始まるかもしれない。地域のメンバーがそれぞれプライベートとパブリックの感覚をしっかりともち、一軒の家でも、街の見た目を左右するということを自覚することで、みんなの心のよりどころになるような風景が時間をかけて生成されるはずだ。むやみに洗濯物を表から見えるところに干さないということも立派な美徳であり、街の見た目に影響する。それぞれがたしかな共有意識をもち、建築に手をかけることで、心地よい雰囲気が少しずつ街に漂い、記憶が定着し、いつしかそれは世代を超えて愛着のある故郷になっていくのだろう。

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光嶋裕介こうしま・ゆうすけ

建築家。東京・目黒と、兵庫・神戸在住。

1979年、アメリカ、ニュージャージー州生まれ。男三兄弟の次男。8歳までアメリカで育ち、「ブライアン」というミドルネームを持つ。帰国して、奈良の小学校を卒業すると、また父の転勤でトロントとマンチェスターで中学生活を送る。
1995年、単身帰国し、早稲田大学本庄高等学院に入学。大学時代は毎年夏休みに5、6週間のひとり旅。行き先はいつも憧れのヨーロッパ。
2002年、早稲田大学理工学部建築学科を卒業し、大学院は石山修武研究室へ。
2004年、大学院卒業とともにドイツの建築設計事務所で働き、ベルリン生活を満喫。4年後に帰国し、事務所を開設。一級建築士免許取得。その間、内装設計やコンペ、ドローイングに銅版画を描いたりする毎日。
2010年、思想家の内田樹氏の自宅兼道場(合気道)の設計を依頼され、翌2011年、建築家としての処女作、凱風館(がいふうかん)を神戸に完成。SDレビュー2011に入選。また、凱風館の竣工と共に内田樹師範の下、合気道を始める。凱風館の工事中、糸井重里氏の主宰する「ほぼ日刊イトイ新聞」にて『みんなの家。~建築家1年生の初仕事~』という連載を執筆し、アルテスパブリッシング社より書籍として刊行。ライフワークである「幻想都市」を描いたドローイングをまとめた『幻想都市風景』(羽鳥書店)も同年に刊行。2013年には最新作の『建築武者修行~放課後のベルリン』(イースト・プレス社)を刊行。
2010年より桑沢デザイン研究所、2011年から2012年まで日本大学短期大学部、2013年より大阪市立大学にて非常勤講師を務める。さらに2012年からは、首都大学東京・都市環境学部に助教として勤務中。

光嶋裕介建築設計事務所

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